韓国の慰安婦(少女)像に対する、筒井康隆氏のつぎのようなツイート(既に削除)が批判に晒されています。

元になった「偽文士目碌」の文章は、以下のとおりです。
偽文士目碌
http://shokenro.jp/00001452
新聞記事によれば、筒井氏は、批判に対して、「侮辱するつもりはなかった」「“炎上”を狙ったもので、冗談だ」と弁解しているそうです。
毎日新聞
筒井康隆氏 ブログで少女像への性的侮辱促す 韓国で反発広がる
筒井氏は、日本を代表する(と言ってもいいような)著名な作家です。そこらにいる「バカッター」とは違うのです。炎上狙いだなんて、あまりにもお粗末と言うしかありません。しかも、筒井氏は82才の高齢です。82才のじいさんがツイッターで炎上を狙ったなんて、「大丈夫か」と言いたくなろうというものです。
筒井康隆氏は、かつて社会や日常に潜在するタブーに挑む作家として、平岡正明らによってヒーローのようにもてはやされていた時期がありました。私が最初に筒井康隆氏の作品を読んだのは、『大いなる助走』や『農協月へ行く』だったと思いますが、メタフィクション的手法を用いたブラックユーモアが筒井作品のひとつの“売り”であったのはたしかでしょう。
『噂の真相』に連載していたコラムをまとめた『笑犬樓よりの眺望』や平岡正明の『筒井康隆はこう読め』などを今も持っていたはずなので、もう一度読み返したいと思い、本のなかを探したのですが、どうしても見つけることができませんでした。
唯一見つかったのが、1985年11月1日発行の『同時代批評』という季刊誌に載っていたインタビュー記事でした。それは、当時、巷間を騒わせていた“ロス疑惑“を特集したなかで、同誌を編集していた岡庭昇氏のインタビューに答えたものです。筒井氏は、そのインタビューで、「窓の外の戦争」というみずからの戯曲に関連して、「日本人の特性」をつぎのように批判していました。
この30年前の発言と「あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」という発言がどうつながるのか。慰安婦と(筒井氏の世代にはなじみ深い)キーセンツアーを結び付けた皮肉なのかと思ったりもしますが、さすがにそれは牽強付会と言うべきでしょう。
「先生と言われるほど馬鹿でなし」という川柳がありますが、今や作家センセイは世間知らずの代名詞のようになっています。いちばん世間を知らなければならないはずの作家が、いちばん世間知らずになっているのです。にもかかわらず、彼らのトンチンカンぶりが、逆に“作家らしい本音”みたいに扱われるのです。それは、政治に対しても同様で、政治オンチな発言をしても、大衆(庶民)の心情を代弁しているみたいに、むしろ好意的に受け止められることさえあるのです。
でも、炎上狙いという点では、筒井康隆氏のツイートは、コンビニの冷凍ケースのなかに横になったり、股間をツンツンした指でコンビニの棚の商品をツンツンしたり、チェーンソーをもってクロネコヤマトを脅したりした、あの「バカッター」たちとほとんど変わらないレベルのものです。
『大いなる助走』も、『農協月に行く』も、断筆宣言も、ツイッターがない時代だったから見えなかっただけで、実際は今回のツイートと同じような底の浅い風刺や皮肉でしかなく、大西巨人が言う「俗情との結託」にすぎなかったのかもしれません。私も筒井氏のツイートに対しては、「おぞましさ」というより俗情におもねる「あざとさ」のようなものしか感じませんでした。
あらためて筒井康隆ってなんだったんだと思えてなりません。彼の作品をありがたがって読んでいた読者たちこそ好い面の皮でしょう。

元になった「偽文士目碌」の文章は、以下のとおりです。
偽文士目碌
http://shokenro.jp/00001452
新聞記事によれば、筒井氏は、批判に対して、「侮辱するつもりはなかった」「“炎上”を狙ったもので、冗談だ」と弁解しているそうです。
毎日新聞
筒井康隆氏 ブログで少女像への性的侮辱促す 韓国で反発広がる
筒井氏は、日本を代表する(と言ってもいいような)著名な作家です。そこらにいる「バカッター」とは違うのです。炎上狙いだなんて、あまりにもお粗末と言うしかありません。しかも、筒井氏は82才の高齢です。82才のじいさんがツイッターで炎上を狙ったなんて、「大丈夫か」と言いたくなろうというものです。
筒井康隆氏は、かつて社会や日常に潜在するタブーに挑む作家として、平岡正明らによってヒーローのようにもてはやされていた時期がありました。私が最初に筒井康隆氏の作品を読んだのは、『大いなる助走』や『農協月へ行く』だったと思いますが、メタフィクション的手法を用いたブラックユーモアが筒井作品のひとつの“売り”であったのはたしかでしょう。
『噂の真相』に連載していたコラムをまとめた『笑犬樓よりの眺望』や平岡正明の『筒井康隆はこう読め』などを今も持っていたはずなので、もう一度読み返したいと思い、本のなかを探したのですが、どうしても見つけることができませんでした。
唯一見つかったのが、1985年11月1日発行の『同時代批評』という季刊誌に載っていたインタビュー記事でした。それは、当時、巷間を騒わせていた“ロス疑惑“を特集したなかで、同誌を編集していた岡庭昇氏のインタビューに答えたものです。筒井氏は、そのインタビューで、「窓の外の戦争」というみずからの戯曲に関連して、「日本人の特性」をつぎのように批判していました。
(引用者注:「窓の外の戦争」の)戦争責任を追及するというのは、うわべのテーマであって、実際は、自分と関係のあることでも、あまり関係なさそうに客観的に見て、自分だけ逃れていこうとする。そういう日本人の特性がイヤだったんです。まあ、大きな声じゃ言えないけど、戦争に負けといて、今、日本人が一番うまいことをしている。それを別に恥ずかしいこととも思わないで、外国へ出かけていっては、やっぱり嫌われて戻ってきて、あるいは自分の国にも原因のある他国の災害とか戦争とか、そういったものをまったく関係のない、無関係の現象という目で見て、騒いで、無関係と思うからこそ騒げるわけです。(略)そもそもすべてのことを自分のこととして見ることができない特性というのが日本人にはあるんじゃないかと思うんですね。それを追及したかったんです。
(『同時代批評14』・星雲社)
この30年前の発言と「あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」という発言がどうつながるのか。慰安婦と(筒井氏の世代にはなじみ深い)キーセンツアーを結び付けた皮肉なのかと思ったりもしますが、さすがにそれは牽強付会と言うべきでしょう。
「先生と言われるほど馬鹿でなし」という川柳がありますが、今や作家センセイは世間知らずの代名詞のようになっています。いちばん世間を知らなければならないはずの作家が、いちばん世間知らずになっているのです。にもかかわらず、彼らのトンチンカンぶりが、逆に“作家らしい本音”みたいに扱われるのです。それは、政治に対しても同様で、政治オンチな発言をしても、大衆(庶民)の心情を代弁しているみたいに、むしろ好意的に受け止められることさえあるのです。
でも、炎上狙いという点では、筒井康隆氏のツイートは、コンビニの冷凍ケースのなかに横になったり、股間をツンツンした指でコンビニの棚の商品をツンツンしたり、チェーンソーをもってクロネコヤマトを脅したりした、あの「バカッター」たちとほとんど変わらないレベルのものです。
『大いなる助走』も、『農協月に行く』も、断筆宣言も、ツイッターがない時代だったから見えなかっただけで、実際は今回のツイートと同じような底の浅い風刺や皮肉でしかなく、大西巨人が言う「俗情との結託」にすぎなかったのかもしれません。私も筒井氏のツイートに対しては、「おぞましさ」というより俗情におもねる「あざとさ」のようなものしか感じませんでした。
あらためて筒井康隆ってなんだったんだと思えてなりません。彼の作品をありがたがって読んでいた読者たちこそ好い面の皮でしょう。