木嶋佳苗手記


『週刊新潮』(4月20日号)に掲載された木嶋佳苗被告の手記を読みました。

4月14日、最高裁第2小法廷は、木嶋被告の上告を棄却し、死刑が確定しましたが、手記は判決前に書かれたものです。

木嶋被告は無実を訴えていますが、一方で上告破棄を「覚悟」していたかのように、手記のなかで、死刑の「早期執行の請願」を行うことをあきらかにしていました。

 生みの母が私の生命を否定している以上、確定後に私は法相に対し、早期執行の請願をします。これこそ「ある決意」に他なりません。通常、全面否認事件での女子の執行は優先順位が極めて低いものですが、本人からの請願は何より強い“キラーカード”になる。
 まったくもって自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない、それだけです。


木嶋被告は、実母との確執によって、「生きていく自信」がなくなったと書いています。以前、北原みのり氏が『木嶋佳苗 100日裁判傍聴記』で、木嶋被告は幼い頃から実母との葛藤を抱えていたと書いていましたが、木嶋被告は、ブログで、北原氏を「『毒婦』ライター」と呼び、つぎのように批判していました。

「毒婦」ライター。彼女が私に関して語ることの7割は、事実じゃありません。3割は事実かって?それは、NHKのニュースで報道されるレベルのこと。彼女の取材能力は限りなくゼロに近いので、ルポルタージュを書けるライターじゃないですよ。

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ところが、ここに至って木嶋被告は、実母との間にかなり深刻な確執があったことを認めているのです。それどころか、実父の死は、事故ではなく、夫婦関係が原因による自殺だったことをあきらかにしているのでした。もしかしたら図星だったから、あのように北原氏に対してヒステリックに反発したのかもしれません。

上記の引用文の前段にそのことが書かれています。

 私の父は妻である母に心を蝕まれた結果、還暦で自死を選びました。私が30歳のときです。4人の子ども達に残された遺言状を見るまで父の懊悩や2人の不仲など知る由もなかったし、限界まで追い詰められいたことに気付かなかった4人は遺骸の前で慟哭するほかなかった。母は父の親族から葬儀の喪主になることを許されなかったほどです。


木嶋佳苗被告が、父親の墓を実家のある北海道の別海町ではなく、わざわざ浅草の寺に造った理由も、これで納得がいきました。

このように実母との確執は、今にはじまったわけではないのです。昔からあったのです。私も以前、彼女の”売春生活”は、母親のようになりたくないという「不機嫌な娘」の意趣返しという側面もあったのではないかと書きましたが、まったく的外れではなかったのです。

ただ、それがどうして、早期の執行を求める理由になるのか。今更の感はぬぐえません。「自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない」からという弱気な発言も、唐突な感じがしてなりません。まだ、「木嶋佳苗劇場」(木嶋被告の自己韜晦)は、つづいているような気がしてならないのです。彼女の心の奥底にあるものは、あきらかになってないように思えてならないのです。


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2017.04.17 Mon l 本・文芸 l top ▲