先日、朝日新聞デジタルのインタービュー記事で、米山隆一新潟県知事がつぎのように言ってました。

 保守的な空気が非常に先鋭化しているのは、仕方ない部分はある。ただ、なぜそうなったかを考えると、リベラル系の人たちがちゃんと意見を言わないからだと思う。リベラルの人は優等生になろうとする。何かを発言して、ブーメランで批判が返ってくるとシュンとする。保守系の人はバシバシ言うから、結局そちらが発言権を持ってしまう。

朝日新聞デジタル
つぶやく知事に聞いた「保守的な空気、リベラルのせい」


私は、この発言は、米山知事の意図とは別に、今のリベラル左派の痛い点を衝いているように思いました。そして、これが日本の左派とヨーロッパで台頭している急進左派との根本的な違いでもあるように思います。

何度も同じことを言いますが、ギリシャのシリザも、スペインのポデモスも、イギリスのスコットランド国民党(SNP)も、貧困や独立をテーマにした広場占拠や街頭闘争の直接行動から生まれたあたらしい政党です。有閑マダムのホームパーティのように、仲間内でおしゃべりに興じるだけの日本のリベラル左派とは似て非なるものです。上か下かの視点を失くしたリベラル左派に対して、「左翼はめぐまれた既得権者だ。おれたちがやっているのは階級闘争だ」と在特会など極右の団体が嘯くのも、故なきことではないのです。

マルクス研究者の的場昭弘氏は、『「革命」再考』(角川新書)で、現在、先進国を席捲している「国家再帰現象」は、「民衆の自由意志による反発であると捉えることも」できると書いていました。「ポピュリズム」「大衆デマゴギー」などと批判される「国家再帰現象」ですが、見方を変えれば、民衆のなかに「既成の政党政治に飽きたらない」現象が起きていることを意味しているのではないかと言うのです。そして、そんな「民衆の声を吸収できているのは皮肉にも極右と極左だ」と言います。フランス大統領選挙でも、共和党や社会党の候補が大敗し、極右のマリーヌ・ル・ペンと極左・左翼党のジャン・リュック・メランションが人気を集めたのは周知のとおりです。

的場氏は、マリーヌ・ル・ペンについて、つぎのように書いていました。

 フランス極右の候補者マリーヌ・ル・ペンは、支持層拡大のために「見えざるものたち」(invisibles)という言葉を、二〇一二年の大統領選挙で使っていました。見えざるものたちとは、存在しているが人々が見逃している人々ということです。具体的にいえば、移民労働者や郊外に住む貧困層のことです。二〇〇七年の大統領選挙ではプレカリテ(prècaritè)、不安という言葉が議論になりました。
 極右の候補がこれを取り上げたことは、現代社会の抱える問題が、もはやたんなる人権の問題ではないことを意味しています。生きる権利、働く権利という基本的な権利が守られていないことへの怒り、それは現在の資本主義システムそのものへの疑問となって表れています。これまでのような機会の平等、自由な競争などと能天気なことをいっていられない時代になったともいえます。
(『「革命」再考』)


「見えざるものたち」の生きる権利、働く権利を奪還する。このようなことはかつては左の「革命派」が言っていたことです。極右と言えば、どうしても排外主義ばかりに目が行きがちですが、今やこういった「上か下か」も極右のスローガンになっているのです。

(何度も僭越ですが)私も、トランプ当選の際、ブログにつぎのように書きました。

トランプ当選には、イギリスのEU離脱と同じように、そんな「上か下か」の背景があることも忘れてはならないでしょう。「革命」の条件が、ナチス台頭のときと同じように、ファシストに簒奪されてしまったのです。社会主義者のバーニー・サンダースが予備選で健闘したのは、その「せめぎあい」を示していると言えるでしょう。
誰もが驚いたトランプ当選


日本のリベラル左派は、そういった「せめぎあい」さえ回避しているのです。

ブレイディみかこ氏は、連載している晶文社のサイトで、イギリス労働党の低迷に関して、シリザ政権で財務相を務めたヤニス・ヴァルファキスのつぎのようなことばを紹介していました。

 過去30年間、我々はプログレッシヴな価値観の寸断を許してきた。LGBTの運動、フェミニストの運動、市民権運動という風に。フェミニストがもっと多くの女性を役員室に入れることは、その一方で移民の女性が最低賃金以下の賃金で家事を引き受けて働いているということを意味する。フェミニズムとヒューマニズムの関係性が失われてしまったのだ。ゲイ・ムーヴメントが、偏見や警察との闘いに代わって、「Shop Till You Drop(ぶっ倒れるまで買いまくれ)」のようなスローガンをマントラにして消費主義を受け入れた時、それはリベラル・エリートの一部になり過ぎてしまった。プログレッシヴなムーヴメントに残された解決法は、インターナショナルであるだけでなく、ヒューマニストにもなることだ。それは難しいことだ。が、リベラルなエスタブリッシュメントとトランプの両方に反対するにはそれが必要だ。彼らは敵対しているふりをしているが、実際には共犯者であり、互いを利用している。
newstatesman.com

晶文社 スクラップブック
UK地べた外電
第3回 ブレグジットの前に進め:コービン進退問題とヴァルファキス人気


日本のリベラル左派は、既得権を守ることに汲々とし、「55年体制」のノスタルジーに耽るだけの「エスタブリッシュメント」でしかないのです。だから一方で、(リベラルなんて言いながら)あのようなスターリニズムと紙一重の「排除の論理」が幅をきかせているのでしょう。今、求められているのは、「リベラルなエスタブリッシュメントとトランプの両方に反対する」、謂わば「左派ポピュリズム」のような視点と見識なのです。
2017.05.02 Tue l 社会・メディア l top ▲