小さき花愛でてかなしき名も知らねば
君の肩に降る六月の雨
このところ体調がすぐれず、家では寝ていることが多いのですが、そうやって床に臥せっていると、やたら昔のことが思い出されてならないのでした。
実家では、子どもの頃、ジョンという名前の犬を飼っていました。私がまだ小学校の低学年のとき、父親が捨てられていた仔犬を拾ってきたのです。雑種の赤毛の犬でした。
最初は、床の下で飼っていたのですが、大きくなると裏の物置小屋のなかで飼っていました。食事は、もちろん残飯でした。私たちが食べ残したご飯に味噌汁をかけたものが多かったように思います。
ずっと繋がれたままなのでストレスがたまっていたのか、人を見るとやたら吠えて飛びかかるような犬でした。それで、よけい繋がれることが多くなりました。
当時は、今のように散歩なんて洒落た習慣はなく、放し飼いの犬も多かった時代です。私たちもよく犬に追いかけられていました。犬に追いかけられ木に登って難を逃れたものの、犬が木の下から退かないので木から降りられなくなり、半べそをかいたなんてこともありました。
発情期になると、オス犬たちが群れをなして通りをうろついていました。通りで犬が交尾をしている光景もよく目にしました。私たちがはやし立てると、恍惚の表情のオス犬はさらに興奮して激しく腰を振るのでした。
近所の大人がやってきて、「子どもが見るもんじゃない」なんて言いながら、交尾をしている犬に水をかけるのでした。すると、臀部がくっついた二匹の犬は、ベーゴマのように通りの真ん中でクルクル回り続けるのでした。
また、馬喰(家畜商)のオイさん(オジサンのことを九州の田舎ではそう言ってました)が、釜を持って交尾した犬を追いかけたこともありました。私たちは、その様子を手を叩いて笑いながら見ていたものです。
あるとき、近所の朝鮮人のオイさんがやってきて、ジョンを見るなり、「こういう赤犬が美味しいんじゃ」と言ったのです。私は、ジョンが食べられるんじゃないかと心配しました。父と母は、「子どもの前であんなことを言って」と怒っていました。私は、そのことを「うちのジョン」という題で作文に書きました。
二十歳の入院したときに、ジョンは亡くなりました。見舞いに来た父親からそう告げられたとき、窓の外を眺めながらしんみりした気持になったのを覚えています。
つぎに我が家に犬が来たのは、もう私が会社勤めをしているときでした。休みで実家に帰ったら、こげ茶色の仔犬がいたのです。姉が知り合いからもらってきたということでした。既に名前もウタと付けられていました。
ウタの食事は、残飯ではなくドッグフードでした。犬や猫も、既にペットと呼ばれるようになっていたのです。ウタは柴犬で、家の土間で飼っていました。もうその頃は、犬を放し飼いする家もなくなっていました。と言っても、今のように街中でトイプードルやチワワを見かけることはめったにありませんでした。小型犬を飼う家はまだ少なかったのです。
ウタは、私が実家に帰ると、私の足にしがみついて離れようとしませんでした。また、私が傍に行くと、すぐゴロンと横になってお腹を見せるのでした。
あるとき、ウタが行方不明になったことがありました。相変わらず犬を散歩する習慣はなかったので、朝と夜、トイレのために外に放していたのですが、そのまま帰って来なったのです。連れ去られたか、あるいは交通事故に遭って死骸を捨てられたのでないかと親たちは話していました。
ところが、それから1週間経った頃、父親が裏山を歩いていたら、竹藪のなかからこちらを伺っているウタに気付いたのだそうです。驚いた父親が近付いて行くと、ウタは逃げるのだとか。それで、父親は名前を呼びながら懸命に追いかけ、やっと捕まえて家に連れて帰ったということでした。
しかし、そのときのウタはガリガリに痩せて、全身がダニだらけで汚れていたそうです。往診に来た獣医(と言っても、日ごろは馬や牛を診るのが専門ですが)は、車かなにかにぶつかってパニックになり、山に逃げ込んだのではないかと言っていたそうです。
ウタが亡くなったのは、私が上京したあとでした。早朝、母親から電話がかかってきて、沈んだ声で「今、ウタが死んだよ」と告げられたのでした。その数年前には、既に父親も亡くなっていました。
ジョンが死んだときは、死骸を裏山に埋めたのですが、ウタは業者に頼んで火葬して永代供養したそうです。田舎にもいつの間にかペットの時代が訪れていたのです。
ペットロスになったという女性は、姑が死んだときより愛犬が死んだときのほうが数倍悲しかったと言ってましたが、その気持はわからないでもありません。
こうして体調が悪く弱気になっているときに、まるで走馬灯のように昔飼っていた犬の思い出がよみがってくるというのも、自分のなかで彼らがいつまでも変わらない存在としてあるからでしょう。人との関係は、身過ぎ世過ぎによって、ときにその関係が元に戻らないほど変化を来すことがあります。でも、ペットとの間で私たちは傷付くことはありません。だから、(人間の手前勝手なエゴを慰謝するものであるにせよ)ペットは良い思い出として、いつまでも心に残るのでしょう。
君の肩に降る六月の雨
このところ体調がすぐれず、家では寝ていることが多いのですが、そうやって床に臥せっていると、やたら昔のことが思い出されてならないのでした。
実家では、子どもの頃、ジョンという名前の犬を飼っていました。私がまだ小学校の低学年のとき、父親が捨てられていた仔犬を拾ってきたのです。雑種の赤毛の犬でした。
最初は、床の下で飼っていたのですが、大きくなると裏の物置小屋のなかで飼っていました。食事は、もちろん残飯でした。私たちが食べ残したご飯に味噌汁をかけたものが多かったように思います。
ずっと繋がれたままなのでストレスがたまっていたのか、人を見るとやたら吠えて飛びかかるような犬でした。それで、よけい繋がれることが多くなりました。
当時は、今のように散歩なんて洒落た習慣はなく、放し飼いの犬も多かった時代です。私たちもよく犬に追いかけられていました。犬に追いかけられ木に登って難を逃れたものの、犬が木の下から退かないので木から降りられなくなり、半べそをかいたなんてこともありました。
発情期になると、オス犬たちが群れをなして通りをうろついていました。通りで犬が交尾をしている光景もよく目にしました。私たちがはやし立てると、恍惚の表情のオス犬はさらに興奮して激しく腰を振るのでした。
近所の大人がやってきて、「子どもが見るもんじゃない」なんて言いながら、交尾をしている犬に水をかけるのでした。すると、臀部がくっついた二匹の犬は、ベーゴマのように通りの真ん中でクルクル回り続けるのでした。
また、馬喰(家畜商)のオイさん(オジサンのことを九州の田舎ではそう言ってました)が、釜を持って交尾した犬を追いかけたこともありました。私たちは、その様子を手を叩いて笑いながら見ていたものです。
あるとき、近所の朝鮮人のオイさんがやってきて、ジョンを見るなり、「こういう赤犬が美味しいんじゃ」と言ったのです。私は、ジョンが食べられるんじゃないかと心配しました。父と母は、「子どもの前であんなことを言って」と怒っていました。私は、そのことを「うちのジョン」という題で作文に書きました。
二十歳の入院したときに、ジョンは亡くなりました。見舞いに来た父親からそう告げられたとき、窓の外を眺めながらしんみりした気持になったのを覚えています。
つぎに我が家に犬が来たのは、もう私が会社勤めをしているときでした。休みで実家に帰ったら、こげ茶色の仔犬がいたのです。姉が知り合いからもらってきたということでした。既に名前もウタと付けられていました。
ウタの食事は、残飯ではなくドッグフードでした。犬や猫も、既にペットと呼ばれるようになっていたのです。ウタは柴犬で、家の土間で飼っていました。もうその頃は、犬を放し飼いする家もなくなっていました。と言っても、今のように街中でトイプードルやチワワを見かけることはめったにありませんでした。小型犬を飼う家はまだ少なかったのです。
ウタは、私が実家に帰ると、私の足にしがみついて離れようとしませんでした。また、私が傍に行くと、すぐゴロンと横になってお腹を見せるのでした。
あるとき、ウタが行方不明になったことがありました。相変わらず犬を散歩する習慣はなかったので、朝と夜、トイレのために外に放していたのですが、そのまま帰って来なったのです。連れ去られたか、あるいは交通事故に遭って死骸を捨てられたのでないかと親たちは話していました。
ところが、それから1週間経った頃、父親が裏山を歩いていたら、竹藪のなかからこちらを伺っているウタに気付いたのだそうです。驚いた父親が近付いて行くと、ウタは逃げるのだとか。それで、父親は名前を呼びながら懸命に追いかけ、やっと捕まえて家に連れて帰ったということでした。
しかし、そのときのウタはガリガリに痩せて、全身がダニだらけで汚れていたそうです。往診に来た獣医(と言っても、日ごろは馬や牛を診るのが専門ですが)は、車かなにかにぶつかってパニックになり、山に逃げ込んだのではないかと言っていたそうです。
ウタが亡くなったのは、私が上京したあとでした。早朝、母親から電話がかかってきて、沈んだ声で「今、ウタが死んだよ」と告げられたのでした。その数年前には、既に父親も亡くなっていました。
ジョンが死んだときは、死骸を裏山に埋めたのですが、ウタは業者に頼んで火葬して永代供養したそうです。田舎にもいつの間にかペットの時代が訪れていたのです。
ペットロスになったという女性は、姑が死んだときより愛犬が死んだときのほうが数倍悲しかったと言ってましたが、その気持はわからないでもありません。
こうして体調が悪く弱気になっているときに、まるで走馬灯のように昔飼っていた犬の思い出がよみがってくるというのも、自分のなかで彼らがいつまでも変わらない存在としてあるからでしょう。人との関係は、身過ぎ世過ぎによって、ときにその関係が元に戻らないほど変化を来すことがあります。でも、ペットとの間で私たちは傷付くことはありません。だから、(人間の手前勝手なエゴを慰謝するものであるにせよ)ペットは良い思い出として、いつまでも心に残るのでしょう。