ときどきこのブログをやめようかと思うことがあります。特に「社会・時事」のカテゴリーに入っている記事をすべて削除したい衝動に駆られるのです。あとで読み返しても、くだらない床屋政談としか思えません。これではネトウヨと変わらないでしょう。

私のブログで「社会・時事」カテゴリーの記事が多くなったのは、3.11以後です。しかも、「社会・時事」カテゴリーの記事が多くなるにつれアクセスも伸びてきました。世の中の人たちも、3.11以後、原発事故などにより政治的な関心が高くなったのでしょう。スマホによるSNSの普及がそれに輪をかけたような気がします。私も、いつの間にか、反原発や反ヘイト・スピーチや反安倍の周辺にいるような人物が発信するTwitterを定期的にチェックするようになっていました。

しかし最近は、その手のTwitterも、所詮は“政治ごっこ”にすぎないのではないかと思うようになりました。ネットによって政治が身近になったと言われますが、しかし、夜郎自大にそう錯覚しているだけのような気がしてなりません。

一方で私は、アナーキストなどが使う“反政治”ということを考えるようになりました。政治なるものに対して徹底的に絶望し、あらゆるものを否定する。今の世の中でいちばん欠けているのは、そういった絶望する思想なのかもしれません。

私が書きたかったのは、下記のようなブログです。ことばの端々に人生が投影されているような、そんな「私語り」のブログ。その技量があるかどうかは別にして、世の中に向けて発信するというような大それた(勘違いした)ものではなく、日々の移ろいを記録する、そんな自分に向けたブログをホントは書きたかったのです。

神戸市公式サイト
「ごろごろ、神戸2」
第7回 私の東京

私たちは、普段政治なるものを考えて生きているわけではありません。私たちにとって、政治なんてどうだっていいのです。それこそ「取るに足らないもの」です。もっとほかに考えなければならないことはいくらでもあります。本末転倒した床屋政談のようなブログが、あとで読み返して自己嫌悪に陥るのは当然と言えば当然かもしれません。


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2017.07.14 Fri l 日常・その他 l top ▲