
磯部涼『ルポ川崎』(CYZO)を読んだ流れで、ヒップホップグループBAD HOPのドキュメンタリーをYouTubeで観ました。
YouTube
MADE IN KAWASAKI 工業地帯が生んだヒップホップクルー BAD HOP
もう20年以上前ですが、川崎の桜本にある病院にお見舞いに行ったことがありました。そのとき、ちょうどロビーで赤ちゃんを抱いた若い夫婦に遭遇しました。出産した妻が退院するので夫が迎えにきたみたいです。
ただ、二人はどう見てもまだ10代の少年少女でした。しかも、髪はアイパーを当て剃り込みを入れた、見るからにヤンキーといった感じでした。一緒に行った友人は、「ああいった光景はここらではめずらしくないよ」と言ってました。
お見舞いのあと、車を病院の駐車場に置いて、友人が「朝鮮部落」と呼ぶ桜本や池上町を歩きました。友人もまた在日朝鮮人で、実家は都外にあるのですが、桜本や、多摩川をはさんだ対岸の大田区に親戚がいると言ってました。親戚の多くは、もともと鉄くずなどの回収業や土建業をやっていたそうです。
大きな通りから一歩なかに入ると、粗末な造りの家が密集した一帯がありました。しかも、路上に車がずらりと停められているのです。なかには、廃車にされたまま打ち捨てられているのでしょう、原形をとどめないほどボロボロになった車もありました。友人は「みんな、違法駐車だよ」「車庫なんてないよ」と言ってました。
BAD HOPのドキュメンタリーを観ていたら、ふとそのときのことを思い出したのでした。
ドキュメンタリーのなかで、「いちばん好きなライムってありますか?」と質問されて、リーダーのYZERRが答えたのは、つぎのような「Stay」のライム(韻)です。
14でSmoke Weed
15で刺青
16で部屋住み
「部屋住み」というのは、ヤクザの事務所に住み込んで見習いになることです。
「Stay」のBarkのパートには、つぎのようなリリック(歌詞)があります。
オレの生まれた街 朝鮮人 ヤクザが多い
幼い少女がチャーリー 絶えぬレイプ、飛び降り
金のために子どもたちも売人か娼婦へ
生きるために子どもたち罪を犯す罪人かホームレス
こんなところで真面目なんて難しい
積み重なる空き巣に暴行、毎夜の悪さは普通だし
15の頃には数十人まとめて逮捕
それでも一度のことじゃないから反省ない態度
とって繰り返し 気づけば暗がり 切れないつながり黒いつながり
進路は極道かハスラー なるようになったお似合いのカップル
(『ルポ川崎』より転載)
「チャーリー」はコカイン、「ハスラー」はクスリの売人という意味のスラングです。
言うまでもなく、ヒップホップは、70年代にアメリカの黒人やヒスパニックなどマイノリティの社会で生まれたアンダーカルチャーで、人種差別や貧困や犯罪などが背景にあります。川崎の少年たちが、ヒップホップに惹かれていったのは当然でしょう。BAD HOPのラップが体現しているのは、彼らの実体験に基づいた不良文化です。そして、そこで歌われているのは、都市最深部の風景です。
桜本のコミュニティセンター「ふれあい館」の職員であり、みずからも在日コリアンである鈴木健は、“川崎的なるもの”という「ドツボの連鎖」から抜け出すためにも、「BAP HOPの存在は大きい」と言います。
「(略)だからこそ、成功してほしい。これまでも川崎からはラッパーは出てきていますけど、“川崎なるもの”にとらわれて挫折してしまった人もいる。BAD HOPが起こしたムーブメントが大きくなって、どこに行っても彼らにあこがれた子どもたちがラップをしているような現在、仮に彼らが挫折してしまったら、ダメージを受ける子どもたちは多いだろうから」
(同上)
小学生が「将来の夢」の欄に、「ヤクザ」と書くような環境。ヤクザになることが、「普通に育ったヤツが高校に行くのと同じ感覚」のような人生。ヤクザになれないヤツは、クスリの売人か職人になるしかない現実。「そこにもうひとつ、ラッパーという選択肢をつくれたかも」と彼らは言います。自分たちは、ラップによって変われたのだと。先の「Stay」のなかで、Barkもつぎのように歌っています。
この街抜け出すためなら欲望も殺すぜ
ガキの頃と変わらない仲間と目にするShinin
We Are BAD HOP ERA 今じゃドラッグより夢見る売人
また、下記の「Mobb Life」でも、成り上がることを夢見るほとばしるような心情が表現されていました。
掃き溜めからFly
この街抜け出し勝つ俺らが
まだまだ足りない
数えきれんほど手に札束
誰にも見れない
景色を拝みに行くここから
収まらないくらい
俺ら仲間達と稼ぐMoney
YouTube
BAD HOP / Mobb Life feat. YZERR, Benjazzy & T-Pablow (Official Video)
『ルポ川崎』では、川崎を標的にしたヘイト・デモに対してカウンター活動をおこなっているC.R.A.C.KAWASAKIなども取り上げられているのですが、著者は川崎の若者たちで交わされるつぎのようなジョークを紹介していました。
川崎の若者たちと話していると、いわゆるエスニック・ジョークのようなものが盛んに飛び交う。
「お前の親は北朝鮮だろ?」
「ふざけんな、韓国だよ」
「北朝鮮っぽい顔しているんだけどな」
「どっちも同じようなもんだろ。なんなら日本人も」
端で聞いているとぎょっとするが、そのポリティカル・コレクトネスなど知ったことではないというような遠慮のなさは、外国人市民との交流のなさから生まれる被害妄想めいたヘイトとは真逆のものである。
今、読んでいる桐野夏生の新作『路上のX』は渋谷が舞台ですが、やはり都市最深部の風景を描いた小説と言っていいでしょう。『ルポ川崎』のなかに、「自由は尊いが、同時に過酷だ」ということばがありましたが、けだし資本主義社会は自由だけど、同時に過酷なのです。都市最深部の風景が映し出しているのは、差別や貧困や犯罪と共棲する(せざるをえない)過酷な現実です。
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