
ビートたけしが「オフィス北野」から独立して、愛人と一緒に設立した新事務所に移籍するというニュースが話題になっています。ちなみに、(俄かに信じがたいけど)事務所名の「T.Nゴン」というのは、「T」がたけし、「N」が愛人の頭文字で、「ゴン」が二人の愛犬の名前だとか。もしこれが本当なら「色ボケ」と言われても仕方ないでしょう。
ただ、私が興味があるのは、たけしの「色ボケ」より、「世界の北野」などと言われた映画監督・北野武の虚像が、これでようやく白日のもとに暴かれるのではないかということです。
リテラも、今回の“独立騒動”に関して、下記のような記事を掲載していました。
リテラ
ビートたけし「恩人を切り捨て愛人と独立」の報い…“陰の共同監督”を切り捨てて北野映画は撮れるのか
リテラは、休刊した『噂の真相』の旧スタッフたちが中心になって運営されているそうですが、私が知る限り、かつて北野武の虚像を記事にしたのは『噂の真相』だけです。
それで、私は、本棚の奥から『噂の真相』のバッグナンバーを引っぱり出して、関連する記事を読み返してみました。たけしは、独立について、「軍団を含め、これまで背負ってきたものをいったん下ろしたい」と言ったそうですが、記事を読むと、そのことばの意味もなんとなくわかるような気がするのでした。
フライデー事件(1986年)以降、たけしのまわりでは右翼や闇社会の人間たちが見え隠れするようになりました。それは、芸能界復帰に関する右翼団体とのトラブルに、広域暴力団の組長に仲介を頼んだためと言われています。事件をきっかけに、太田プロから独立したのも、そのカラミだったそうです。1992年、新右翼の大物が参院選挙に出馬した際、麻布十番で行われた記者会見の席に、たけしが横山やすしらとともにひな壇に座っていたのも、そういった裏事情があったからなのでしょう。しかし、その手の人間たちも徐々に離れていったと言います。
以下、長くなりますが、記事から引用します。
愛娘、北野井子の売り出しの際、大物右翼の同席の記事が潰される一件があったように、『フライデー』事件以降、たけしの周辺には常に闇人脈が群がっていたのは周知の事実だろう。ところが、いまやその闇人脈でさえたけしから離れていっているのである。(略)
こうした厳しい状況は、たけし本人が一番理解しているだろう。「映画を撮るために、テレビで金を稼いでいる」と虚勢をはるが、本音はわずらわしいテレビの仕事を離れ、映画に集中したいのではないか。
だが、たけしはそれでもなおテレビから離れられないのだ。たけし軍団や前述した愛人たちの存在があるからである。
「今やオフィス北野は完全な映画製作会社で、芸能部門は放し飼いですからね。古株のダンカンやガナル・タカあたりはまだしも井出らっきょあたりは、まだまだたけしの庇護が無ければやっていけない。実際、食い詰めた大森うたえもんが独立したけどすぐに潰れてしまった。軍団を養っていくためにも、たけしは自分の番組を無くすわけにはいかないんだ」(前出・事務所関係者)
そしてもうひとつ。最大の理由が、数々の愛人スキャンダルを乗り切ったことで、今や”マザコン”たけしの母親代わりとして確固たるポジションを得た幹子夫人の存在だ。
たけしのギャラは、基本的にはオフィス北野からたけしの個人事務所である北野企画に支払われているが、この金は幹子夫人がいっさい管理しているという。(略)
妻や弟子たち、さらに愛人たちへの責任をも背負い、どれだけ落ち目になったとしても、たけしはブラウン管でその醜態を晒し続けなければならない事情があるのだ。
(『噂の真相』2002年5月号・『フライデー』スクープで判明した北野武「権威」の残像と凋落との因果)
また、ほかの号では、北野映画について、つぎのような記事を掲載していました。北野映画では、「沈黙」や「無表情」が絶賛されると沈黙や無表情のシーンをやたら増やしたり、青色のトーンが「キタノ・ブルー」と評価を受けると、今度は青色を多用するようになったのだとか。もっとも「キタノ・ブルー」にしても、撮影監督の柳島克己氏が『ソナチネ』でたまたま「そういった色彩で撮っただけ」だそうです。
そして、北野映画において「影の監督」と言われたのが、テレビ朝日からオフィス北野の社長にヘッドハンティングされ、北野映画のプロデューサーを務めた森昌行氏なのです。
「もともとたけしさんは、映画監督としては信じられないくらい無責任な人で、ロケハンも自分はいかず他人まかせ。とくにプロデューサーの森さんにはオンブにダッコで、キャスティングやスタッフの選定も全部決めてもらっていた。今や北野映画に不可欠といわれている久石護の音楽だって、起用を決めたのはたけしさんじゃなく、森さんだしね。ただ、そんなたけしさんも、演出と編集だけは絶対に人に口をはさませなかったんです。(略)ところが、『HANA-BI』から、その演出と編集まで森さんに頼り、ほとんどいいなりになって作ったんです」(前出・元スタッフ)
実際、『HANA-BI』における森の姿はまさに「影の監督」といってもいいものだった。撮影中はたけしにぴったり張りつき、ワンカット撮るたびにたけしとひそひそ話し合い、撮影が終わればラッシュを見て、たけしの相談に乗る――。(略)
しかも、この傾向は作品を重ねるごとに強くなり、「BROTHER」にいたっては、撮影現場にたけしが不在で森がメガホンをとっている光景までが一部で目撃されている。
(『噂の真相2001年3月号・映画「BROTHER」』で絶賛された北野武の映画監督手腕と辛口両断!)
そうやって「世界の北野」が作られていったのです。
既出ですが、ビートたけしは、東日本大震災の前年、『新潮45』に掲載された電事連のパブ記事のなかで、つぎのように発言しています。
原子力発電を批判するような人たちは、すぐに「もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ」とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。 だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。
(『新潮45』2010年6月号)
これもまた、ビートたけしの虚像を表していると言えるでしょう。たけしがイタいのは、滑舌や笑いのセンスや事務所のネーミングだけでなく、その知性や見識においても然りなのです。芸能マスコミは、そんなたけしを持ち上げ、批判を封印し、タブー視していたのです。
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