27日に板門店でおこなわれた文在寅韓国大統領と金正恩朝鮮労働党委員長による南北首脳会談は、「予想」をも裏切るほど画期的なものでした。まさに「歴史的」な会談になったと言ってもいいでしょう。一連の流れが中国(あるいは中朝)主導でおこなわれ、韓国にアメリカとの橋渡しを要請したのは中朝のほうだ、という話は本当ではないかと思いました。いづれにしても、北朝鮮の”本気度”をひしひしと感じました。
同日に発表された「板門店宣言」は、つぎのように謳っています。
The Korean Politics(コリアン・ポリティクス)
[全訳] 「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」【2018南北首脳会談】
当事国の国民ならずとも(同じ東アジアに生きる人間として)、感動を覚える宣言です。
同時に、戦争を回避するために、政治生命を賭けて北朝鮮とアメリカの橋渡しをおこなった文在寅と、排外主義的な「愛国」主義を掲げ、旧宗主国の尊大な態度でネトウヨ的言動をまき散らす安倍や麻生を対比すると、政治家の器の違い、それも大人と子どもほどの違いを痛感させられるのでした。同じ対米従属でも、「愛国」者としての矜持に雲泥の差があるのです。ここにも、「愛国」と「売国」が逆さまになったこの国の戦後の”背理”が示されているように思えてなりません。「愛国心という言葉は嫌いだ」と言った三島由紀夫ではないですが、私たちはまず、この国の「愛国」者こそ疑わなければならないのかもしれません。彼らはホントに「愛国」者なのかと。
韓国の大統領府によれば、金正恩は会談の席上、「『いつでも日本と対話を行う用意がある』と述べた」そうです。
TXNNEWS(テレビ東京)
金正恩氏、日朝対話に意欲表明
これに対し、安倍総理は、「日本も北朝鮮と対話する機会を設け、必要ならば文大統領に助けを求める」と表明し、文在寅も日朝間の対話の橋渡しを「喜んで引き受ける」と述べたそうです。また、安倍総理は、文在寅が会談の席で拉致問題を提起したことに対して、「文大統領の誠意に感謝申し上げたい」と述べたのだとか。
昨日まで、嫌中憎韓を煽っていた「宰相A」が、韓国の大統領に「助けを求める」とは開いた口が塞がりません。これがこの国の「愛国」者なのです。
何度も言っているように、私たちは、民主党→民進党→立憲民主党(+国民民主党)が野党第一党である不幸と同時に、安倍晋三や麻生太郎のような「幼稚な老人」がこの国の指導者である不幸も、併せて痛感せざるを得ないのです。
しかし、それは政治家だけではありません。
私は、首脳会談の中継をテレビ朝日の「ワイド!スクランブル」で観ましたが、スタジオには、辺真一、金恵京、末延吉正、鈴木琢磨、デーブ・スペクターがコメンテーターとして出演していました。
辺真一は、「コリア・レポート」の発行人で、朝鮮問題の専門家。金恵京は、日本大学危機管理学部准教授。末延吉正は、元テレビ朝日政治部部長で現在は東海大学教授。安倍晋三とは同郷で親しく、ブレーンのひとりと言われています。鈴木琢磨は、毎日新聞の編集委員(元『サンデー毎日』記者)で、やはり北朝鮮問題の専門家です。
画面は、板門店の軍事境界線を挟んで両首脳が握手をしているシーンを中継していました。そして、金正恩がまず軍事境界線を跨いで南側に行き、それから金正恩が文在寅を誘って、二人で手を取りながら、今度は北の方に跨いで行ったのでした。
そのとき、鈴木琢磨や辺真一は、我が意を得たとばかりに、「これは北朝鮮の演出ですよ」と興奮気味に言ってました。このシーンが、偉大な首領様が南の指導者を北側に呼び寄せたということになり、北の国民向けのプロパガンダに使われるのだと。そのために、金正恩が文在寅を誘って北側に軍事境界線を跨がせたのだと。文在寅が北側に行った際、金正恩が両手を重ねて文在寅と握手をしていたシーンに、辺真一は、「手を重ねるのは迎える側の礼儀だから、国内向けにわざとそうしているのだ」というような解説まで加えていました。
しかし、翌日の朝鮮中央テレビでは、なんのことはない、軍事境界線を挟んだ一連の行為がノーカットで放送されたのでした。彼らが言うように、北側で両手を重ねて握手するシーンだけが放送されたわけではなく、朝鮮中央テレビになんの演出もなかったのです。
こういったところにも、北朝鮮問題の「専門家」や「識者」のお粗末さがよく表れています。彼らは、北朝鮮について、非情・横暴・嘘八百の独裁国家というありきたりな認識しかなく、「専門家」ズラしながら、近所のおっさんでも言えるようなことをただ言っているだけです。金正恩には深謀遠慮があるから信用できないと言いますが、外交交渉に深謀遠慮があるのは当たり前でしょう。金正恩だけでなく、文在寅にもトランプにも深慮遠謀はあるでしょう。
「核放棄」は金王朝を守るためためなどという論評も、独裁国家という一面しか見てないように思います。アメリカが主張する「完全な非核化」は、田中宇氏が言うように、イラクの「大量破壊兵器」やイランの「核合意」やシリアの「化学兵器」や、あるいは「リビア方式」と呼ばれるリビアの「核廃棄」の例をあげるまでもなく、ともすれば国を潰すための「永遠の濡れ衣」になりかねないのです。それがアメリカの深慮遠謀です。だからこそ、よけい「体制保証」に固執せざるを得ないのでしょう。「体制保証」=金王朝を守るためというのは(その一面はあるにしても)、あまりにも短絡的な見方と言わざるを得ません。それに、金正恩だって、空腹に喘ぐ国民に少しでも食料を配給したいという為政者の顔も当然もっているでしょう。
言うまでもなく、朝鮮戦争は今だ休戦状態にあり、しかも、北朝鮮にとって、戦争終結の交渉相手は韓国ではなくアメリカ(国連軍)です。戦争によって分断された小国が、国家の存亡を賭け、超大国相手に外交戦をおこなわなければならない(ならなかった)のです。それを考えれば、「瀬戸際外交」にも”三分の理”はある(あった)と言えるでしょう。
「核放棄」の問題も、どうして大国が核をもつことは許され、小国が核をもつことは許されないのかという、誰しもが抱く(はずの)素朴な疑問もあって然るべきでしょう。どうして大国の核は「正義」で、小国の核は「悪」なのか。小国が核をもつと、「ならず者国家」と言われるのか。
トランプが”大審問官”のように「正義」を体現して、北朝鮮の「非核化」を裁可し、北朝鮮の国家の命運を決めるというのは、どう考えてもおかしな話です(だから、北朝鮮は中国やロシアに、「体制保証」の後ろ盾になってもらうことを求めたのでしょう)。このように、日本のメディアでは、”裸の王様”がいつの間にか”大審問官”になっているのです。
もうひとつ忘れてはならないのは、独裁国家の中枢における”開明派”の存在です。今回の南北首脳会談で、その存在がはっきりしたことです。彼らは文字通り命を賭けて独裁者に進言したはずです。その際、金正恩が永世中立国のスイスに留学し、少年時代の多感な時期に、”西側”の教育を受けていたということも無視するわけにはいかないでしょう。
しかし、この国の「専門家」や「識者」たちは、国交がなく言いたい放題のことが言えるのをいいことに、「血も涙もない」独裁者を誹謗し、そう印象操作することしか念頭にないかのようです。これでは、櫻井よしこの後釜を狙う三浦瑠麗のスリーパーセル発言や当日もやらかしたデーブ・スペクターのトンチンカンな発言を誰も笑えないでしょう。ガナルカナル・タカや立川志らくの木を見て森を見ない痴呆的なコメントと、たいして違いはないのです。
要するに、「専門家」や「識者」たちは、日本政府の”敵視政策”の枠内で、(「ならず者国家」という)予定調和の発言をしているにすぎないのです。だから、いつもあのように、上から目線なのでしょう。「板門店宣言」についても、日本のメディアはおしなべて懐疑的冷笑的で、朝日から産経まで大きな違いはありません。旧宗主国のバイアスがかかった夜郎自大な国のメディアでは所詮、朝鮮半島の「新しい流れ」を理解することはできないのかもしれません。蚊帳の外に置かれているのは、政府だけでなく、メディアも同じなのです。
同日に発表された「板門店宣言」は、つぎのように謳っています。
The Korean Politics(コリアン・ポリティクス)
[全訳] 「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」【2018南北首脳会談】
3.南と北は朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制構築のために積極的に協力していく。
朝鮮半島での非正常的な現在の停戦状態を終息させ、確固とした平和体制を樹立することは、これ以上、先延ばしすることができない歴史的な課題だ。
(1)南と北はいかなる形態の武力も互いに使わないという不可侵合意を再確認し、これを厳格に遵守する。
(2)南と北は軍事的な緊張が解消し、互いの軍事的な信頼が実質的に構築されることにより、段階的に軍縮を実現していくことにした。
(3)南と北は停戦協定締結から65年になる今年に、終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者、南北米中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした。
(4)南と北は、完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した。
南と北は、北側が行っている主動的な措置が朝鮮半島の非核化のために大きな意義を持ち、重大な措置だという認識を共にし、今後、各々が自己の責任と役割を果たすことにした。
南と北は朝鮮半島の非核化のため、国際社会の支持と協力のために積極的に努力することにした。
当事国の国民ならずとも(同じ東アジアに生きる人間として)、感動を覚える宣言です。
同時に、戦争を回避するために、政治生命を賭けて北朝鮮とアメリカの橋渡しをおこなった文在寅と、排外主義的な「愛国」主義を掲げ、旧宗主国の尊大な態度でネトウヨ的言動をまき散らす安倍や麻生を対比すると、政治家の器の違い、それも大人と子どもほどの違いを痛感させられるのでした。同じ対米従属でも、「愛国」者としての矜持に雲泥の差があるのです。ここにも、「愛国」と「売国」が逆さまになったこの国の戦後の”背理”が示されているように思えてなりません。「愛国心という言葉は嫌いだ」と言った三島由紀夫ではないですが、私たちはまず、この国の「愛国」者こそ疑わなければならないのかもしれません。彼らはホントに「愛国」者なのかと。
韓国の大統領府によれば、金正恩は会談の席上、「『いつでも日本と対話を行う用意がある』と述べた」そうです。
TXNNEWS(テレビ東京)
金正恩氏、日朝対話に意欲表明
これに対し、安倍総理は、「日本も北朝鮮と対話する機会を設け、必要ならば文大統領に助けを求める」と表明し、文在寅も日朝間の対話の橋渡しを「喜んで引き受ける」と述べたそうです。また、安倍総理は、文在寅が会談の席で拉致問題を提起したことに対して、「文大統領の誠意に感謝申し上げたい」と述べたのだとか。
昨日まで、嫌中憎韓を煽っていた「宰相A」が、韓国の大統領に「助けを求める」とは開いた口が塞がりません。これがこの国の「愛国」者なのです。
何度も言っているように、私たちは、民主党→民進党→立憲民主党(+国民民主党)が野党第一党である不幸と同時に、安倍晋三や麻生太郎のような「幼稚な老人」がこの国の指導者である不幸も、併せて痛感せざるを得ないのです。
しかし、それは政治家だけではありません。
私は、首脳会談の中継をテレビ朝日の「ワイド!スクランブル」で観ましたが、スタジオには、辺真一、金恵京、末延吉正、鈴木琢磨、デーブ・スペクターがコメンテーターとして出演していました。
辺真一は、「コリア・レポート」の発行人で、朝鮮問題の専門家。金恵京は、日本大学危機管理学部准教授。末延吉正は、元テレビ朝日政治部部長で現在は東海大学教授。安倍晋三とは同郷で親しく、ブレーンのひとりと言われています。鈴木琢磨は、毎日新聞の編集委員(元『サンデー毎日』記者)で、やはり北朝鮮問題の専門家です。
画面は、板門店の軍事境界線を挟んで両首脳が握手をしているシーンを中継していました。そして、金正恩がまず軍事境界線を跨いで南側に行き、それから金正恩が文在寅を誘って、二人で手を取りながら、今度は北の方に跨いで行ったのでした。
そのとき、鈴木琢磨や辺真一は、我が意を得たとばかりに、「これは北朝鮮の演出ですよ」と興奮気味に言ってました。このシーンが、偉大な首領様が南の指導者を北側に呼び寄せたということになり、北の国民向けのプロパガンダに使われるのだと。そのために、金正恩が文在寅を誘って北側に軍事境界線を跨がせたのだと。文在寅が北側に行った際、金正恩が両手を重ねて文在寅と握手をしていたシーンに、辺真一は、「手を重ねるのは迎える側の礼儀だから、国内向けにわざとそうしているのだ」というような解説まで加えていました。
しかし、翌日の朝鮮中央テレビでは、なんのことはない、軍事境界線を挟んだ一連の行為がノーカットで放送されたのでした。彼らが言うように、北側で両手を重ねて握手するシーンだけが放送されたわけではなく、朝鮮中央テレビになんの演出もなかったのです。
こういったところにも、北朝鮮問題の「専門家」や「識者」のお粗末さがよく表れています。彼らは、北朝鮮について、非情・横暴・嘘八百の独裁国家というありきたりな認識しかなく、「専門家」ズラしながら、近所のおっさんでも言えるようなことをただ言っているだけです。金正恩には深謀遠慮があるから信用できないと言いますが、外交交渉に深謀遠慮があるのは当たり前でしょう。金正恩だけでなく、文在寅にもトランプにも深慮遠謀はあるでしょう。
「核放棄」は金王朝を守るためためなどという論評も、独裁国家という一面しか見てないように思います。アメリカが主張する「完全な非核化」は、田中宇氏が言うように、イラクの「大量破壊兵器」やイランの「核合意」やシリアの「化学兵器」や、あるいは「リビア方式」と呼ばれるリビアの「核廃棄」の例をあげるまでもなく、ともすれば国を潰すための「永遠の濡れ衣」になりかねないのです。それがアメリカの深慮遠謀です。だからこそ、よけい「体制保証」に固執せざるを得ないのでしょう。「体制保証」=金王朝を守るためというのは(その一面はあるにしても)、あまりにも短絡的な見方と言わざるを得ません。それに、金正恩だって、空腹に喘ぐ国民に少しでも食料を配給したいという為政者の顔も当然もっているでしょう。
言うまでもなく、朝鮮戦争は今だ休戦状態にあり、しかも、北朝鮮にとって、戦争終結の交渉相手は韓国ではなくアメリカ(国連軍)です。戦争によって分断された小国が、国家の存亡を賭け、超大国相手に外交戦をおこなわなければならない(ならなかった)のです。それを考えれば、「瀬戸際外交」にも”三分の理”はある(あった)と言えるでしょう。
「核放棄」の問題も、どうして大国が核をもつことは許され、小国が核をもつことは許されないのかという、誰しもが抱く(はずの)素朴な疑問もあって然るべきでしょう。どうして大国の核は「正義」で、小国の核は「悪」なのか。小国が核をもつと、「ならず者国家」と言われるのか。
トランプが”大審問官”のように「正義」を体現して、北朝鮮の「非核化」を裁可し、北朝鮮の国家の命運を決めるというのは、どう考えてもおかしな話です(だから、北朝鮮は中国やロシアに、「体制保証」の後ろ盾になってもらうことを求めたのでしょう)。このように、日本のメディアでは、”裸の王様”がいつの間にか”大審問官”になっているのです。
もうひとつ忘れてはならないのは、独裁国家の中枢における”開明派”の存在です。今回の南北首脳会談で、その存在がはっきりしたことです。彼らは文字通り命を賭けて独裁者に進言したはずです。その際、金正恩が永世中立国のスイスに留学し、少年時代の多感な時期に、”西側”の教育を受けていたということも無視するわけにはいかないでしょう。
しかし、この国の「専門家」や「識者」たちは、国交がなく言いたい放題のことが言えるのをいいことに、「血も涙もない」独裁者を誹謗し、そう印象操作することしか念頭にないかのようです。これでは、櫻井よしこの後釜を狙う三浦瑠麗のスリーパーセル発言や当日もやらかしたデーブ・スペクターのトンチンカンな発言を誰も笑えないでしょう。ガナルカナル・タカや立川志らくの木を見て森を見ない痴呆的なコメントと、たいして違いはないのです。
要するに、「専門家」や「識者」たちは、日本政府の”敵視政策”の枠内で、(「ならず者国家」という)予定調和の発言をしているにすぎないのです。だから、いつもあのように、上から目線なのでしょう。「板門店宣言」についても、日本のメディアはおしなべて懐疑的冷笑的で、朝日から産経まで大きな違いはありません。旧宗主国のバイアスがかかった夜郎自大な国のメディアでは所詮、朝鮮半島の「新しい流れ」を理解することはできないのかもしれません。蚊帳の外に置かれているのは、政府だけでなく、メディアも同じなのです。