
橋本健二氏(早稲田大学教授)の『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)がベストセラーになっているそうです。
本自体は、如何にも大学の先生が書いた本らしく数字のデータが多いので、ややわかりにくくて退屈するきらいがあります。それで、というわけではないでしょうが、『週刊ダイヤモンド』(2018年4月7日号)が、特集(「新・階級社会」)を組んで、同書をわかりやすく解説していました。
日本で格差拡大がはじまったのは1980年前後で、既に40年近く格差拡大がつづいているそうです。その結果、日本の社会に、「生まれた家庭や就職時期の経済状況によって決まる『現代版カースト』ともいえる世界」が現出したのです。
「新・階級社会」は、以下の五つに分かれるそうです。
1.「企業規模5人以上の経営者・役員」で構成される「資本家階級」。
人口の4.1%・254万人。個人の平均年収(2015年)604万円。世帯の平均年収(同)1060万円。
2.「管理職・専門職」で構成される「新中間階級」。
人口の20.6%・1285万人。個人の平均年収(同)499万円。世帯の平均年収(同)798万円。
3.「単純事務職・販売職・サービス職・その他マニュアル労働者」で構成される「労働者階級」。
人口の35.1%・2192万人。個人の平均年収(同)370万円。世帯の平均年収(同)630万円。
4.「自営業者・家族従事者」で構成される「旧中間階級」。
人口12.9%・806万人。個人の平均年収(同)303万円。世帯の平均年収(同)587万円。
5.「非正規労働者(パート・アルバイト・派遣労働者)」で構成される「アンダークラス」。
人口14.9%・929万人。個人の平均年収(同)186万円。世帯の平均年収(同)343万円。
しかも、このなかで、2005年と比べて2015年の個人及び世帯の平均年収がアップしているのは、「労働者階級」だけです。そのため、ほかの階級に属する人たちは、上のクラスに上がるどころか、下のクラスに転落するリスクのほうが大きいのです。
でも、下に転落するクラスがあるだけまだマシかもしれません。最下層の「アンダークラス」は、転落することさえままならず、貧困率や未婚率が上がるだけです。
しかも、「アンダークラス」にとって、外国人労働者の存在も無視できなくなっているのです。外国人労働者は、過去5年間で60万人増えて120万になっているそうです。外国人の低賃金労働者の増加が、「アンダークラス」の賃金が上がらない要因になっているのです。
橋本健二氏は、『新・日本の階級社会』で、「アンダークラス」について、つぎのように書いています。
収入はきわめて低く、貧困率は三八・七%、女性に限れば四八・五%にも達している。彼ら・彼女らは、安定した家族が形成・維持できない状態にある。男性の有配偶率はわずか二五・七%で、六六・四%が結婚の経験をもたない。女性では離死別者が多く、これら離死別者の貧困率はきわだって高い。
また、『週刊ダイヤモンド』の対談でも、つぎのように言っていました。
橋本 (略)近現代の日本で、初めて貧困であるが故に結婚して家族を構成して子どもを産み育てることができないという、構造的な位置に置かれた人が数百万単位で出現した事実は非常に重いです。
しかも、上の世代がまだ50歳ですから、あと20年くらい働き続けるかもしれない。その下の世代まで含めると、最終的にはアンダークラスが1000万人を超えると思っています。そのとき、よくやく一番上の人が70歳になり生活保護を受けるようになって、定常状態に達するというのが私が予想する近未来の日本です。
(河野龍太郎氏との対談「再分配の機能不全で”日本沈没”」)
一方で、富が偏在している現状があります。
野村総合研究所の推計によると、家計のもつ金融資産総額は一四〇二兆円である。しかしこの分布は著しく偏っており、五億円以上をもつ七・三万世帯の超富裕層が七五兆円、一億円以上五億円未満の一一四・四万世帯の富裕層が一九七兆円、五〇〇〇万円以上一億円未満の準富裕層三一四・九万世帯が二四五兆円の金融資産を所有している。合計四三六・六万世帯、全体の八・三%を占めるに過ぎないこれらの世帯の金融資産が、五一七兆円、全体の三六・九%を占めるのである(野村総合研究所「日本の富裕層は一二二万世帯、純金融資産総額は二七二兆円」)。
『新・日本の階級社会』
橋本氏は、この格差を縮小する方法として、階級そのものをなくす社会主義革命は「ひとまず措」くと書いていました。そして、政策的に実現可能な方法として、①賃金格差の縮小、②所得の再分配、③所得格差を生む原因の解消をあげていました。そのためには「リベラル派の結集」が必要なのだと。
なんだか竜頭蛇尾のような話で興ざめせざるを得ません。「リベラル派」って何?と突っ込みを入れたくなりました。社会の構造を根本から変えない限り、格差が解消できないのは論を俟たないでしょう。
もっとも、橋本氏も、『現代の理論』(ウェブ版)の論考においては、ルンペンプロレタリアートによる革命(竹中労の言う「窮民革命」)を主張する永山則夫の「驚産党宣言」を引き合いに出して、つぎのように書いていました。
現代の理論(第15号)
「新しい階級社会」とアンダークラス
アンダークラスの絶望は、しばしば犯罪として噴出する。アンダークラスの全体が犯罪予備軍であるかのような偏見は、慎まなければならない。しかし秋葉原大量殺傷事件を思い出すまでもなく、無差別殺傷事件、サイバー犯罪、振り込め詐欺、野宿者襲撃などで逮捕された若者たちの多くが無職や非正規労働者である。切羽詰まったあげくに、犯罪へと追いやられやすい若者たちが、ある程度の数いるのは否定できまい。
永山則夫は獄中から、ルンペンプロレタリアートたちに「地下生活者の魂を発起し(原文のまま)、あくまでも地下組織を通じてドブネズミの如く都市を動揺せしめよ。……。強盗よし、暗殺よし、敵権力機構の破壊よし、あらゆる手段・方法を自由に用いて闘わなければならない」と呼びかけた。それが現実のものになっているのかもしれないのである。
犯罪もまた、ある種の”大衆叛乱”と言えなくもないのです。水野和夫氏は、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)のなかで、グローバリゼーションにとっては、資本が主人で国家は使用人のようなものだ、と書いていましたが、実体経済の数倍の200兆円とも300兆円とも言われるバーチャルなマネーが、金融工学で編み出されたシステムを使い、瞬時の利益を求めて日々世界中を徘徊している金融資本主義にとって、たしかに国民国家なんて足手まといでしかないのかもしれません。株式市場がマネーゲームの賭場と化し、実体経済とかけ離れたものになっているというのは、誰しもが認める現実でしょう。私は、その話を聞いたとき、「資本主義の臨界点としての社会主義」(鷲田小彌太氏)ということばを思い浮かべました。
社会主義や革命なんて、もはや終わった歴史のように考えがちですが、一方で、このようなあらたな階級社会が出現している現実を考えると、(それが悪魔のささやきであることはわかっていても)社会主義や革命の”理想”がよみがえってくるような気がするのでした。「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し」(「インターナショナル」)という歌詞を再び口ずさむが日が訪れるかもしれません。
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