愛しきソナ


今、映画監督のヤン・ヨンヒ氏の小説・『朝鮮大学校物語』(角川書店)を読んでいるのですが、それで思うところがあって、同監督の「愛しきソナ」(2011年)をNetflixで観ました。「愛しきソナ」を観たのは、これで二度目です。

大阪の鶴橋に住む在日朝鮮人の一家。1970年代の初め、18歳・16歳・14歳の息子三人は、当時「地上の楽園」と言われた北朝鮮に帰国します。日本に残ったのは、朝鮮総連の幹部であった父親と母親、それにまだ6歳のひとり娘(ヤン・ヨンヒ監督)でした。

やがて三人の息子はそれぞれ家庭をもち、両親には北朝鮮に八人の孫がいます。三人の息子の生活は、日本からの仕送りで支えられています。母親からの仕送りは、兄たち家族の「生命線」だと映画のなかで言ってました。お金や薬、それに風呂釜まで送られたそうです。

「愛しきソナ」は、次兄の娘・ソナにフォーカスを当て、1995年から10年以上に渡り、北朝鮮と日本に分かれた一家の悲喜こもごもの交流を記録したドキュメンタリー映画です。

ソナが5歳のとき、実母が子宮外妊娠で亡くなります。一周忌のために訪朝した際に撮られた、ソナが母親の墓前で、受験のときに覚えたという「将軍様」を讃える詩を暗唱するシーンは、なんだかせつないものがありました。

ソナの父親にとって、ソナの母親は二度目の妻でした。妻の死から二年後、次兄は三度目の結婚をします。母親は、今回も結婚式の費用はもちろん、花嫁衣装やブーケまで日本からもって行ったのでした。

一方、長男は、日本にいるときはコーヒーとクラシック音楽が好きだったそうですが、北朝鮮に渡ったのち、躁うつ病になります。その薬も日本から送っていました。しかし、薬の催促のためにかかってきた国際電話で、薬事法の改正で患者本人でないと薬を処方してもらえなくなったので、薬を送ることができなくなった、と母親が説明するシーンがありました。

その長男も、息子に音楽家になる夢を託して2009年に亡くなるのでした。同じ2009年11月、脳梗塞で倒れた父親も亡くなります。また、ヤン・ヨンヒ監督も、前作「ディア・ピョンヤン」(2006年)が北朝鮮当局に問題視され、入国禁止を言い渡されるのでした。

どんな国に生まれても、子どもたちの小さな胸には夢がいっぱい詰まっており、子どもたちは天真爛漫に生きているのです。ただ、舞台が北朝鮮だと、どうして天真爛漫さが哀しく映るんだろうと思いました。

ピョンヤンの劇場の前の階段に、小学生のソナと監督の二人が座り、カメラを止め、日本では休日にどんなことをするのかとか、日本の演劇では誰が好きかといったことを話すシーンも(映画のなかでは、黒い画面に会話の文字が映し出されるだけですが)、印象に残りました。ソナは、「わからないけど、聞いているだけで楽しい」と言うのでした。

映画のなかで、「そっちに行くのも難儀でな」「国交が正常化したら行き来しような」と父親が電話で話すシーンがありましたが、今回の融和ムードを祈るような気持で見ている在日朝鮮人も多いことでしょう。

「政治の幅は生活の幅より狭い」(埴谷雄高)のです。それは、北朝鮮で生きる人たちだって同じでしょう。私たちは、北朝鮮のことを考える上で、その”当たり前の事実”を忘れてはならないのです。

政治に翻弄され、家族がバラバラになった朝鮮人にとって(北朝鮮によって家族が引き裂かれた拉致被害者の家族にとっても)、今回の融和ムードは掛け値なしに喜ぶべきことでしょう。トランプや金正恩の政治的思惑などどうだっていいはずです。戦争より平和のほうがいいに決まっているのです。それがすべての前提でしょう。


YouTube
「愛しきソナ」予告編
関連記事:
「かぞくのくに」
2018.05.16 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲