昨日今日とたてつづけに、朝日新聞に秋葉原事件に関連する記事が掲載されていました。どうしてだろうと思ったら、事件が起きたのが2008年6月8日で、ちょうど今日が10年目に当たるのだそうです。

朝日新聞デジタル
秋葉原事件10年、死刑囚の父は今 明かりともさず生活
秋葉原で重傷、「なぜ」追い求め10年 死刑囚との手紙
「絶対に忘れない」 秋葉原無差別殺傷事件から10年
秋葉原で重傷の男性、発生時間に献花「10年は通過点」
今なお共鳴、加藤死刑囚の孤独 ネットに書き込み絶えず

私は、以前、加藤智大死刑囚が書いた『東拘永夜抄』を読んだことがありますが、そこにあるのは、中島岳志氏も指摘しているように、青森県で有数の進学校に入ったものの、周囲が期待する大学に進むことができなかった挫折をいつまでも引き摺るナイーブな心と、たとえ仲のいい友達がいても心を通わせることができない孤独な心でした。そのため、人間関係が原因で何度も会社を辞めているのでした。

そして、行き着いたのが、派遣工として派遣会社を転々とする生活でした。派遣会社が用意したアパートでのかりそめの生活。それは、飯場を渡り歩く昔の労務者(自由労働者)と同じです。ただ、「派遣」や「ワンルームマンション」など、呼び方が現代風に変わっただけです。そんな生活では、ナイーブな心や孤独な心がますます内向していくのは当然でしょう。

秋葉原事件も、大阪教育大学附属池田小学校の事件や土浦の通り魔事件と同じように、自暴自棄な自殺願望が衝動的な犯罪へ向かったと言えるのかもしれません。ただ、その背景には、個人のキャラクターだけでは捉えきれない、社会的な問題も伏在しているように思います。生きづらさを抱く若者をさらに孤立させ追いつめていったものが、この社会にあったのではないか。

手前味噌ですが、私は、事件直後に下記のような記事を書きました。読み返すと、多少の事実誤認はあるものの、リアルなのは右か左ではなく上か下なのだとあらためて思うのでした。

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秋葉原事件
2018.06.08 Fri l 社会・メディア l top ▲