昨日、田舎の高校の同級生から電話がありました。先月、お父さんが亡くなったということでした。
具合が急変し救急車を呼んで病院に運んだことや、病院で延命処置について担当医から説明を受けたことや、息を引き取ったあと病院から斎場の安置所まで運んだことなどを淡々と話していました。
救急車で運ばれた病院は、私の叔父が運ばれた病院と同じでした。叔父もまた、その病院で息を引き取ったのでした。
二月に帰省した折、彼と喫茶店に入ったのですが、その喫茶店の前が家族葬専門の斎場でした。と言っても、外から見ても葬儀場とわからないような、普通の集会所のような建物です。
喫茶店の窓から斎場の様子を見ながら、彼は、何人かの同級生の名前を上げて、何々のお父さんや何々のお母さんの葬儀がここでおこなわれたんだぞと言っていました。
私も彼のお父さんには何度も会っています。彼とは大学受験の際、一緒に上京したのですが、お父さんも駅まで見送りに来ていました。中学校の先生をしていましたが、私たちにとってはちょっと怖い存在でした。
あの頃は、親たちもみんな若かったのです。受験の下見のために、彼と二人でお茶の水の通りを歩いていたら、偶然、やはり受験で上京していた高校の同級生に会ったことがありました。同級生は、付き添いのお父さんと一緒でした。聞けば、その同級生のお父さんも既に亡くなっているそうです。
彼の話を聞いていたら、たまらず田舎に帰りたくなりました。二月に帰ったときも、「お前が高校のときに下宿していた旅館があったろう? あの××旅館が取り壊されて更地になっているぞ」と言って、車で連れて行ってくれたのですが、もう一度、なつかしい場所を訪ねて歩きたいと思いました。
学校から帰る途中、坂の上から見た海の風景。家と家の間を、陽炎に包まれた船が、まるでスローモーションのようにゆっくりと横切って行くのでした。年を取ってくると、生きるよすがとなるのは、そういった記憶なのです。
東日本大震災のときも紹介しましたが、『「かなしみ」の哲学 日本精神史の源をさぐる』(NHKブックス)の著者・竹内静一氏は、死の別れについて、次のように書いていました。
竹内氏は、「悲哀の仕事」について、「対象喪失をめぐる自然な心のプロセスの完成」という言い方をしていました。「死んでいく者と遺された者は、たがいの『悲しみ』の中で、はじめて死というものに出会う」のです。故人を忍び悲しみに涙することは、遺された人間にとっても、精神的にも大事なことなのでしょう。その意味でも、世事に煩わされず「身内だけで見送る」家族葬や直葬が多くなっているのは、とてもいいことだと思いました。
具合が急変し救急車を呼んで病院に運んだことや、病院で延命処置について担当医から説明を受けたことや、息を引き取ったあと病院から斎場の安置所まで運んだことなどを淡々と話していました。
救急車で運ばれた病院は、私の叔父が運ばれた病院と同じでした。叔父もまた、その病院で息を引き取ったのでした。
二月に帰省した折、彼と喫茶店に入ったのですが、その喫茶店の前が家族葬専門の斎場でした。と言っても、外から見ても葬儀場とわからないような、普通の集会所のような建物です。
喫茶店の窓から斎場の様子を見ながら、彼は、何人かの同級生の名前を上げて、何々のお父さんや何々のお母さんの葬儀がここでおこなわれたんだぞと言っていました。
私も彼のお父さんには何度も会っています。彼とは大学受験の際、一緒に上京したのですが、お父さんも駅まで見送りに来ていました。中学校の先生をしていましたが、私たちにとってはちょっと怖い存在でした。
あの頃は、親たちもみんな若かったのです。受験の下見のために、彼と二人でお茶の水の通りを歩いていたら、偶然、やはり受験で上京していた高校の同級生に会ったことがありました。同級生は、付き添いのお父さんと一緒でした。聞けば、その同級生のお父さんも既に亡くなっているそうです。
彼の話を聞いていたら、たまらず田舎に帰りたくなりました。二月に帰ったときも、「お前が高校のときに下宿していた旅館があったろう? あの××旅館が取り壊されて更地になっているぞ」と言って、車で連れて行ってくれたのですが、もう一度、なつかしい場所を訪ねて歩きたいと思いました。
学校から帰る途中、坂の上から見た海の風景。家と家の間を、陽炎に包まれた船が、まるでスローモーションのようにゆっくりと横切って行くのでした。年を取ってくると、生きるよすがとなるのは、そういった記憶なのです。
東日本大震災のときも紹介しましたが、『「かなしみ」の哲学 日本精神史の源をさぐる』(NHKブックス)の著者・竹内静一氏は、死の別れについて、次のように書いていました。
柳田邦男は、物語を語れ、一人ひとりの物語を創れ、ということを提唱している。とりわけ死という事態を前にしたとき、それまでの人生でバラバラであった出来事を一つのストーリーにまとめて物語にし、「ああ、自分の人生ってこういう人生だった」と思いえたとき、人は、みずからの死を受け入れやすくなるのだというのである。
「弔う」とは、もともと「問う」ことであり、「訪う」ことである。死者を訪問して、死者の思いを問うことである。さきの柳田邦男の言葉でいえば、死者の「物語」を聴きとめることである。そのようにして死者の「物語」を完結させることが、同時に、こちら側の「悲哀の仕事」をも完遂させていくことになるということであろう。
竹内氏は、「悲哀の仕事」について、「対象喪失をめぐる自然な心のプロセスの完成」という言い方をしていました。「死んでいく者と遺された者は、たがいの『悲しみ』の中で、はじめて死というものに出会う」のです。故人を忍び悲しみに涙することは、遺された人間にとっても、精神的にも大事なことなのでしょう。その意味でも、世事に煩わされず「身内だけで見送る」家族葬や直葬が多くなっているのは、とてもいいことだと思いました。