日本が2大会ぶりに決勝トーナメントに進出しましたが、終盤に露骨な時間稼ぎをおこなった日本チームを見て、なんだこりゃと思いました。実況アナウンサーは、「日本の冷静な判断が大きな力になりました」とわけのわからないことを言ってました。

タツゥーだらけの選手がまるで酸欠に陥った鳥のようにバタバタ倒れて、大仰に「ファウルだ」「PKだ」「FKだ」とアピールする南米のチームは見苦しくてうんざりさせられますが(ブラジルなんて負ければいいと思います)、日本の時間稼ぎも同様に見苦しいものでした。

そもそも、今大会から導入されたフェアプレーポイント(Tポイントじゃないんだから)なるものも問題ありです。フェアプレーと言うなら、日本のような時間稼ぎにも積極的にイエローカードを出すべきでしょう。でないと、今回のように、フェアプレーポイントを守るためにフェアプレーを放棄するという矛盾が出てくるのです。

日本は勝ち試合で時間稼ぎをしたのではないのです。ドローでもない。負け試合なのに、フェアプレーポイントの恩恵を受けるために時間稼ぎをしたのです。スポーツとしては、あり得ない話でしょう。

試合後、選手たちは、アンフェアな時間稼ぎには頬かむりして、「決勝トーナメントでは成し遂げた事のない結果を出したい」「歴史を変えたい」などと言ってましたが、なんだか真珠湾攻撃のときの軍部の口調と似ているように思いました。真珠湾攻撃も、手段を選ばず勝ちに行ったのですが、その結果、身の程知らずの破滅への道を暴走することになったのでした。

あのときも日本人は、「ニッポン、凄い!」と歓喜の声を上げたのです。そして、同じように、試合後の渋谷のスクランブル交差点では、サッカーファンたちが日の丸の小旗を打ち振りながら、「ニッポン、凄い!」と歓喜の声を上げているのです。

日本が決勝トーナメント進出を果たしたのは、一にも二にもコロンビアのお陰です。日本のサッカーファンは、コロンビアに足を向けて寝ることはできないでしょう。コロンビアも、日本戦以後は本来の力を発揮していたように思います。初戦の日本戦の不調はなんだったんだと思わざるを得ません。

たしかに、二戦目のセネガル戦に関しては、日本は健闘したと言っていいでしょう。決勝トーナメント進出は、その健闘が生きたという声もありますが、でも、それも牽強付会と言わざるを得ません。

余談ですが、ワールドカップの会場で、試合後に日本人サポーターたちのゴミ拾いをする様子が話題になっているという報道がありました。これも、日本のメディアの手にかかれば「ニッポン、凄い!」話になるのです。Jリーグでもそういう光景は見られますが、しかし、一方で、渋谷のスクランブル交差点でサポーターが大騒ぎした翌朝の渋谷駅周辺は、散らかし放題でゴミだらけです。商店街の旧知の店主は、「テレビが煽るからだよ」「迷惑だよ」と嘆いていました。これも、ニッポン的な建て前(表向きの顔)と本音(裏の顔)なのかと思いました。

先日、表参道で食事をしていたら、隣の席で若い女の子たちがワールドカップの話をしていました。

「サッカーって大袈裟すぎない?」「だってさ、どう見ても、たまたま目の前に転がってきたボールを蹴ったらゴールに入った感じなのに、解説者は、計算された結果だ、ゴールも必然だ、みたいに興奮して言うのよ。バカみたい」

たしかに、サッカーってただの玉蹴りにすぎないのです。その起源も、イングランドの田舎町でおこなわれていた寒さ凌ぎの玉蹴り合戦だったと言われています。女の子たちが言うように、サッカーは偶然の要素が大きいのも事実です。だから、番狂わせも多いのでしょう。偶然と見るか、必然と見るかによって、サッカーに対する見方も違ってくるでしょうし、サッカーの魅力をどうとらえるかも違ってくるでしょう。

所謂、サッカー通のコアなファンというのは、偶然にすぎないものを、必然と強弁して悦に入る、そうやって思考停止に陥る「バカみたい」な人間たちです。日本の時間稼ぎについても、「あれがサッカーだ」「フェアじゃないと批判するのはサッカーを知らない人間だ」などと言ってますが、彼らは、いつもそうやって現実を追認することで通ぶっている(サッカーを知っているふりをしている)だけです。むしろ、サッカーを巡る熱狂を冷めた目で見る原宿の女の子たちのほうが、サッカーの本質(魅力)を見抜いていると言えるのかもしれません。
2018.06.29 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲