私は、ベルギーが優勝候補の最有力と思っていましたので、日本が2点先制したときは、「まさか」と思いました。ただ、2点先制されるまでのベルギーは、油断していたのか、ナメていたのか、パスミスが多く、動きもチグハグでした。日本のほうがはるかにシステムが機能していました。

アルゼンチンやポルトガルの例を上げるまでもなく、ひとりのスーパースターにボールを集めるようなスタイルのサッカーは、もう終わりつつあるのです。ヨーロッパの5大リーグのようなところでは、客寄せの“ショー”として有効かもしれませんが、ワールドカップでは通用しなくなっているのです。世界の主流が、ヨーロッパスタイルと言われる、連携重視の組織的なサッカーになっているのは、多くの人が指摘するとおりです。

前半のベルギーは、アザールがセンタリングを上げて、ルカクがゴール前に飛び込むというパターンをくり返すだけでした。そういったワンパターンのサッカーには、ルカクをよく知っている吉田麻也ら日本の守備は有効でした。

3対2という得点差を上げて、「日本のサッカーは確実に進化している」「世界との差は縮まっている」などという声がありますが、それはいつもの翼賛的なサッカーメディアのおためごかしな意見にすぎません。4年前も8年前も、同じことが言われました。

日本のサッカーのためには、むしろ3対0で完敗したほうがよかったのではないかと思ったりします。「あと一歩」というような情緒的な総括では、日本のサッカーの課題を見つけることはできないでしょう。偶然の要素が大きいサッカーには番狂わせがつきものですが、とは言え、そう何度も番狂わせがあるわけではないのです。

2点先取したにもかかわらず、後半30分足らずの間に3点取られて逆転されたという事実にこそ、世界との差が表れているのだと思います。しかし、感情を煽るだけのサッカーメディアや、ただサッカーメディアに煽られるだけの単細胞なサッカーファンに、そんな冷静な視点は皆無です。

よその国だったら、むしろ短時間の間に逆転された問題点が指摘されるはずです。敗退したのに、「感動をありがとう!」「元気をもらった!」なんて言われて、敗因を問われることがないのは日本くらいでしょう。

今朝のテレビでも、「日本中が熱狂」「心が震えた」などということばが躍っていますが、そんなに「感動」を求めるなら、「宰相A」に頼んで戦争でもしてもらえばいいのです。戦争なら、サッカーどころではない「熱狂」を得られるでしょうし、もっと大きな「心が震える」感動を味わうこともできるでしょう。スポーツバーならぬ”戦争バー”でも作って、「ニッポン、凄い!」と感動を分かち合えばいいのです。そうすれば、渋谷のスクランブル交差点を日の丸の小旗を打ち振りながら堂々と行進できるでしょう。
2018.07.03 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲