あるツイッターを見ていたら、下記の藤原新也氏のブログが紹介されていました。

Shinya talk
理稀ちゃん救出劇雑感。(Catwalkより転載)

理稀ちゃんを救出した尾畠さんは、上空に「カラスがカーカーうるそう鳴く」「とりやま(鳥山)」を見たのではないか。そして、その「とりやま」を目印に理稀ちゃんを発見できたのではないか、と藤原氏は書いていました。

このとりやま(鳥山)は海にも立つが陸や山にも立つ。

そしてそのとりやまの下には獲物があるということだ。

その獲物は生きている場合もあり死んでいる場合もある。

ちなみに東日本大震災の現場では陸地に多くのとりやまが立った。

その下に溺死体があったからだ。

とくにカラスのような物見高い鳥は何か下界で異変があると騒ぎ立てる習性がある。

これは日常的に死体が転がっているインドにおいても同じことである。


そう言えば、救出される前の報道の中に、「捜索隊の人はカラスが鳴いている場所を中心に捜索すると言ってました」という理稀ちゃんの祖父の発言がありました。そのとき、私は、なんだか残酷な気がしたのでした。

尾畠さんは、大分県日出町出身で、65歳まで隣の別府市で鮮魚店を営んでいたそうです。私が通った別府の高校の同級生にも、漢字は違いますが、日出町から来ていた「おばた」姓の人間がいました。また、現在、尾畠さんの自宅がある地区にも、何人かの同級生の実家がありました。

同じ田舎の出の人間として、藤原新也氏の「とりやま」の話はよくわかるのです。藤原氏が住む千葉の房総でも、「カラスの振る舞いは人の死を予見するという言い伝えがある」そうですが、私の田舎にもその言い伝えがありました。

私は、中学までは熊本県境に近い久住連山の麓の町で育ちましたが、「とりやま」という呼び名は知らなかったものの、カラスが鳴くと不幸事があるという言い伝えは子供の頃から共有していました。

上空でカラスがカーァカーァ鳴くと、親が「気味が悪りぃ。不吉な知らせじゃ」と言ってました。そして、親の言うとおり、カラスが鳴くと不思議と不幸事があるのでした。

つまり普段カラスが飛ばぬような上空に円を描くようにカラスが群れ飛ぶとその真下の家の誰かが死んでいるか、あるは死に行く人がいるということを鋭敏に感じとっているというわけである。


よく“自然の神秘”と言いますが、自然には「言語化」できない“神秘”がまだ残っているのでしょう。
2018.08.18 Sat l 故郷 l top ▲