岐阜市の病院で、80代の入院患者が相次いで死亡したのは、エアコンが故障していたことによる熱中症が原因ではないかという問題が浮上しています。岐阜県警も、業務上過失致死の疑いで、家宅捜索を行ったというニュースもありました。
テレビのワイドショーでは、「殺人罪」の容疑も視野に入っていると言ってましたが、仮に、エアコンの故障が原因で熱中症で亡くなったにしても、「殺人罪」が適用されるなどあり得ないでしょう。
病院はエアコンが故障したため扇風機を使っていたそうですが、当然、看護婦や介護職員も患者をケアするために部屋に出入りしていたでしょうし、食事も毎日運んでいたでしょう。業務上過失致死だって難しいのではないかと思います。
私は、医療の現場を間近で見た経験から、この問題を自分なりに考えてみました。
件の病院は、「終末期医療」を担う療養型病床が主体の、所謂「老人病院」だったようです。昔と違って、今は医療費を圧縮するために国の方針が細分化され、それに伴って病院も機能別に細かく分かれています。大きく分けて高度急性期・急性期・回復期・慢性期の四つに分かれており、通常、私たちがイメージする病院は、大学病院などの高度急性期と総合病院の急性期の病院でしょう。外来が活発なのも、この二つの病院です。
当然、医療の質も違ってきます。建前上、質に違いはないことになっていますが、ドクターや看護師などの質は全然違います。そもそも医療設備からして違います。「終末期医療」と言えば聞こえはいいですが、それは手厚いケアが行われる大病院の緩和病棟などとは似て非なるものなのです。
私の知っている病院(回復期と慢性期を兼ねる病院)は、開業して10年も経ってないホテルのようなきれいな病院で、他の病院に比べて「患者の(所得)レベルが高い」と言われていますが、それでも入院患者の3割は家族がほとんど面会に来ないそうです。
この問題が浮上したのは、死亡した患者の成年後見人が警察におかしいと訴えたからだそうですが、では、家族からのクレームはどうしてなかったのかと思いました。今の病院は、昔と違って家族からのクレームに敏感です。家族は見舞いにも来てなかったのではないか。あるいは、身寄りのない患者が多かったのかもしれません。
ワイドショーを見ていたら、入院患者が救急車で移送されたとかで、レポーターたちが大騒ぎしていましたが、「老人病院」はあくまで慢性期の療養型病床なので、容態が急変したら、急性期の病院に救急搬送するのはよくあることです。なにか事件でも起きたかのように大騒ぎするような話ではないのです。ワイドショーは全てがこのレベルです。
旧大口病院での「大量殺人」でも、犯人の看護師が稀代の殺人鬼のように報道されていますが、私は、彼女はメンヘラだったように思えてなりません。医療従事者は、仕事の重圧に加えて職場の人間関係にも悩ませられるので、メンヘラになる人間が多いのです。まして「姨捨山」と陰口を叩かれるような「終末期医療」の実態を目にすると、ある種の“衝動”に駆られることがないとは言えないでしょう。「終末期医療」の「老人病院」の場合、「看取り」の確認書や指示書を家族から貰うのが通例ですが、その多くが延命処置を行わず自然に任せるのが希望だと言われています。
看護師はどこの病院も人手不足で(まして「老人病院」はよけいそうです)、みんな疲弊しています。旧大口病院の彼女の場合は、点滴に界面活性剤を混入したと言われていますが、疲弊し情緒不安定になった中で、喉に通した管を抜くだけでこの患者は楽になるのだ、と耳元で悪魔に囁かれることだってあるかもしれません。家族からも見捨てられ、生命維持装置を付けられてただ死を待つだけの患者。そういった現場を日常的に見ていると、人の死に対して、ナイーブな感覚もマヒしていくでしょう。残る砦は、人の命は地球より重いなどという20世紀の人権思想(ヒューマニズム)だけです。子供から「どうして人を殺してはいけないの?」と問われて、しどろもどろになるような思想だけなのです。
社会の片隅に追いやられ、決して恵まれているとは言えない医療環境で人生の終わりを迎える老人たち。一日に4人が亡くなるのも、「老人病院」だったらあり得ない話ではないでしょう。それをとんでもないことのように言うメディア。責任逃れのために、病院に立ち入り検査をする小役人たち。彼らは、法に定められた医療監視を行っているはずなのです。立ち入り検査も、メディア向けのパフォーマンスのようにしか思えません。世間の人間も含めて、みんな、自分たちの無関心や無責任を棚に上げ、カマトトぶって病院を叩いているだけです。
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メディアも大衆も目クソ鼻クソ
「福祉」の現場
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病院はエアコンが故障したため扇風機を使っていたそうですが、当然、看護婦や介護職員も患者をケアするために部屋に出入りしていたでしょうし、食事も毎日運んでいたでしょう。業務上過失致死だって難しいのではないかと思います。
私は、医療の現場を間近で見た経験から、この問題を自分なりに考えてみました。
件の病院は、「終末期医療」を担う療養型病床が主体の、所謂「老人病院」だったようです。昔と違って、今は医療費を圧縮するために国の方針が細分化され、それに伴って病院も機能別に細かく分かれています。大きく分けて高度急性期・急性期・回復期・慢性期の四つに分かれており、通常、私たちがイメージする病院は、大学病院などの高度急性期と総合病院の急性期の病院でしょう。外来が活発なのも、この二つの病院です。
当然、医療の質も違ってきます。建前上、質に違いはないことになっていますが、ドクターや看護師などの質は全然違います。そもそも医療設備からして違います。「終末期医療」と言えば聞こえはいいですが、それは手厚いケアが行われる大病院の緩和病棟などとは似て非なるものなのです。
私の知っている病院(回復期と慢性期を兼ねる病院)は、開業して10年も経ってないホテルのようなきれいな病院で、他の病院に比べて「患者の(所得)レベルが高い」と言われていますが、それでも入院患者の3割は家族がほとんど面会に来ないそうです。
この問題が浮上したのは、死亡した患者の成年後見人が警察におかしいと訴えたからだそうですが、では、家族からのクレームはどうしてなかったのかと思いました。今の病院は、昔と違って家族からのクレームに敏感です。家族は見舞いにも来てなかったのではないか。あるいは、身寄りのない患者が多かったのかもしれません。
ワイドショーを見ていたら、入院患者が救急車で移送されたとかで、レポーターたちが大騒ぎしていましたが、「老人病院」はあくまで慢性期の療養型病床なので、容態が急変したら、急性期の病院に救急搬送するのはよくあることです。なにか事件でも起きたかのように大騒ぎするような話ではないのです。ワイドショーは全てがこのレベルです。
旧大口病院での「大量殺人」でも、犯人の看護師が稀代の殺人鬼のように報道されていますが、私は、彼女はメンヘラだったように思えてなりません。医療従事者は、仕事の重圧に加えて職場の人間関係にも悩ませられるので、メンヘラになる人間が多いのです。まして「姨捨山」と陰口を叩かれるような「終末期医療」の実態を目にすると、ある種の“衝動”に駆られることがないとは言えないでしょう。「終末期医療」の「老人病院」の場合、「看取り」の確認書や指示書を家族から貰うのが通例ですが、その多くが延命処置を行わず自然に任せるのが希望だと言われています。
看護師はどこの病院も人手不足で(まして「老人病院」はよけいそうです)、みんな疲弊しています。旧大口病院の彼女の場合は、点滴に界面活性剤を混入したと言われていますが、疲弊し情緒不安定になった中で、喉に通した管を抜くだけでこの患者は楽になるのだ、と耳元で悪魔に囁かれることだってあるかもしれません。家族からも見捨てられ、生命維持装置を付けられてただ死を待つだけの患者。そういった現場を日常的に見ていると、人の死に対して、ナイーブな感覚もマヒしていくでしょう。残る砦は、人の命は地球より重いなどという20世紀の人権思想(ヒューマニズム)だけです。子供から「どうして人を殺してはいけないの?」と問われて、しどろもどろになるような思想だけなのです。
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