カルロス・ゴーンに対する東京地検特捜部の拘留延期申請が却下され、保釈も間近と思われたのもつかの間、まさかの再逮捕(三度目の逮捕)には誰しもが驚いたことでしょう。推定無罪という近代法の基本原則などどこ吹く風の検察の横暴にしか見えませんが、それもゴーン逮捕が”政治案件”だからなのかもしれません。

もともと虚偽記載という“形式犯”で長期間身柄を拘束することには批判がありました。とりわけ海外のメディアからは、”人権後進国”の日本に対して厳しい目が向けられていました。そういった批判が、拘留延期却下という東京地裁の異例の決定(!)に影響を与えたのは間違いないでしょう。だからというわけなのか、東京地検特捜部は、“本丸”の特別背任罪での再逮捕という大博打に打って出たのでした。ただ専門家の間では、特別背任罪による起訴は難しいという見方が多いようです。

このような日本的な「人質司法」も、弁護士の渡辺輝人氏によれば、裁判所の“慣行”にすぎないのだそうです。考えてみれば、裁判官も検察官も同じ公務員です。”身内意識”がはたらいてないと言えばウソになるでしょう。

(略)刑事訴訟法の条文自体は、身体拘束にそれなりに厳しい要件を設けており、本来、簡単に起訴前勾留を認めたり、安易に勾留延長を認めたり、“振り出しに戻る”ルールを安易に許したりするようにはなっていません。このような「人質司法」はひとえに制度を運用する裁判所の慣行です。そして、長期の身体拘束と、被疑者・被告人の取り調べについて弁護人の同席を認めない制度が、無実の人を自白の強要により冤罪に追い込む仕組みになっています。

Yahoo!ニュース
ゴーン再逮捕と身柄拘束手続の仕組み


マフィア化は政治だけでなく、法の番人も例外ではないのです。まさにこの国そのものがマフィア化しているのです。

宮台真司は、週刊読書人ウェブの鼎談のなかで、人類学者の木村忠正氏の『ハイブリッド・エスノグラフィー』(新曜社)を取り上げ、つぎのように言ってました。

木村氏は「政治が自称マイノリティに特権を与え過ぎ、マジョリティが享受すべき利益が喰われた」とする議論がネットで分厚く支持される事実を実証します。ネットユーザーの過半数です。「自称マイノリティ」には広い意味があります。生活保護受給者や在日コリアンやLGBTだけでなく、日本に様々な要求をする中国・韓国・北朝鮮のような国も含まれます。勤勉で正直な自分らマジョリティは弱者を騙るずるい人や国に利益を奪われている──。そんな被害妄想が拡大しています。

氏の議論はフランクフルター(批判理論)と接続がいい。中流が分解し、昭和みたいな経済成長も立身出世もない。そう人々が断念したのに加え、今のポジションより落ちるのではないかとの不安と抑鬱に苛まれる。フランクフルターが問題にした大戦間のワイマール期に似ます。エーリヒ・フロムの分析によれば、貧乏人ではなく、没落中間層が全体主義に向かう。「こんなはずじゃなかった感」に苦しむからです。だから被害妄想を誇大妄想で埋めようとする。

週刊読書人ウェブ
宮台真司・苅部直・渡辺靖鼎談
民主主義は崩壊の過程にあるのか


国民においても、非人道的な「人質司法」や検察の横暴などより、日産=日本の利益を食い物にしたゴーンに対する反感が優先されるのです。そこにあるのも、マフィア化を支えるブラックアウト的感情です。そして、そういった感情を煽る役割を担っているのがメディアです。メディアは、検察からリークされた情報を垂れ流し、まるで裁判がはじまる前から有罪が確定したかのような印象操作をおこなっているのでした。権力を監視するどころか、権力の走狗になっているのです。

(法律に)「やっていいと書いていないことはやらない」のではなく、「法律が禁じていないことはやっていい」という、法律の抜け穴を利用するような政治。安保法制や辺野古をめぐる対応や森友や加計の問題などを見れば、一目瞭然でしょう。これが(この国が)「底がぬけた」と言われる所以です。


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2018.12.22 Sat l 社会・メディア l top ▲