南青山に建設予定の児童相談所の住民説明会における一部住民の反対意見が、テレビのワイドショーの恰好のネタになっています。
実際に建設されるのは、児童相談所を含めた4階建ての複合施設だそうで、港区のホームページの「南青山用地での整備の理由」には、つぎのように記載されていました。
港区公式ホームページ
(仮称)港区子ども家庭総合支援センター(児童相談所他2施設・平成33年4月開設予定)
これに対して土地のブランドにこだわる一部住民は、「一等地の南青山に児童相談所はふさわしくない」と本音丸出しの反対意見を述べ、物議を醸したのでした。
「南青山は自分でしっかりお金を稼いで住むべき土地。土地の価値を下げないでほしい」
「私の場合は、3人子どもがほしいと思ったので、私立に3人入れるよりは意識の高い公立小学校に入れると決め、億を超える南青山の土地を買い、家を建てた。
(略)
もし(施設の)子どもたちがお金ギリギリで(意識の高い)小学校にいらっしゃるとなったときは、とてもついてこられないし、とても辛い思いをされる。むしろかわいそうではないか」
複合施設に対する誤解もあり、不勉強ゆえにただ感情的に反発している気がしないでもないですが、こういった発言をする背景には、土地やマンションを所有することに資産価値を求め、土地にブランド価値を見出す発想があるからでしょう。私は地方出身者ですが、田舎では家をもつことに資産価値を求めるような発想はありません。なぜなら土地が安く、将来転売して利益を得ようという邪な考えがないからです。
もっとも、こういった発想は、南青山の住民だけでなく、マンションコミュニティーサイトの掲示板などを見ると、都心のマンションではどこにでも存在しています。都心のマンションの住民たちで、南青山の住民が“異様な人々“であるという認識をもっている人は、案外少ないのではないでしょうか。
都心のマンションでは、近所に老人福祉施設や病院ができたり、なかには区の図書館ができるというだけで、「資産価値が下がる」と言って差別的な書き込みが並ぶのが常です。学校も離れていればOKですが、すぐ近所だと迷惑施設になるのです。まして児童虐待やDV被害者の施設ができるなどと言われたら発狂するのは当然でしょう。そこにあるのは”土地神話”という病理です。
ただ、昔から住んでいる地の人間は、事情が異なるようです。私は、親の代から六本木や麻布や神楽坂に住んでいる人間を知っていますが、彼らはバブルの頃、地価がウナギのぼりすることに対していつも溜息を吐いていました。なかには、固定資産税を払うためにパートに出ている奥さんもいました。地の人間たちにとって、資産価値が上がっていいことなんてないのです。資産価値が上がって喜んでいるのは、他所から来た人間たちなのです。
“土地神話”が生まれたのはバブル以降ですが、しかし今また、異次元の金融緩和(量的緩和)で不動産業界にお金が流れ、首都圏では異常とも言える土地バブルが再来しています。
バブルの頃、暴力団を使った地上げが社会問題になりましたが、今も同じような地上げが行われています。ただメディアが以前のように取り上げてないだけです。そして、不動産業界に巣食うブラックな紳士たちが再び肩で風を切って歩いているのです。
五反田の旅館跡地をめぐって、地面師たちが積水ハウスから63億円を騙し取った事件も、土地バブルが生んだ事件と言っていいでしょう。騙し取られた積水ハウスも、63億円ごときではビクともしないのです。土地バブルでは、そんなお金ははした金にすぎないのです。私は、あの事件にはむしろ痛快な感想さえもちました。
南青山の住民によって、“土地神話”が人間の心を如何に蝕んでいるかがいみじくも証明されたのでした。「高級住宅地」だからと言って、住んでる人間が「高級」なわけではないのです。南青山の住民たちは、土地バブルに踊る(踊らされる)品性下劣な下等物件(©竹中労)であることをみずから暴露したと言えるでしょう。
実際に建設されるのは、児童相談所を含めた4階建ての複合施設だそうで、港区のホームページの「南青山用地での整備の理由」には、つぎのように記載されていました。
港区公式ホームページ
(仮称)港区子ども家庭総合支援センター(児童相談所他2施設・平成33年4月開設予定)
港区は、児童虐待や非行などの児童に関する問題への対応や一時保護などを行う「児童相談所」、子育て中の人を支援する「子ども家庭支援センター」、様々な事情から養育が困難となった母子家庭が入所する「母子生活支援施設」が一体となった複合施設「(仮称)港区子ども家庭総合支援センター」を整備し、児童虐待、非行、障害など、あらゆる児童の問題に対して、区が主体性と責任を持って、切れ目のない一貫した相談・支援体制を作ってまいります。
これに対して土地のブランドにこだわる一部住民は、「一等地の南青山に児童相談所はふさわしくない」と本音丸出しの反対意見を述べ、物議を醸したのでした。
「南青山は自分でしっかりお金を稼いで住むべき土地。土地の価値を下げないでほしい」
「私の場合は、3人子どもがほしいと思ったので、私立に3人入れるよりは意識の高い公立小学校に入れると決め、億を超える南青山の土地を買い、家を建てた。
(略)
もし(施設の)子どもたちがお金ギリギリで(意識の高い)小学校にいらっしゃるとなったときは、とてもついてこられないし、とても辛い思いをされる。むしろかわいそうではないか」
複合施設に対する誤解もあり、不勉強ゆえにただ感情的に反発している気がしないでもないですが、こういった発言をする背景には、土地やマンションを所有することに資産価値を求め、土地にブランド価値を見出す発想があるからでしょう。私は地方出身者ですが、田舎では家をもつことに資産価値を求めるような発想はありません。なぜなら土地が安く、将来転売して利益を得ようという邪な考えがないからです。
もっとも、こういった発想は、南青山の住民だけでなく、マンションコミュニティーサイトの掲示板などを見ると、都心のマンションではどこにでも存在しています。都心のマンションの住民たちで、南青山の住民が“異様な人々“であるという認識をもっている人は、案外少ないのではないでしょうか。
都心のマンションでは、近所に老人福祉施設や病院ができたり、なかには区の図書館ができるというだけで、「資産価値が下がる」と言って差別的な書き込みが並ぶのが常です。学校も離れていればOKですが、すぐ近所だと迷惑施設になるのです。まして児童虐待やDV被害者の施設ができるなどと言われたら発狂するのは当然でしょう。そこにあるのは”土地神話”という病理です。
ただ、昔から住んでいる地の人間は、事情が異なるようです。私は、親の代から六本木や麻布や神楽坂に住んでいる人間を知っていますが、彼らはバブルの頃、地価がウナギのぼりすることに対していつも溜息を吐いていました。なかには、固定資産税を払うためにパートに出ている奥さんもいました。地の人間たちにとって、資産価値が上がっていいことなんてないのです。資産価値が上がって喜んでいるのは、他所から来た人間たちなのです。
“土地神話”が生まれたのはバブル以降ですが、しかし今また、異次元の金融緩和(量的緩和)で不動産業界にお金が流れ、首都圏では異常とも言える土地バブルが再来しています。
バブルの頃、暴力団を使った地上げが社会問題になりましたが、今も同じような地上げが行われています。ただメディアが以前のように取り上げてないだけです。そして、不動産業界に巣食うブラックな紳士たちが再び肩で風を切って歩いているのです。
五反田の旅館跡地をめぐって、地面師たちが積水ハウスから63億円を騙し取った事件も、土地バブルが生んだ事件と言っていいでしょう。騙し取られた積水ハウスも、63億円ごときではビクともしないのです。土地バブルでは、そんなお金ははした金にすぎないのです。私は、あの事件にはむしろ痛快な感想さえもちました。
南青山の住民によって、“土地神話”が人間の心を如何に蝕んでいるかがいみじくも証明されたのでした。「高級住宅地」だからと言って、住んでる人間が「高級」なわけではないのです。南青山の住民たちは、土地バブルに踊る(踊らされる)品性下劣な下等物件(©竹中労)であることをみずから暴露したと言えるでしょう。