どうしてこんなに憂鬱なんだろうと思います。急に気分が落ち込みはじめ、それからはどんどん落ち込んで行くばかりです。

昔、パニック障害になったという女性がいました。付き合っていた男性からDVを受け、それ以来パニック障害になったと言うのです。外出するのが怖くて、いつも死にたいと思っていたと言ってました。

私のまわりでも死にたいと思っていたと言う人間は結構多いのです。みんなそうやって人生の苦難をくぐってきたのです。

警察庁によれば、2018年の自殺者数は2万598人で、2010年以来8年連続で減少しているそうです。ちなみに、ピークの2003年は年間3万5千人近くの人がみずから命を絶っていました。ただ、2018年の交通事故死が3532人ですから、減少したとは言え、それでも自殺者が如何に多いかがわかります。

専門家のなかには、自殺者の背後にはその10倍の自殺未遂者がいると言う人もいるそうです。その説に従えば、年間20万人以上の人が自殺未遂を起こしていることになります。

自殺や自殺未遂は、家族が他言することを避け隠そうとするので、私たちはその事実を知ることは少ないのです。しかし、統計から見る限り、私たちの身近にも自殺や自殺未遂が存在していてもおかしくないのです。

ふと思いついて、パソコンに保存している日記を開きました。日記は1999年からはじまっていますが、2013年からは途絶えたままでした。もう6年つけてないことになります。しかも、2013年は9月に一日つけているだけです。1999年から2010年まではほぼ毎日つけていましたが、それ以後は中断と再開のくり返しでした。私は、もともと二十歳の頃から手書きで日記をつけており、そのあとパソコンに切り替えたのでした。

日記を読み返すと、いっそうしんみりした気持になりました。人間というのは、いつまで経っても同じことをくり返す懲りない動物です。“人間嫌い”というのも、単にわがままなだけかもしれないと思ったりします。私は、小学校の頃から「協調性がない」と通知表に書かれるような人間でしたが、「協調性がない」のもわがままだからなのでしょう。

どうしてこんな人生になったのかなんて考え始めたら、それこそ底なし沼に落ちて行くような気持になります。四十にして惑わずと言いますが、老いても尚、人生に惑うことは、より残酷で絶望的なものにならざるを得ないのは当然でしょう。そこにあるのは、文字通りどうにもならない人生です。

また、日記には、病院でガンの疑いがあると言われ、検査入院しなければならなくなったときの心境を書いたものもありました。春だったのですが、病院から土手沿いの桜並木の下を歩いて帰っていたら、前を保育園の子どもたちが手を引かれ散歩していたのでした。それを見たら、途端に涙があふれてきたと書いていました。検査の結果、ガン細胞は見つからなかったのですが、しかし、これから年を取ってくると、いつかまた同じような場面に遭遇するかもしれません。

以前、久しぶりに旧知の人間に会ったら、別人のように太っていたのでびっくりしたことがありました。聞けば、鬱病を患い、無性に甘いものを欲し、毎日ケーキやチョコレートなどを食べまくっていたのだそうです。脳内の生理的なバランスが崩れ、そのために糖を過大に摂取して、感情をコントロールする神経伝達物質のセルトニンを多く分泌しようとしたのでしょう。

かく言う私も、もともと甘党なので、日頃からできる限り甘いものを控えるように気を付けているのですが、最近は我慢できなくてやたら甘いものを食べるようになっています。そのため、体重も増える一方です。

とは言え、エーリヒ・フロムではないですが、こうして文章(ブログ)に書いて自分を客観視できる間はまだ大丈夫でしょう。なにか気分転換をはからなければと思っています。知らず知らずのうちに、悩みを自分の方に自分の方に引き寄せようとする力がはたらいていますが、できる限り、突き放すようにしなければと思ったりもしています。突き放すと、それがたいしたことではないことに気が付くのです。
2019.03.24 Sun l 日常・その他 l top ▲