6月21日の麻生太郎財務相(兼金融相)に対する問責決議案の参院本会議での採決で、れいわ新選組の山本太郎議員が棄権したことに対して、野党支持者たちから批判がおこっているそうです。

中には、消費税廃止や奨学金の返済免除などを掲げる山本議員が、「政策の一部を実現するために、自民党と組む」のもやぶさかではないと発言したという『アエラ』のインタビュー記事を取り上げて、自民党にすり寄り、自民党と「組む」ために棄権したのではないかなどという穿った見方さえあります。しかし、それこそ「負ける」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ(ブレイディみかこ)リベラル左派の“誇大妄想”と言うべきでしょう。

一方、山本太郎議員は、オフィシャルブログで、つぎのように棄権した理由を述べていました。

山本太郎オフィシャルブログ
棄権について

このタイミングの問責。
何の意味をもつのだろうか?
国会閉会間近の風物詩、以外にその理由は見当たらない。
(略)
事前の戦いが事実上ほぼない中で問責されても痛くも痒くもない。

事前に精一杯の戦いがあっての問責ならば、意味もあろう。

しかし残念ながら、戦っている印象を残すための儀式でしかない。
そんな儀式には参加したくないのだ。


問責決議案が否決されたことを伝えるテレビのニュースは、「否決されるのは野党も織り込み済みで・・・・」と言ってましたが、否決されるのが「織り込み済み」の問責案って、一体なんの意味があるのかと思います。要するに、国会の会期末に提出される問責決議案や内閣不信任案は、山本太郎が言うように、「私たちはこうやって抵抗しています」と野党が国民にアピールするための茶番劇にすぎないのです。

山本太郎は、野党は本気でケンカをする気がないと野党の姿勢を批判していますが、それは、55年体制のときから指摘されていた“与野党の馴れ合い”です。その“悪しき伝統”が今もつづいているのです。有権者をバカにするのもいい加減にしろという声が出て来てもおかしくないでしょう。国民不在の”与野党の馴れ合い”に与しないという山本太郎の選択は、間違ってないのです。”与野党の馴れ合い”を真に受け、山本太郎を批判する左派リベラルは、愚の骨頂と言うべきでしょう。

何度も何度もくり返しますが、今の格差社会や貧困の現実を考えるとき、大事なのは右か左ではなく上か下かなのです。政治のリアルは、右か左かではなく上か下かにあるのです。上か下かという考えに立てば、反緊縮も重要なテーマになるはずです。しかし、立憲民主党も国民民主党も、基本政策は、(自民党と同じように)財政健全化と持続可能な財政構造の確立を掲げています。本気でケンカするつもりがないのは理の当然なのです。

ブレイディみかこ氏は、『労働者階級の反乱』(光文社新書)で、EU離脱について、次のように書いていました。

(略)2016年のEU離脱投票の後、わたしも離脱派の勝利の背景には緊縮財政があると書いたのだったが、日本の多くの人々は、「欧州の危険な右傾化」と「ポピュリズムの台頭」が原因であるというところで止まってしまい、「緊縮が理由などと書くのは、右傾化した労働者階級を擁護することになり、レイシスト的だ」と苦情のメールも来た。 
 しかし、それまで気にならなかった他者を人々が急に排外し始めるときには、そういう気分にさせてしまう環境があるのであり、右傾化とポピュリズムの台頭を嘆き、労働者たちを愚民と批判するだけではなく、その現象の原因となっている環境を改善しないことには、それを止めることはできない。


さらに、こう書いていました。

 労働者がポピュリストに扇動された結果だ、とか、排外主義に走った愚かな労働者階級の愚行だ、とか、その行動や思想の是非はあるにしろ、それが「労働者階級がエスタブリッシュメントを本気でビビらせた出来事」の一つだったことは誰にも否定できないと思う。
   EU離脱投票の結果を知った朝、わたしが一番最初に思ったのは、「この国の人たちは本当にやってしまう人たちなのだ」ということだった。いいにしろ、悪いにしろ、英国の労働者階級は黙って我慢するような人たちじゃない。必ず反撃の一手に出る。


ブレイディみかこ氏が言うように、「労働者階級の意味を再定義するときが来ている」のはないでしょうか。『新・日本の階級社会』が指摘しているように、階級の問題はすぐれて今日的な問題なのです。「地べたに足をついて暮らしているすべての」人々を、右か左かではなく上か下かで定義し直す必要があるのではないか。左翼的な硬直した”労働者本隊論”ではなく、貧困を強いられ、人生の希望を失くし、人としての尊厳を奪われた下層の人々こそ、労働者階級と呼ぶべきなのです。彼らは、「忘れられた人々」なのです。保守と中道の票争いのなかで(左派が中道化しリベラル化するなかで)、土俵の外に追いやられた人々なのです。

「2千万円問題」も恵まれた人たちの話です。(中道という共通の土俵で)「2千万円」のレベルで年金問題を議論するのは、政治(野党)の欺瞞と怠慢以外のなにものでもありません。この国には、アンダークラスの人々に依拠した”下”の政党がないのです。私たちは、立憲民主党や国民民主党が野党であることの不幸をもっと知るべきでしょう。


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2019.06.23 Sun l 社会・メディア l top ▲