おととい、天気予報にやっと晴れマークが付きましたので、10日振りに山に行きました。明け方まで雨が降っていましたので、一抹の不安はありましたが、電車に乗る頃には雨も上がっていました。
行ったのは、いつもの「奥武蔵」と呼ばれる埼玉の山です。今回は、西武秩父線の芦ヶ久保駅で下車しました。
飯能で秩父線に乗り換え、午前8時半すぎに芦ヶ久保に着きました。池袋からだと2時間近くかかります。前も書きましたが、飯能で乗り換えるのに40分待たされるからです。
それで、飯能駅ではいったん改札口から出て、駅前のコンビニで昼食の弁当と行動食のチョコレートやパンなどを買いました。芦ヶ久保に行くと、駅の駐車場の向かい側にある商店や食堂が「休業」していましたので、飯能で買い物したのは正解でした。
芦ヶ久保だけでなく、東吾野などでも駅前の商店は「休業」していました。この「休業」は、土日だけ営業して平日は「休業」という意味なのか、それともハイキング客が減ったので完全休業(閉店)したのか、どっちなんだろうと思いました。
西武秩父線には、(平日に暇を持て余した)中高年のハイキング客が結構乗っていましたが、芦ヶ久保で降りたのは私だけでした。
いつものように、写真を撮りながらマイペースで登り、ちょうど3時間で山頂に着きました。途中には、果樹公園や農村公園や県民の森などがあり、いづれも車で行けますので、休日にはレクレーションで訪れる家族連れなども多いのでしょうが、この日も山頂までの登山道で人とすれ違うことはありませんでした。
県民の森に至る尾根道がすばらしくて感動しました。今まで歩いた登山道の中ではピカイチでした。
山頂で休憩していると、トレランの恰好をした人たちが10人くらい走ってやって来ました。来月だかに一帯でトレランの大会があるらしく、そのための練習のようでした。
そのあと、中年の男性がひとりで登ってきました。聞けば、違う登山口から登って来たそうです。その登山口も昔、よく利用したなつかしいところなので、そっちに下りようかと思ったのですが、聞けば、平日はバスが2時間に1本くらいしかないと言うので、やはり予定したコースで下りることにしました。男性は、私が登ってきたコースを下るようです。
男性は、以前は都内に住んでいたけど、定年退職を機に、埼玉の方が山に行くのに便利なので、埼玉に引っ越して来たと言ってました。
「さっき下で75歳の人と会って話をしたんですけど、その人が言うには、70歳をすぎるとガクンと体力が落ちて、山に行くのもしんどくなるそうですよ。そんな話を聞くと暗い気持になりますね。聞かなきゃよかったと思いましたよ」と言ってました。
男性も若い頃、北アルプスなどに行っていたけど、30歳を過ぎてから仕事も忙しくなったので、山から遠ざかっていたそうです。そして、定年をきっかけにまた山登りをはじめたのだとか。
山で会うのは、嫌になるくらい中高年ばかりですが、しかし、若い人でも、山に興味を持っている人間は意外と多いのです。仕事先で山の話をすると、顔見知りの若い人から「私も連れて行って下さいよ」とよく言われます。特に山ガールの影響なのか、女の子から言われることが多いのです。でも、もう色気もなくなった偏屈オヤジの私は、「嫌だよ。オレはひとりがいいんだよ」と言って、いつも断っています。
また、ある日、ほとんど話をしたこともない管理職の人間から、突然話しかけられたこともありました。
「山の話をしていましたけど、よく行かれるんですか?」
「若い頃に行っていたんですけど、最近再開したんですよ」
「ああ、そうですか。私も子どもにせつかれてハイキングに行ったら、それからやみつきになって山に行くようになったんですよ」
「それはいい趣味ですね」
「ええ、山っていいですよね。ホントに癒されますよ」と言ってました。
彼は同期の中の出世頭で、同僚から嫉妬と羨望の対象になっている人物ですが、その分、ストレスもあるんだろうなと思いました。そこで、ひと言多い私は、「失礼ですけど、あのポストじゃストレスも貯まりますよね。山でも行かなきゃ身が持たんでしょ」と言いました。
山頂で会った男性に、若い人が山に行きたがっているという話をしたら、男性も「私の会社でも昔は登山サークルがありましたよ。そこで、登山の基本などを教えてもらったのです。今はそんなサークルもないですからね」と言ってました。
昔は、登山は主要なレジャーだったのです。それで、大きな会社だとサークル(同好会)があったのです。でも、今はそういった「入口」や「きっかけ」がなくなったので、山に行きたい気持があってもどうすればいいのかわからないのでしょう。
今回の山行は、文字通り、行きは良い良い帰りは怖いでした。帰りは行きとは別のコースを歩いたのですが、登山道に入りしばらく歩いているうちに、後悔しはじめました。
先日の台風によって、登山道が荒れに荒れていたのです。至る所で倒木が登山道を塞ぎ、路肩が崩落している箇所もありました。また、下りの登山道は雨水の通り道になったらしく、V字に抉られ、岩や石が剥き出しになっていました。それに、明け方まで雨が降っていましたので、岩や石も濡れており、よけい滑りやすくなっていました。
先日の転倒の記憶もまだ残っていましたので、いつも以上に緊張を強いられました。段差のあるところでは、横向きになって片足を下に置き、それから体重移動する基本に忠実な歩き方をつづけていたら、腰が痛くなり、挙句の果てには腿の筋肉が痙攣する始末でした。結局、下山するのに3時間もかかってしまいました。もちろん、道中で誰にも会うことはありませんでした。
遅くなったので、また帰りの電車では「電車の座席にすわることが人生の目的のような人々」にもみくちゃにされ、自宅に戻ったのはなんと午後7時過ぎでした。



これは間違えて入った道です。登って行くと行き止まりになったので、そこで初めて間違えたことに気付きました。



すばらしい尾根道


今回の相棒 ノースフェイステルス


「出会いのテラス」なるイタいネーミングの県民の森の中の休憩場





宝くじ協会から寄贈された展望台



秩父の象徴・武甲山
昔は、隣の峠から夕陽に沈む武甲山と秩父の街を眺めるのが好きでした。

秩父の街

遠くに見えるは八ヶ岳?

寄居方面


大野峠パラグライダー滑走場
隣の堂平山の滑走場にはよく見学に行ってました。大野峠にも滑走場があるとは知りませんでした。


ここから下りの荒れた道がつづきます。












橋が無事でよかった


やっと着いた赤谷の集落
行ったのは、いつもの「奥武蔵」と呼ばれる埼玉の山です。今回は、西武秩父線の芦ヶ久保駅で下車しました。
飯能で秩父線に乗り換え、午前8時半すぎに芦ヶ久保に着きました。池袋からだと2時間近くかかります。前も書きましたが、飯能で乗り換えるのに40分待たされるからです。
それで、飯能駅ではいったん改札口から出て、駅前のコンビニで昼食の弁当と行動食のチョコレートやパンなどを買いました。芦ヶ久保に行くと、駅の駐車場の向かい側にある商店や食堂が「休業」していましたので、飯能で買い物したのは正解でした。
芦ヶ久保だけでなく、東吾野などでも駅前の商店は「休業」していました。この「休業」は、土日だけ営業して平日は「休業」という意味なのか、それともハイキング客が減ったので完全休業(閉店)したのか、どっちなんだろうと思いました。
西武秩父線には、(平日に暇を持て余した)中高年のハイキング客が結構乗っていましたが、芦ヶ久保で降りたのは私だけでした。
いつものように、写真を撮りながらマイペースで登り、ちょうど3時間で山頂に着きました。途中には、果樹公園や農村公園や県民の森などがあり、いづれも車で行けますので、休日にはレクレーションで訪れる家族連れなども多いのでしょうが、この日も山頂までの登山道で人とすれ違うことはありませんでした。
県民の森に至る尾根道がすばらしくて感動しました。今まで歩いた登山道の中ではピカイチでした。
山頂で休憩していると、トレランの恰好をした人たちが10人くらい走ってやって来ました。来月だかに一帯でトレランの大会があるらしく、そのための練習のようでした。
そのあと、中年の男性がひとりで登ってきました。聞けば、違う登山口から登って来たそうです。その登山口も昔、よく利用したなつかしいところなので、そっちに下りようかと思ったのですが、聞けば、平日はバスが2時間に1本くらいしかないと言うので、やはり予定したコースで下りることにしました。男性は、私が登ってきたコースを下るようです。
男性は、以前は都内に住んでいたけど、定年退職を機に、埼玉の方が山に行くのに便利なので、埼玉に引っ越して来たと言ってました。
「さっき下で75歳の人と会って話をしたんですけど、その人が言うには、70歳をすぎるとガクンと体力が落ちて、山に行くのもしんどくなるそうですよ。そんな話を聞くと暗い気持になりますね。聞かなきゃよかったと思いましたよ」と言ってました。
男性も若い頃、北アルプスなどに行っていたけど、30歳を過ぎてから仕事も忙しくなったので、山から遠ざかっていたそうです。そして、定年をきっかけにまた山登りをはじめたのだとか。
山で会うのは、嫌になるくらい中高年ばかりですが、しかし、若い人でも、山に興味を持っている人間は意外と多いのです。仕事先で山の話をすると、顔見知りの若い人から「私も連れて行って下さいよ」とよく言われます。特に山ガールの影響なのか、女の子から言われることが多いのです。でも、もう色気もなくなった偏屈オヤジの私は、「嫌だよ。オレはひとりがいいんだよ」と言って、いつも断っています。
また、ある日、ほとんど話をしたこともない管理職の人間から、突然話しかけられたこともありました。
「山の話をしていましたけど、よく行かれるんですか?」
「若い頃に行っていたんですけど、最近再開したんですよ」
「ああ、そうですか。私も子どもにせつかれてハイキングに行ったら、それからやみつきになって山に行くようになったんですよ」
「それはいい趣味ですね」
「ええ、山っていいですよね。ホントに癒されますよ」と言ってました。
彼は同期の中の出世頭で、同僚から嫉妬と羨望の対象になっている人物ですが、その分、ストレスもあるんだろうなと思いました。そこで、ひと言多い私は、「失礼ですけど、あのポストじゃストレスも貯まりますよね。山でも行かなきゃ身が持たんでしょ」と言いました。
山頂で会った男性に、若い人が山に行きたがっているという話をしたら、男性も「私の会社でも昔は登山サークルがありましたよ。そこで、登山の基本などを教えてもらったのです。今はそんなサークルもないですからね」と言ってました。
昔は、登山は主要なレジャーだったのです。それで、大きな会社だとサークル(同好会)があったのです。でも、今はそういった「入口」や「きっかけ」がなくなったので、山に行きたい気持があってもどうすればいいのかわからないのでしょう。
今回の山行は、文字通り、行きは良い良い帰りは怖いでした。帰りは行きとは別のコースを歩いたのですが、登山道に入りしばらく歩いているうちに、後悔しはじめました。
先日の台風によって、登山道が荒れに荒れていたのです。至る所で倒木が登山道を塞ぎ、路肩が崩落している箇所もありました。また、下りの登山道は雨水の通り道になったらしく、V字に抉られ、岩や石が剥き出しになっていました。それに、明け方まで雨が降っていましたので、岩や石も濡れており、よけい滑りやすくなっていました。
先日の転倒の記憶もまだ残っていましたので、いつも以上に緊張を強いられました。段差のあるところでは、横向きになって片足を下に置き、それから体重移動する基本に忠実な歩き方をつづけていたら、腰が痛くなり、挙句の果てには腿の筋肉が痙攣する始末でした。結局、下山するのに3時間もかかってしまいました。もちろん、道中で誰にも会うことはありませんでした。
遅くなったので、また帰りの電車では「電車の座席にすわることが人生の目的のような人々」にもみくちゃにされ、自宅に戻ったのはなんと午後7時過ぎでした。



これは間違えて入った道です。登って行くと行き止まりになったので、そこで初めて間違えたことに気付きました。



すばらしい尾根道


今回の相棒 ノースフェイステルス


「出会いのテラス」なるイタいネーミングの県民の森の中の休憩場





宝くじ協会から寄贈された展望台



秩父の象徴・武甲山
昔は、隣の峠から夕陽に沈む武甲山と秩父の街を眺めるのが好きでした。

秩父の街

遠くに見えるは八ヶ岳?

寄居方面


大野峠パラグライダー滑走場
隣の堂平山の滑走場にはよく見学に行ってました。大野峠にも滑走場があるとは知りませんでした。


ここから下りの荒れた道がつづきます。












橋が無事でよかった


やっと着いた赤谷の集落