8月に茨城の常磐道で発生したあおり運転と暴行事件では、同乗していた「ガラケー女」に間違われた女性が、Twitterや2ちゃんねるなどで身元を晒され、”ネット自警団”から電凸などの攻撃を受けるという事件の”余波”がありました。しかし、それは、本体の事件以上に深刻な問題をはらんでいるとも言えます。女性は、後日、記者会見を開き、名誉侵害と業務妨害で法的措置を講ずることを言明したのでした。
その後の報道がありませんので、法的措置がどうなったのかわかりませんが、考えてみれば、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を中止に追いやった電凸も、それと似たような話なのです。それどころか、電凸した”ネット自警団”のかなりの部分は重なっているような気さえします。ところが、メディアには、そういった見方は皆無なのでした。どうして、大衆社会が“衆愚社会”の謂いであるという当たり前の事実を伝えようとしないのかと思います。
それどころか、ワイドショーやスポーツ新聞など既存のメディアを通して、”ネット自警団”の”歪んだ正義”が拡散している現実すらあるのです。それこそ、(何度も言うように)「旧メディアのネット世論への迎合」(大塚英志)による「水は常に低い方に流れる」現実と言うべきでしょう。
余談になりますが、「表現の不自由展」の再開をめぐって、河村たかし名古屋市長はネトウヨと一緒に抗議の座り込みをしたのですが、彼はもともと愛知を最大の基盤としていた旧民社党の流れを汲む民主党系の国会議員でした。彼もまた、林文子横浜市長と同じ旧民主党の“負の遺産”と言っていいでしょう。
今の立憲民主党も国民民主党も、そういった“負の遺産”を引きずったままです。立憲民主党や国民民主党が野党だというのは幻想にすぎません。仮に野党だとしても、間違っても自民党の対抗軸なんかではありません。あり得ないのです。
「表現の不自由展」の問題に、嫌韓だけでなく、天皇制タブーが伏在しているのは言うまでもないでしょう。天皇制タブーと天皇制を絶対視する愛国(国粋)主義は表裏一体です。天皇制タブーと愛国(国粋)主義を切り離して論じるなど、そんな都合のいいことが成り立つわけがないのです。にもかかわらず、左派リベラルは、天皇制タブーをそのままにして、アクロバティックに戦後民主主義を論じてきた(弄んできた)のでした。
今年の8月、初代の宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりなどを記した「拝謁記」が公開され話題になりましたが、その中で昭和天皇は、戦後も再軍備の必要性を主張し、沖縄の基地問題についても、「全体の為」に「一部の犠牲」は「已むを得ぬ」と明言しているのでした。
そういった昭和天皇の発言は、白井聡氏が『永続敗戦論』で書いていたように、共産革命によって「国体」が瓦解し消滅することを怖れた1945年2月の近衛上奏文の考えに沿ったものと言えるでしょう。要するに、「革命より敗戦がまし」(歴史学者・河原宏氏)という降伏の英断の考えが、戦後も貫かれているのでした。
もとより、前も書きましたが、「田植え」や「養蚕」などの皇室行事や、皇室=神道の(ホントは儒式借用の)祭祀なども、豊葦原瑞穂国=”日本“という「想像の共同体」を仮構し、”国民“意識を創出するために、明治になって創られた「伝統」に過ぎないのです。
でも、多くの左派リベラルは、そういったことには触らぬ神なのです。それどころか、天皇制タブーを前提に、戦後憲法の橋頭保としての”平和天皇”のイメージさえねつ造しているのでした。虚妄の戦後を演じているのは、右派だけでなく、左派リベラルも同じなのです。
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オウムは生きている
『永続敗戦論』
その後の報道がありませんので、法的措置がどうなったのかわかりませんが、考えてみれば、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を中止に追いやった電凸も、それと似たような話なのです。それどころか、電凸した”ネット自警団”のかなりの部分は重なっているような気さえします。ところが、メディアには、そういった見方は皆無なのでした。どうして、大衆社会が“衆愚社会”の謂いであるという当たり前の事実を伝えようとしないのかと思います。
それどころか、ワイドショーやスポーツ新聞など既存のメディアを通して、”ネット自警団”の”歪んだ正義”が拡散している現実すらあるのです。それこそ、(何度も言うように)「旧メディアのネット世論への迎合」(大塚英志)による「水は常に低い方に流れる」現実と言うべきでしょう。
余談になりますが、「表現の不自由展」の再開をめぐって、河村たかし名古屋市長はネトウヨと一緒に抗議の座り込みをしたのですが、彼はもともと愛知を最大の基盤としていた旧民社党の流れを汲む民主党系の国会議員でした。彼もまた、林文子横浜市長と同じ旧民主党の“負の遺産”と言っていいでしょう。
今の立憲民主党も国民民主党も、そういった“負の遺産”を引きずったままです。立憲民主党や国民民主党が野党だというのは幻想にすぎません。仮に野党だとしても、間違っても自民党の対抗軸なんかではありません。あり得ないのです。
「表現の不自由展」の問題に、嫌韓だけでなく、天皇制タブーが伏在しているのは言うまでもないでしょう。天皇制タブーと天皇制を絶対視する愛国(国粋)主義は表裏一体です。天皇制タブーと愛国(国粋)主義を切り離して論じるなど、そんな都合のいいことが成り立つわけがないのです。にもかかわらず、左派リベラルは、天皇制タブーをそのままにして、アクロバティックに戦後民主主義を論じてきた(弄んできた)のでした。
今年の8月、初代の宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりなどを記した「拝謁記」が公開され話題になりましたが、その中で昭和天皇は、戦後も再軍備の必要性を主張し、沖縄の基地問題についても、「全体の為」に「一部の犠牲」は「已むを得ぬ」と明言しているのでした。
そういった昭和天皇の発言は、白井聡氏が『永続敗戦論』で書いていたように、共産革命によって「国体」が瓦解し消滅することを怖れた1945年2月の近衛上奏文の考えに沿ったものと言えるでしょう。要するに、「革命より敗戦がまし」(歴史学者・河原宏氏)という降伏の英断の考えが、戦後も貫かれているのでした。
もとより、前も書きましたが、「田植え」や「養蚕」などの皇室行事や、皇室=神道の(ホントは儒式借用の)祭祀なども、豊葦原瑞穂国=”日本“という「想像の共同体」を仮構し、”国民“意識を創出するために、明治になって創られた「伝統」に過ぎないのです。
でも、多くの左派リベラルは、そういったことには触らぬ神なのです。それどころか、天皇制タブーを前提に、戦後憲法の橋頭保としての”平和天皇”のイメージさえねつ造しているのでした。虚妄の戦後を演じているのは、右派だけでなく、左派リベラルも同じなのです。
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