今週の水曜日、丹沢の表尾根に行きました。ただ、バスを利用してヤビツ峠から登ったので、塔ノ岳まで行くには時間的に厳しく、途中の烏尾山(からすおやま)で引き返しました。そして、三ノ塔から尾根を下って秦野戸川公園に降りました。

近所の人も、夏にヤビツから登ったけど、思った以上に時間がかかって帰りは夜になり、「遭難するかと思いましたよ」と言ってましたが、たしかに塔ノ岳は表尾根を歩いていくつかピークを越えなければならないので、標準タイムでも7時間近くかかるのでした。

途中で会ったソロの女性も、以前登ったとき、やはり烏尾山までしか行けなかったので、今回は山小屋に宿泊する予定で来たと話していました。

車で来て、早朝から登りはじめれば日帰りは可能ですが、バスだとよほどの健脚でなければ、どうしても時間切れになってしまうのです。まして、これからの季節は日が短いので、よけい行動時間が限られてしまいます。

ただ、塔ノ岳だけでなく、途中のピークにはそれぞれ宿泊できる小屋があるし、三ノ塔にも新しく避難小屋ができていましたので、たとえ時間切れになっても緊急に泊まることは可能です。

早朝5時半すぎに自宅を出ましたが、東急東横線・JR横浜線・小田急線と乗り換えて、秦野駅に着いたのは7時半すぎでした。秦野駅からヤビツ峠までは、バスで30分かかります。ヤビツ峠行きのバスは、平日は午前と午後の二便しかありません。つまり、行きと帰りが一便づつしかないのです。

秦野駅前のコンビニで買い物してバス停に向かったら、既に20人くらいが並んでいました。しかも、前の方にはザックが10個くらいまとめて置かれているのです。あとでわかったのですが、ザックは中高年の登山サークルの人たちのものでした。つまり、場所取りをしていたのでした。

しかも、あとから来たメンバーに向かって、「こっち」「こっち」と言ってどんどん割り込ませるのでした。私は、よほど注意しようかと思いましたが、後ろには外人もいたし、これから山に行くのに気まずい空気になるのも大人げないと思ってぐっと我慢しました。

恐らく丹沢をホームグラウンドにする人たちなのでしょう。近所の人も、塔ノ岳をホームグラウンドにする中高年のグループがいくつもあって、「我が物顔でどうしようもないんだよ」と言ってましたが、これがそうなのか思いました。

そのあともいくつかのグループ(団体)がやって来て、出発間際になると80人くらいが並びました。そのため、臨時バスが出て、午前便は2台運行することになりました。

バスに乗るのも、さながら通勤電車の椅子取りゲームのような様相を呈していました。山の中では「こんにちわ」と挨拶するので、みんな「いい人」に見えるのですが、図々しい人間はどこに行っても図々しいのです。山にも泥棒はいるし、痴漢だっているのです。中には、ナンパ目的で登山サークルに加入するおっさんだっているそうです。加入時の確認事項として、ナンパ目的についてわざわざ注意書きしているサークルもあるくらいです。

私は、幸い最後部の座席に座ることができたのですが、6人ぎっしり座っていたにもかかわらず、横に座っていた登山サークルのおばさんたちが、ほかのおばさんに「あと一人くらい座れるよ、詰めれば大丈夫よ」などと言って、勝手に座らせたのでした。

私は人一倍身体が大きいので、身動きひとつできず窮屈でなりませんでした。しかも、隣のおばさんからは、洗濯物の生乾きの臭いが漂ってきて、なんだか罰ゲームに遭っているようでした。

ふと、隣のおばさんのザックのサイドポケットを見ると、アミノバイタルのドリンクが入っているのに気付きました。おそらく百名山かなんかのツアーに参加した際にガイドから配布され、アミノバイタル信者になったのでしょう。

私は、底意地の悪さを抑えることができず、「アミノバイタルって効果あるんですか?」と尋ねました。おばさんは、ちょっと戸惑った表情を見せながら、「結構、効きますよ」と言っていました。

私は、下記の『選択』の記事を読んだばかりなので、「へぇ、そうですか。効果に科学的な確証はないそうですよ」「トクホ以下だという話さえあるそうですよ」と言いました。すると、おばさんは嫌な顔をしてそっぽを向いてしまいました。

『選択』
「アミノ酸」神話に騙される日本人

ヤビツ峠からは、表尾根に向かう人と大山に向かう人に分かれます。また、表尾根へも二ノ塔と塔ノ台経由で向かう人に分かれます。

ただ、二ノ塔のルートが圧倒的に多く、登山サークルの団体の多くも二ノ塔に向かうみたいです。私も二ノ塔に向かうのですが、団体が一緒だとソロで来た意味がないので、みんなが出発するまでベンチに座って時間を潰しました。

隣に座っていた中年の男性に、「今日は人が多いですね」と言うと、「ホントに、びっくりしましたよ」と言ってました。

「表尾根の方ですか?」
「いや、大山です。表尾根に行きたいんですが、今日は親父の付き添いなので大山に行きます」

私は、子どもの頃、父親と山に登ったときのことを思い出しました。そのときの思い出が今も心に残っているので、こうして山に来ているようなものです。

「お父さんが一緒なんですか。それはいいですね」
「もう80を超えているので一人で山に行かせるわけにはいきませんからね」と言ってました。

話をしていると、トイレに行っていたお父さんがやって来ました。「息子さんと山に登るなんて、いいですね」と言うと、「登れるかどうかわかりませんよ。それに、もしかしたらこれが最後の登山になるかもしれないし」と言いながら、嬉しそうに笑顔を見せていました。そして、「お先に」と言って、二人で大山に向けて登山道を登りはじめたのでした。

バスも出発して、峠には誰もいなくなったので、私もそろそろ出発しようと、トイレに行きました。ヤビツ峠に常設されていたトイレは、台風による停電で使用できず、代わりに工事現場にあるような仮設のトイレが設置されています。

私は、トイレに入ると、思わず「ゲェー」となりました。便器の中は紙があふれ、異臭が充満しているのでした。こんなところでよく用を足すなと思い、あわてて外に出ました。そして、小便なら山の中ですればいいやと思ったのでした。

それ以来、食事のときに、ヤビツのトイレの光景が目の前に浮かんで来るのでした。子どもの頃、カレーライスが出ると、どうしても人糞を思い浮かべる変な癖がありました。思い出したらいけないと自分に言い聞かせるのですが、言い聞かせれば言い聞かせるほど思い出されるのでした。それと同じフラッシュバックに未だ苦しめられています。

二ノ塔への登山道は、アスファルトの林道を30分くらい歩いた先にあります。ずいぶんゆっくりしたつもりだったのですが、登山道に入ってしばらく歩くと、前を行く団体が見えてきました。30人くらいのあの登山サークルの団体です。「これはまずい」と思って、立ち止まり、写真を撮ったりして時間を調整しました。

ところが、さらにしばらく行くと、団体の中から5~6人のおばさんたちが遅れはじめたのでした。その中には、バスの中で横に座っていたおばさんもいました。先行部隊はおばさんたちを置き去りにして、前に進んでいました。私は、「最低のパーティだな」と思いました。バス停の態度を思い出し、やっぱりと思わずにはいられませんでした。

仕方ないので、おばさんたちを追い抜くことにしました。「すいません。お先に」と愛想を振りまいて通り過ぎながら、心の中では「アミノバイタルの効果はなかったみたいだな」と悪態を吐いている自分がいました。

表尾根の登山道は、裸地が目立ち、想像以上に荒れていました。高尾山と並ぶ人気の山なので、荒れるのも当然かもしれません。二ノ塔から三ノ塔に向かう尾根道が、台風で崩落していましたが、あんなに踏み固められれば崩落するのも当然だろうと思いました。なんだか痛々しささえ覚え、登山の楽しみが半減しました。

丹沢名物の“階段地獄”も、荒れた山にさらに屋上屋を架すようなものでしょう。もちろん、階段の設置も、多くはボランティアの手によるもので、「いつも整備していただいてありがとうございます」と登山者が感謝する気持もわからないでもありません。

しかし、階段は、歩きやすくするためというより、道が踏み固められることで水はけが悪くなり、土砂が雨で流されるので、それをせき止める役割もあるのです。言うなれば、“階段地獄”はそれだけ山が荒れている証拠でもあるのです。

折しも、『週刊ダイヤモンド』(10/5号)に、「登山の経済学」という記事が掲載されていますが、その中では、登山道の多くが国立公園の中にあるにもかかわらず、その整備が山小屋や登山愛好家の有志によって支えられているお寒い現状が報告されていました。

ダイヤモンドオンライン
日本の山が危ない 登山の経済学

私たちが登る山のほとんどは、国立公園や国定公園(あるいは県立公園)の中にあります。しかし、国や自治体は、登山道の整備などにあまり予算を割くことはなく、民間任せになっているのが現状です。記事では、アメリカとイギリスの代表的な国立公園と比較して、「人も金も制度もない日本のお寒い実情」と書いていました。

その結果、大山のように、「初心者向け」と言いながら、「転落事故が多く発生しています」と警察から警告が出されるような山も多いのです。そして、事故があっても「自己責任」で済まされるのです。ヤビツ峠のトイレのお粗末さなども、そんな山の現状を象徴しているように思います。

でも、山に行く人たちは、それでも「ありがたい」と感謝するしかないのです。山に行くなら感謝しなければならないと強要されているような感じすらあります。

山小屋も、今や風前の灯だそうです。北アルプスの山小屋に物資の運搬を請け負っているヘリコプターの運行会社は、今や1社しか残ってなく、今後の新規参入も見込めない状態なのだとか。そのため、今年の夏、機体の修理で一ヶ月間運行が途絶えたら、界隈で営業する40軒の山小屋は食料不足で”孤立”する事態になったそうです。

この近辺で言えば、頂上まで行くのに時間がかかる塔ノ岳や雲取山などでは、山小屋はなくてはならない存在です。でも、その経営は、山好きの篤志家の善意に支えられているのです。

(略)山小屋がが本来国が直接管理すべき公園での公共機能を事実上代行していることに対して、行政の支援はほぼないに等しい。(略)環境省は「山小屋が公共的に必要な存在だとの国民全体の認識がなければ行政支援には理解が得られない」(熊倉基之国立公園課長)とするスタンスを崩さない。
(同上記事)


そもそも国立公園と言っても、国が所有するのは60パーセントに過ぎず、残りは民間の所有だそうで、その現実にも驚きました。

私は、富士山だけでなく、欧米のように、どこの山でも入山料を徴収すればいいんじゃないかと思います。そして、国や地方自治体の責任で、登山道を誰でも安心して歩けるように整備すべきだと思います。ひいてはそれが植生を守ることにもなるのです。

小泉武栄著『登山の誕生』(中公新書)によれば、日本は世界有数の登山大国だそうです。アメリカやフランス、ドイツ、イギリス、イタリアなど、登山用具のメーカーでもおなじみの登山が盛んな国でも、頂上をめざして登るクライマーはごく一部で、あとは登山鉄道や登山道路で山の上まで行き、山の中を歩いて楽しむハイキングやトレッキングのスタイルが大半なのです。

ヨーロッパでは、200年以上前までは山は「悪魔の棲家」と思われていて、「山に住むスイスやチロルの人々は、偏見や差別にさらされていた」そうです。だから、ヨーロッパから輸入された登攀思想には、「征服」や「撤退」など軍事用語が並んでいるのでしょう。

一方、日本では、弥生時代から山には神が住むと信じられ、山岳信仰がはじまったと言われています。稲作=農耕社会にとって大事な雨乞いと山の信仰が結び付いた「雨乞山」などは、その代表例でしょう。

日本では登山(クライミング)とハイキングやトレッキングがごっちゃになっていますが、どうして日本はハイキングやトレッキングではなく、登山がこれほど普及したのかについて、『登山の誕生』でもいろんな理由があげられていました。

しかし、私は、自分の経験から、『登山の誕生』ではぬけている理由があるような気がしました。それは、日本人の体格です。日本人の体格が登山に向いているという点も大きいように思います。

私は、身長が185センチで体重が83キロですが、私と同じような大男と山で遭遇することはめったにありません。有名な登山家でも、大半は身長が160センチ台で、体重も60キロ台です。競馬の騎手と同じで、登山の場合、体重が軽い方が有利なのです。私の場合、他人より10キロ以上重い荷物を背負って山に登っているようなもので、山に登るには不利な体格なのです(と、山でよく言われる)。

『週刊ダイヤモンド』の記事にあるように、何度かのブームが去り登山人口が減少に転じた中で、登山者が中高年と山ガールに二極化された現在、登山を取り巻く環境が大きく変わろうとしているのは事実でしょう。

それを考えるとき、私は、山ガールの存在は大きいのだと思います。今の中高年登山者たちは、(自分も含めて)早晩足腰が立たなくなり、山に行けなくなるでしょう。彼らは、子どもの頃、親と山に登った記憶で再び山に登り始めた人が多いのですが、山ガールたちはそういった”記憶の継承“とは無縁です。もちろん、ヨーロッパから輸入された登攀思想とも無縁です。だからこそ、山ガールたちが、日本にハイキングやトレッキングの新しい山の文化をもたらす可能性があるのではないかと思うのです。

そうなれば、投資ファンドからヨドバシカメラに売られた石井スポーツや、同じように投資ファンドに買収されて上場廃止になり、ゆくゆくはユニクロかワークマンに売られるのではないかと噂されている好日山荘なども、従来の商売のスタイルから根本的に脱却することを迫られるでしょう。

私は、ヤマレコの登山アプリを使っていますが、紙の地図とコンパスも、登山雑誌などが言うほど必要ではなくなってきました。一応、紙の地図とコンパスは持って行きますが、もしスマホの電池が切れたらとかスマホが壊れたらとか、そんな理由でわざわざ千円もする山と高原地図を買って持って行くほどの必要性は正直感じません。実際に、若い人の中には紙の地図を持ってない人も多いのです。登山アプリのほかに、ネットの登山関連のサイトからダウンロードしたルート図を持っている人が多いようです。

今のような山の現状が続くなら、せっかく山に興味を持った山ガールたちも、山にそっぽを向いてしまうでしょう。あんなトラウマになるようなヤビツ峠のトイレなど、もってのほかです。「山ってそんなもんだよ」「トイレがあるだけありがたいよ」とおっさんたちは言いますが、そんなおっさんたちがいなくなったら(それはもうすぐです)、あとはいいように踏み荒らされた無残な山が残るだけなのです。


2019年10月30日表尾根1
ヤビツ峠

2019年10月30日表尾根2
売店は閉店

2019年10月30日表尾根3

2019年10月30日表尾根4

2019年10月30日表尾根5

2019年10月30日表尾根6
大山

2019年10月30日表尾根7
二ノ塔

2019年10月30日表尾根8
向こうに見えるのが三ノ塔

2019年10月30日表尾根9

2019年10月30日表尾根10
二ノ塔と三ノ塔の間にある崩落場所

2019年10月30日表尾根11
三ノ塔

2019年10月30日表尾根12
三ノ塔から烏尾山を望む

2019年10月30日表尾根13
丹沢の山々

2019年10月30日表尾根14
三ノ塔全景

2019年10月30日表尾根15
同上
2019.11.02 Sat l l top ▲