
考えてみれば、今日は12月20日で、今年もあと10日あまりとなりました。でも、あまり年の瀬という感覚はないのでした。年を取ると、時間が経つのが早くて、1年なんてあっという間です。なんだか季節の感慨も追いつかないほどです。
来週は、もう仕事納めです。それで、午後から病院に行きました。薬を処方してもらわないと、正月の間薬なしで過ごさなければなりません。別に飲まなくても、急に症状が変わるような疾患ではないのですが、私はそういったところは案外律儀な性格なのでした。同じ病院に通っている知り合いは、ひと月に1回行かなければならないのに、いつも2ヶ月に1回しか行かないので、行くたびに先生から皮肉を言われると言ってましたが、彼のような患者に比べれば、私は“優等生”と言えるのかもしれません。
病院に行くと、やはりいつもより患者が多くて、待合室は座る場所もないくらいでした。結局、診察(と言っても、1分くらいで終わる簡単な問診)まで1時間半もかかりました。病院の下にある調剤薬局も人が多く、そこでも30分以上待ちました。
薬局を出たら、午後5時をまわっていましたが、それから市営地下鉄に乗って桜木町に行きました。毎年、赤レンガ倉庫で行われているクリスマスマーケットを見ておこうと思ったからです。
クリスマスが近づくと、山下達郎の「クリスマスイブ」やジョン・レノンの「ハッピークリスマス」が街角に流れたりしますが、最近、そういった定番のクリスマスソングを聴いても心がときめくことがなくなりました。
以前だと、渋谷駅前のオーロラビジョンからクリスマスソングが流れると、クリスマスが近づいたんだなあと心がザワザワしたものです。しかし、いつの間にかザワザワすることもなくなりました。クリスマスのイルミネーションも同じで、イルミネーションを観に行こうなんて考えることすらなくなりました。
金曜日ということもあって、汽車道も大勢の人が行き交っていました。汽車道の対岸の船員アパートが立ち並んでいたところは、タワーマンションとアパの高層ホテルが建ち、まるであたりを睥睨するかのようにその威容を誇っていました。こうして“記憶の積層”がどんどん消えていき、横浜らしさがなくなっていくのです。
クリスマスマーケットも、今や食べ物のイベントになっています。もともとは、本場のドイツと同じように、(主にドイツの)クリスマスグッズを販売するイベントでした。最初は横浜だけで行われていましたが、今では都内でも何ケ所かで行われています。それにつれ、横浜の方は食べ物に傾注して行ったのでした。もっとも食べ物も、ほとんどがクリスマスと関係のないものばかりです。それを強引にクリスマスにこじつけているに過ぎないのです。
業界にいた人間から見れば、こういったところにも輸入雑貨が過去のものになったことを痛感させられるのでした。昔は、クリスマスカードをはじめ、クリスマス関連の雑貨は飛ぶように売れ、この時期は文字通り猫の手も借りたいほどでした。海外の雑貨がそれだけめずらしかったということもあったのでしょうが、もうひとつは、クリスマス自体が”特別なもの”だったからでしょう。世間も私と同じように、もうクリスマスに心をときめかすことがなくなったのかもしれません。
端の方にグッズを売っているテントがありましたが、見ると、ロシアの民族衣装を着た外国人が、マトリョーシカを売っているのでした。マトリョーシカとクリスマスはどういう関係にあるんだろうと思いました。
広場では、これも恒例のスケートリンクが設置されていましたが、最初の頃と比べると規模も設備もショボくなるばかりです。他には、横浜お得意の光のデジタルアートのイベントが催されていました。デジタルアートは、お金もかからずお手軽なので、イベントの穴埋めにはうってつけなのでしょう。
こうしてイベントに行ったり街を歩いたりすると、クリスマスなど師走の風景から疎外されている自分をしみじみと感じます。こういうのを「広場の孤独」(堀田善衛)と言うのだろうかと思いました。
来週あたり、”登り納め”ではないですが、今年最後の山に行こうかなと思っています。やはり、誰もいない冬枯れの山を歩く方が心が落ち着きます。今の自分にはそっちの方が似合っている気がするのでした。








