若い頃、親しくしていたモデルの女の子は、常々、男性モデルは「性格の悪い人間が多い」と言ってました。
彼女に言わせれば、男性モデルはお金を持ってないので(モデルでは飯は食えないので)、自分の“美貌”を売りに女性にたかることしか考えてない「最低の男」が多いそうです。当時、ホストという職業があったのかどうかわかりませんが、今で言うホストのようなものかもしれません。その中で唯一「性格がいい」と褒めていたのは、阿部寛だけでした。
また、のちに“スキャンダル王”として芸能マスコミを賑わすことになる某男性タレントから誕生パーティに誘われたときも、「あの男は女を騙すことしか考えてないから気を付けた方がいいよ」と同じモデル仲間から忠告されたと言ってました。案の定、数年後、彼はお金と女にまつわるスキャンダルを起こして芸能界から姿を消したのでした。
私は、東出昌大の「不倫」報道を見て、昔の彼女から聞いたそんな話を思い出したのでした。東出昌大もモデル出身だそうで、彼もまた、女にたかることしか考えてない「最低の男」だったのかもしれません。もとより、杏にしても、東出から口説かれ東出の「最低の男」の部分に惚れて、みずからも熱を上げたのではないか。さらに、東出昌大は、杏を口説いたときと同じ手口で、唐田某を口説いたのではないか。「不倫」はただその延長上にあっただけなのでしょう。
今回のスキャンダルで、杏に同情が集まり、杏の好感度が上がったと言われていますが、私は、まったく逆でした。私は、杏が二十歳のときに、一般的な登山ルートでは国内で最難関と言われる奥穂・西穂間を縦走したと聞いて、彼女を尊敬していましたが(芸能界とは関係ない?)、今回の件ではがっかりしました。
東出の「不倫」は、カルロス・ゴーンのケースと同じで、本来家庭内で処理すべき問題だったのではないか。ここまで騒ぎが大きくなったのは、東出にきわめて近い筋からのリークがあったからではないかと言われていますが、もしそれが事実なら、三人の子どもの父親でもある夫に、社会的な制裁を加えるようなやり方は、あまりにもえげつないとしか言いようがありません。なんだか格差婚を盾にした上から目線さえ感じます。
東出と唐田某をこれでもかと言わんばかりに叩く芸能マスコミとそれに煽られる大衆にも、いつものことながら違和感を抱いてなりません。芸能人に聖人君子を求めてどうするんだと言いたくなります。芸能人こそ、聖人君子とはもっとも遠くにいる人間でしょう。何度もくり返しますが、芸能人は、本来、市民社会の埒外に存在する「河原乞食」なのです。「不倫」でもなんでもあるでしょう。聖人君子のような役者になんの魅力があるのかと思います。
同時に私は、あらためて村西とおる氏の下記の文章が思い出されてなりませんでした(引用元の「ポリスジャパン」はリンク切れになっていました)。
それは、女優に限らず男優も同じて、芸能人というのは、ことばの真正な意味において、やくざな存在なのです。
「不倫」で芸能界から追放されるなんて、一体いつの時代の話だと言いたいです。他人の不幸は蜜の味とばかりに、執拗に東出や唐田某を叩くメディアや大衆には、おぞましささえ覚えます。
(やはり前に紹介しましたが)コンドームメーカーの相模ゴム工業が働く女性350人を対象に行った調査によれば、なんと58%が「不倫」の経験があるそうで、そんな「不倫」が当たり前の世の中にあって、このメディアや大衆を覆うリゴリズム(厳格主義)は異常と言うしかありません。私は、そこにもまた、この社会や大衆が持つ”病い”を覚えてならないのです。
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魔性
彼女に言わせれば、男性モデルはお金を持ってないので(モデルでは飯は食えないので)、自分の“美貌”を売りに女性にたかることしか考えてない「最低の男」が多いそうです。当時、ホストという職業があったのかどうかわかりませんが、今で言うホストのようなものかもしれません。その中で唯一「性格がいい」と褒めていたのは、阿部寛だけでした。
また、のちに“スキャンダル王”として芸能マスコミを賑わすことになる某男性タレントから誕生パーティに誘われたときも、「あの男は女を騙すことしか考えてないから気を付けた方がいいよ」と同じモデル仲間から忠告されたと言ってました。案の定、数年後、彼はお金と女にまつわるスキャンダルを起こして芸能界から姿を消したのでした。
私は、東出昌大の「不倫」報道を見て、昔の彼女から聞いたそんな話を思い出したのでした。東出昌大もモデル出身だそうで、彼もまた、女にたかることしか考えてない「最低の男」だったのかもしれません。もとより、杏にしても、東出から口説かれ東出の「最低の男」の部分に惚れて、みずからも熱を上げたのではないか。さらに、東出昌大は、杏を口説いたときと同じ手口で、唐田某を口説いたのではないか。「不倫」はただその延長上にあっただけなのでしょう。
今回のスキャンダルで、杏に同情が集まり、杏の好感度が上がったと言われていますが、私は、まったく逆でした。私は、杏が二十歳のときに、一般的な登山ルートでは国内で最難関と言われる奥穂・西穂間を縦走したと聞いて、彼女を尊敬していましたが(芸能界とは関係ない?)、今回の件ではがっかりしました。
東出の「不倫」は、カルロス・ゴーンのケースと同じで、本来家庭内で処理すべき問題だったのではないか。ここまで騒ぎが大きくなったのは、東出にきわめて近い筋からのリークがあったからではないかと言われていますが、もしそれが事実なら、三人の子どもの父親でもある夫に、社会的な制裁を加えるようなやり方は、あまりにもえげつないとしか言いようがありません。なんだか格差婚を盾にした上から目線さえ感じます。
東出と唐田某をこれでもかと言わんばかりに叩く芸能マスコミとそれに煽られる大衆にも、いつものことながら違和感を抱いてなりません。芸能人に聖人君子を求めてどうするんだと言いたくなります。芸能人こそ、聖人君子とはもっとも遠くにいる人間でしょう。何度もくり返しますが、芸能人は、本来、市民社会の埒外に存在する「河原乞食」なのです。「不倫」でもなんでもあるでしょう。聖人君子のような役者になんの魅力があるのかと思います。
同時に私は、あらためて村西とおる氏の下記の文章が思い出されてなりませんでした(引用元の「ポリスジャパン」はリンク切れになっていました)。
女優という生きものには「魔性」が潜んでいます。
すべての行動原理は「自からの利害得失」による、という「魔性」であります。 その女優が「好きになったから」という理由だけで女優が結婚するとはまったく考えられないのでございます。
女優は自分自身に惚れて惚れぬいて、自分しか愛せなくなった人間の就く職業でございます。 由に人前で他人の男とも平気でSEXが出来て、泣き笑い叫び歌えるのでございます。
女優とは人々からの「喝采」に魂を売り渡した人間であります。
「喝采」のためならなんでもやれる、のでございます。 淫売になれるどころか、必要なら人殺しさえやりかねない、それが女優であります。
だから普通の「お嬢さま」では絶対に「ならない」「なれない」のが「女優というお仕事」なのでございます。
それは、女優に限らず男優も同じて、芸能人というのは、ことばの真正な意味において、やくざな存在なのです。
「不倫」で芸能界から追放されるなんて、一体いつの時代の話だと言いたいです。他人の不幸は蜜の味とばかりに、執拗に東出や唐田某を叩くメディアや大衆には、おぞましささえ覚えます。
(やはり前に紹介しましたが)コンドームメーカーの相模ゴム工業が働く女性350人を対象に行った調査によれば、なんと58%が「不倫」の経験があるそうで、そんな「不倫」が当たり前の世の中にあって、このメディアや大衆を覆うリゴリズム(厳格主義)は異常と言うしかありません。私は、そこにもまた、この社会や大衆が持つ”病い”を覚えてならないのです。
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