やれやれ、今度のターゲットは鈴木杏樹のようです。鈴木杏樹を叩く“最低の世論”とそれに媚を売るメディアは、(いつも言ってますが)常軌を逸しているとしか思えません。
相模ゴム工業のアンケートだけでなく、(前も書きましたが)はるか昔に総理府だったかが「有職既婚女性」に対しておこなった調査でも、半数以上が「婚外性交渉」の経験があるという結果が出て、一時話題になったことがありました(調査対象の年齢層など細かいことは忘れました)。それは、金妻や失楽園のはるか前のことでした。
私たちのまわりでも、あるいは自分自身の胸に手を当てて考えてみれば、「不倫」が当たり前の現実があることは誰でもわかっているはずです。文藝春秋社の社員だってテレビ局の局員だって、実際に「不倫」をしている人間も、あるいはチャンスがあれば「不倫」をしたいと思っている人間も多いはずです。もとより、男と女が惹かれ合うのに、「不倫」もクソもないでしょう。恋愛に良いも悪いもないのです。たとえ「遊び」であってもです。
ネット民たちが、非モテのうっぷん晴らしで「不倫」を叩いているのはある程度想像できます。愛知トリエンナーレの電凸と同じように、ネトウヨ化した中高年のひきこもりが、ここでもまた中心的な役割を果たしているのかもしれません。でも、いちばん問題なのは、既存メディアがそんな“最低の世論”の片棒を担いでいることです。
今日のワイドショーでも、司会の坂上忍が、鈴木杏樹が千葉の海岸でデートしたあと、みずから運転する車でラブホに入ったことに対して、「あまりにも生々しすぎてショックでした」と、如何にも役者らしい大仰なもの言いでコメントしていました。
このようにテレビは、手っ取り早く視聴率を稼ぐために、頭の中は空っぽなのに口だけ達者な芸能人に “道徳ズラ”させて、“最低の世論”に媚を売るのでした。
一方、同じ「不倫」でも、大御所の芸能人はあっさりとスルーされるのでした。ビートたけしが再婚した相手の女性とは、誰もが知る「不倫」でした。しかも、その前もグラビアアイドルと「不倫」していました。たけしが愛人にそそのかされてオフィス北野から「独立」した際、愛人と愛人の犬の名前の頭文字を新しい事務所名に付けて色ボケぶりを晒したのですが、しかし、たけしは、愛人ではなくビジネスパートナーだと強弁していました。それがミエミエの嘘であることはみんなわかっていました。しかし、芸能マスコミの中でそれ以上の追及を行うところはありませんでした。
「不倫」三昧のたけしは、「不倫」などどこ吹く風でふんぞり返って大口を叩き(ときにはニュース番組で「道徳」を説き)、ベッキーや唐田某や鈴木杏樹は番組を降板させられるのです。なんと理不尽な話だろうと思わずにはおれません。
女性芸能人が「不倫」したら、どうして「略奪愛」と呼ばれ、まるで犯罪者のように悪罵を浴びせられるのか。昔から色恋が「芸の肥やし」と言われたのは、男性芸能人だけでした。女性芸能人は、ふしだらな女と石を投げられたのです。
でも、そうやって女性に「貞操」を求める一方で、実際は働く女性の半分以上が「不倫」を経験しているのです。フェミニストの小倉千加子は、「女はすべて外見」がフェミニズムの「最終回答」だとあえて身も蓋もないことを言ったのですが、「モテる」「モテない」という暗黙の基準を考慮すれば、(仕事を持っていて)異性にモテる女性にとって、「不倫」はめずらしいことではないのです。
「不倫」はあくまで夫婦間の問題にすぎません。相手の喜多村某が家庭内で処理すべきことで、「まったく」とは言わないけど、鈴木杏樹には関係のない話でしょう。
私は、女性が50歳になってもなお、恋する気持を忘れずに、好きな人を思い胸を焦がすのは、むしろすばらしいことだと思います。女優としても、文字通り「芸の肥やし」になるでしょう。鈴木杏樹が「不倫」していたことを知って、逆に彼女の魅力を再発見したファンも多いはずです。それに、50歳の女性が恋をすれば、(ここでも「モテる」「モテない」の暗黙の基準を考慮すれば)相手に既婚者の割合が高くなるのは仕方ないことでしょう。
鈴木杏樹に比べて、厚労省の役人(文字通りの上級国民)が税金を使って「不倫」旅行をしたことに対しては、何故かメディアも国民も腰が引けています。ワイドショーでも、鈴木杏樹の10分の1も時間を割いていません。たけしのときと同じように、見て見ぬふりをしようとしているかのようです。ここにも、官尊民卑のこの国のヘタレな体質が出ているような気がしてなりません。要するに、芸能人の「不倫」は、叩きやすいところを叩いているだけなのです。
また(蛇足を承知で言えば)、「不倫」を叩く”最低の世論”の背後に、杉田水脈の”生産性発言”に象徴されるような、「伝統的家族」という戦前回帰の思想が伏在していることも忘れてはならないでしょう。
相模ゴム工業のアンケートだけでなく、(前も書きましたが)はるか昔に総理府だったかが「有職既婚女性」に対しておこなった調査でも、半数以上が「婚外性交渉」の経験があるという結果が出て、一時話題になったことがありました(調査対象の年齢層など細かいことは忘れました)。それは、金妻や失楽園のはるか前のことでした。
私たちのまわりでも、あるいは自分自身の胸に手を当てて考えてみれば、「不倫」が当たり前の現実があることは誰でもわかっているはずです。文藝春秋社の社員だってテレビ局の局員だって、実際に「不倫」をしている人間も、あるいはチャンスがあれば「不倫」をしたいと思っている人間も多いはずです。もとより、男と女が惹かれ合うのに、「不倫」もクソもないでしょう。恋愛に良いも悪いもないのです。たとえ「遊び」であってもです。
ネット民たちが、非モテのうっぷん晴らしで「不倫」を叩いているのはある程度想像できます。愛知トリエンナーレの電凸と同じように、ネトウヨ化した中高年のひきこもりが、ここでもまた中心的な役割を果たしているのかもしれません。でも、いちばん問題なのは、既存メディアがそんな“最低の世論”の片棒を担いでいることです。
今日のワイドショーでも、司会の坂上忍が、鈴木杏樹が千葉の海岸でデートしたあと、みずから運転する車でラブホに入ったことに対して、「あまりにも生々しすぎてショックでした」と、如何にも役者らしい大仰なもの言いでコメントしていました。
このようにテレビは、手っ取り早く視聴率を稼ぐために、頭の中は空っぽなのに口だけ達者な芸能人に “道徳ズラ”させて、“最低の世論”に媚を売るのでした。
一方、同じ「不倫」でも、大御所の芸能人はあっさりとスルーされるのでした。ビートたけしが再婚した相手の女性とは、誰もが知る「不倫」でした。しかも、その前もグラビアアイドルと「不倫」していました。たけしが愛人にそそのかされてオフィス北野から「独立」した際、愛人と愛人の犬の名前の頭文字を新しい事務所名に付けて色ボケぶりを晒したのですが、しかし、たけしは、愛人ではなくビジネスパートナーだと強弁していました。それがミエミエの嘘であることはみんなわかっていました。しかし、芸能マスコミの中でそれ以上の追及を行うところはありませんでした。
「不倫」三昧のたけしは、「不倫」などどこ吹く風でふんぞり返って大口を叩き(ときにはニュース番組で「道徳」を説き)、ベッキーや唐田某や鈴木杏樹は番組を降板させられるのです。なんと理不尽な話だろうと思わずにはおれません。
女性芸能人が「不倫」したら、どうして「略奪愛」と呼ばれ、まるで犯罪者のように悪罵を浴びせられるのか。昔から色恋が「芸の肥やし」と言われたのは、男性芸能人だけでした。女性芸能人は、ふしだらな女と石を投げられたのです。
でも、そうやって女性に「貞操」を求める一方で、実際は働く女性の半分以上が「不倫」を経験しているのです。フェミニストの小倉千加子は、「女はすべて外見」がフェミニズムの「最終回答」だとあえて身も蓋もないことを言ったのですが、「モテる」「モテない」という暗黙の基準を考慮すれば、(仕事を持っていて)異性にモテる女性にとって、「不倫」はめずらしいことではないのです。
「不倫」はあくまで夫婦間の問題にすぎません。相手の喜多村某が家庭内で処理すべきことで、「まったく」とは言わないけど、鈴木杏樹には関係のない話でしょう。
私は、女性が50歳になってもなお、恋する気持を忘れずに、好きな人を思い胸を焦がすのは、むしろすばらしいことだと思います。女優としても、文字通り「芸の肥やし」になるでしょう。鈴木杏樹が「不倫」していたことを知って、逆に彼女の魅力を再発見したファンも多いはずです。それに、50歳の女性が恋をすれば、(ここでも「モテる」「モテない」の暗黙の基準を考慮すれば)相手に既婚者の割合が高くなるのは仕方ないことでしょう。
鈴木杏樹に比べて、厚労省の役人(文字通りの上級国民)が税金を使って「不倫」旅行をしたことに対しては、何故かメディアも国民も腰が引けています。ワイドショーでも、鈴木杏樹の10分の1も時間を割いていません。たけしのときと同じように、見て見ぬふりをしようとしているかのようです。ここにも、官尊民卑のこの国のヘタレな体質が出ているような気がしてなりません。要するに、芸能人の「不倫」は、叩きやすいところを叩いているだけなのです。
また(蛇足を承知で言えば)、「不倫」を叩く”最低の世論”の背後に、杉田水脈の”生産性発言”に象徴されるような、「伝統的家族」という戦前回帰の思想が伏在していることも忘れてはならないでしょう。