昨日、3週間ぶりに開かれた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議で、同会議が提言した「人との接触を8割減らす。 日常生活を見直す10のポイント」なるものを見て、私は「なに、それ」と思いました。

提言なんて仰々しい言い方をしていますが、ここに至っても、そんな子どもに悟すようなことしか言えないのかと思いました。もっとも、この提言は、緊急事態宣言を延長するための”前振り”のように思えなくもありません。

頭隠して尻隠さずのような自粛ばかり押し付けられていますが、ホントに感染の拡大の原因は、自粛の不徹底だけなのでしょうか。一方では、外出の自粛と関係のない、院内感染や家庭内感染の問題が取り沙汰されるようになっているのです。また、都心の繁華街だけでなく、今度は地元の商店街やスーパーや公園などの”密”が問題視されています。なんだか都心から地元へ地元から家庭へと、追いかけっこしているような気がしないでもありません。

挙句の果てには、政府や東京や大阪などの自治体からは、休業要請に応じないパチンコ店などの店名を公表するという話が出ています。いよいよ緊急事態宣言の本性が表れてきたように思えてなりません。こうやって要請が命令になっていくのです。

それにつれ、ネットを中心に、自粛に従わない人間たちに対するバッシングもエスカレートするばかりです。しかも、そのバッシングは感染者にも向けられ、感染者はまるで犯罪者のように指弾されるのでした。

前も書きましたが、自粛は人々に大きなストレスを与えます。そのストレスのはけ口が、自粛要請を守らない不謹慎者や「迷惑をかけられる」感染者にぶつけられるのです。これこそファシズムにおける大衆心理の典型的な構造と言えるでしょう。

ヤフコメをはじめネットは、この手の書き込み(罵言)で溢れています。そうやって全体主義に「レイプされた大衆」(セルゲイ・チャコティン)は、まるでファシストたちの”サディズム的快感”をインプットされたかのように「不謹慎者狩り」に走るのでした。まさに歴史は繰り返しているのです。

自治体には、公園で親子連れが遊んでいるので迷惑だというクレームが多く寄せられ、自治体は公園の遊具にテープを貼って使用できないように対策を講じているそうです。また、先週の日曜日には、千葉や湘南の海に多くのサーファーなどが押し寄せたため、地元の住民たちが「恐怖を覚えた」として、地元の自治体は駐車場の閉鎖を決めたそうです。さらに、鎌倉や藤沢や逗子など湘南地区の11自治体は、神奈川県の黒岩知事に対して、「海岸の封鎖や道路を通行止めの措置をとるよう」要望したのだそうです。

こうやって移動の自由という基本的人権も、なんの躊躇いもなくあっさりと否定されるのです。

私が通う奥多摩でも、山梨の小菅村や東京の奥多摩町や檜原村など関係自治体が、登山の自粛を呼びかけ、併せて駐車場や林道の閉鎖を決定したというニュースがありました。

また、それに呼応するように、日本山岳会、日本山岳ガイド協会、日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟の山岳4団体は、登山の自粛を呼びかける共同声明を発表したそうです。

その共同声明「山岳スポーツ愛好者の皆様へ」は、次のように呼びかけていました。

(略)全国民が、外出制限、商業施設の相次ぐ閉鎖あるいは在宅勤務等々、日々逼迫した窮屈な生活を強いられています。このような現況下で、都市を離れ、清浄な空気と自然を求めての登山やクライミング行為は、出先の方々への感染を広め、山岳スポーツ愛好者自身が感染するリスクを高めます。

(略)この緊急事態に対処するには、山岳スポーツを愛する皆様の他者への思いやり、そして何よりご自身の感染防御に専心され、事態の収束を見るまで山岳スポーツ行為を厳に自粛していただきますよう山岳四団体としてお願いいたします。

日本山岳・スポーツクライミング協会
<山岳四団体声明>山岳スポーツ愛好者の皆様へ


先の戦争のときも、おそらく似たような声明が出されたのでしょう。

登山には、「自立した登山者であれ」という言葉があります。人に連れられて行った「山」は山ではない、という言い方もあります。山に登るということは、すべてのリスクを自分で背負うということです。その”覚悟”を持つということです。そのためには、”覚悟”に似合う体力と技術と知識と精神力が要求されるのです。それが「自立」ということです。

誤解を怖れずに言えば、今回の声明は、登山の“自立(孤高)の精神”とは真逆にあるものと言えるでしょう。もちろん、自粛に従わないことが「自立した登山者」であると言いたいわけではなく、山岳団体が、登山者に対して八つ当たりしているとしか思えない地元の要望を受けて、頭から登山者を縛るような声明を出すことに違和感を覚えてならないのです。山岳団体としては、(自粛に反対するのでも従うのでもなく)静観する姿勢があってもいいのではないかと思います。どこかの「頭悪すぎて笑う」登山家とは違うのですから、静観するのもひとつの見識でしょう。

閑話休題、私には、昨日の専門家会議の提言は、自分たちの瑕疵(ミス)を棚に上げて、感染の拡大の責任を国民に押し付ける”詭弁”のようにしか思えません。そして、”詭弁”を”詭弁”と指摘できない今の風潮は、益々日本の「独り負け」を加速させるだけのように思います。自然の猛威である新型コロナウイルスは、原発事故などと違って、日本人お得意のごまかしはきかないのです。

オリンピックや政権の体裁のための初動の遅れ。PCR検査の抑制による感染者の隠蔽。その延長にある政府の場当たり的な対応に唯々諾々と従い、お墨付けを与えるだけの専門家会議。未だに市中感染率さえ把握できてない事態を招いた責任は、専門家会議にもあるでしょう。これでは、ナチスのNSV(ナチス民衆福祉団)と同じようなものと言っても言い過ぎではないでしょう。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲