昨日電話がかかってきた田舎の友人は、道路を走っていて、県外ナンバーの車を見るとドキッとすると言ってました。また、近所の家の家族と遭遇した際、その中に他県の大学に行っている息子がいたので、「どうしたの?」と訊いたら、「学校が休みになったので帰って来た」と言っていたそうですが、そう言う息子を見て、思わず後ずさりしている自分がいたと言っていました。
友人は読書が趣味のそれなりのインテリですが、もはやビョーキみたいな感じです。私は、友人の話を聞きながら、出入り業者が、リゾートマンションに「東京の人間が入り込んでいるそうですよ。気を付けた方がいいですよ」と触れ回っていたという、別の友人の話を思い出しました。
「県をまたいだ移動」が人々にこれほどの恐怖心を与えているのです。まるで江戸時代のようですが、国家の脅しはかように効果的なのです。「ファシスト的公共」は、このようにいとも簡単に立ち現れるのです。そして、あとは思考停止に陥った市民たちによる異端者狩り=“集団リンチ”が行われるだけです。
奥多摩の住民が、登山者に「恐怖を覚える」というのも同じでしょう。私は、このブログでも書いているとおり、毎週のように奥多摩の山に通っていましたが、今まで地元の住民と「密」に遭遇したことなどありません。たまに遠くで畑仕事をしている姿を見るくらいです。まして、私たちは奥多摩の地元住民とキスをするわけでもハグをするわけでもないのです。コンビニもないようなあんな山奥に何の「密」があるというのでしょうか。
奥多摩に行く電車やバスが「密」になると言いますが、たしかに登山シーズンの週末に電車やバスが混雑するのは事実です。だったら週末を避ければいいだけの話です。私は誰もいない山をひとりで歩くのが好きなので、普段から週末に行くのを極力避けていますが、ホリデー快速おくたま号(週末だけ運行される奥多摩行きの臨時電車)や週末の御岳山や大山や高尾山のケーブルカーを運行しなければいいだけです(個人的には、中高年の団体登山も禁止にしてもらいたいけど)。
野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などの山岳団体が、「8割削減」のスローガンに無定見に従って、登山の自粛を呼びかけるなんていうのは愚の骨頂です。ここにも、右と左が同居した、有無を言わせない翼賛的な空気が作られているのです。
昨日も、群馬の妙義山で滑落した男性のニュースがYahoo!ニュースに転載され、コメント欄に巣食う“自粛警察”の恰好の餌食になっていましたが、案の定、「日本山岳会などが登山自粛を呼びかけているにもかかわらず」というような言い方がされていました。「登山自粛」がいつの間にか「登山禁止」になっているのです。野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などは、そうやって登山者を縛るだけでなく、“登山者叩き”の口実を与えているのでした。
そもそも、登山者を代表しているかのような野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟のふるまいには、ひとりの山好きとして非常に違和感があります。同じ登山愛好家なら、まずやるべきことは、どうすれば感染のリスクを減らすことができるかとか、山に登る上でどういうことを気を付けるべきかとか、そういった注意喚起を促すことでしょう。そして、(山小屋を除いて)登山は「密」ではないということを周知すべきなのです。
また、「密」な山小屋にしても、その存在は、利用するしないにかかわらず、登山者にとっても、あるいは登山文化にとっても、無関心ではいられない問題があるのはたしかです。宿泊料金の値上げも含めて、どうすれば「密」を解消できるかをみんなで知恵を出し合って考えるべきでしょう。国立公園の40パーセントが民有地という現状を考えるとき、前から言っているように、入山料の徴収も視野に入れるべきかもしれません。
驚くべきことは、野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟など山岳団体の「登山自粛」の声明に対して、声を上げる登山愛好家があまりに少ないということです。それだけリーダーの背中ばかり見て山に登っているような、「自立していない」登山者が多いということかもしれません。
山に限らないけど、大事なことは自己防衛と自己判断なのです。そういう「生活スタイル」を身に付けることです。買い物や食事に行くときも、あるいは休日に観光地に遊びに行くときも、ちゃんと感染防止の対策を取っているかどうか、自分で見極め自分で判断することでしょう。感染防止策を取ってないような店には行かなければいいのです。また、当然ながら世の中には感染防止の知識も意識もない無神経な人間も一定数存在しますが、そんな人間には(心の中で軽蔑しながら)近づかなければいいだけの話です。
しかも、現在の感染の多くは、院内感染と家庭内感染です。それを「8割削減」「外出自粛」に強引に結び付けているのです。そこに、国家の脅しと詐術があるのです。
友人は読書が趣味のそれなりのインテリですが、もはやビョーキみたいな感じです。私は、友人の話を聞きながら、出入り業者が、リゾートマンションに「東京の人間が入り込んでいるそうですよ。気を付けた方がいいですよ」と触れ回っていたという、別の友人の話を思い出しました。
「県をまたいだ移動」が人々にこれほどの恐怖心を与えているのです。まるで江戸時代のようですが、国家の脅しはかように効果的なのです。「ファシスト的公共」は、このようにいとも簡単に立ち現れるのです。そして、あとは思考停止に陥った市民たちによる異端者狩り=“集団リンチ”が行われるだけです。
奥多摩の住民が、登山者に「恐怖を覚える」というのも同じでしょう。私は、このブログでも書いているとおり、毎週のように奥多摩の山に通っていましたが、今まで地元の住民と「密」に遭遇したことなどありません。たまに遠くで畑仕事をしている姿を見るくらいです。まして、私たちは奥多摩の地元住民とキスをするわけでもハグをするわけでもないのです。コンビニもないようなあんな山奥に何の「密」があるというのでしょうか。
奥多摩に行く電車やバスが「密」になると言いますが、たしかに登山シーズンの週末に電車やバスが混雑するのは事実です。だったら週末を避ければいいだけの話です。私は誰もいない山をひとりで歩くのが好きなので、普段から週末に行くのを極力避けていますが、ホリデー快速おくたま号(週末だけ運行される奥多摩行きの臨時電車)や週末の御岳山や大山や高尾山のケーブルカーを運行しなければいいだけです(個人的には、中高年の団体登山も禁止にしてもらいたいけど)。
野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などの山岳団体が、「8割削減」のスローガンに無定見に従って、登山の自粛を呼びかけるなんていうのは愚の骨頂です。ここにも、右と左が同居した、有無を言わせない翼賛的な空気が作られているのです。
昨日も、群馬の妙義山で滑落した男性のニュースがYahoo!ニュースに転載され、コメント欄に巣食う“自粛警察”の恰好の餌食になっていましたが、案の定、「日本山岳会などが登山自粛を呼びかけているにもかかわらず」というような言い方がされていました。「登山自粛」がいつの間にか「登山禁止」になっているのです。野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などは、そうやって登山者を縛るだけでなく、“登山者叩き”の口実を与えているのでした。
そもそも、登山者を代表しているかのような野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟のふるまいには、ひとりの山好きとして非常に違和感があります。同じ登山愛好家なら、まずやるべきことは、どうすれば感染のリスクを減らすことができるかとか、山に登る上でどういうことを気を付けるべきかとか、そういった注意喚起を促すことでしょう。そして、(山小屋を除いて)登山は「密」ではないということを周知すべきなのです。
また、「密」な山小屋にしても、その存在は、利用するしないにかかわらず、登山者にとっても、あるいは登山文化にとっても、無関心ではいられない問題があるのはたしかです。宿泊料金の値上げも含めて、どうすれば「密」を解消できるかをみんなで知恵を出し合って考えるべきでしょう。国立公園の40パーセントが民有地という現状を考えるとき、前から言っているように、入山料の徴収も視野に入れるべきかもしれません。
驚くべきことは、野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟など山岳団体の「登山自粛」の声明に対して、声を上げる登山愛好家があまりに少ないということです。それだけリーダーの背中ばかり見て山に登っているような、「自立していない」登山者が多いということかもしれません。
山に限らないけど、大事なことは自己防衛と自己判断なのです。そういう「生活スタイル」を身に付けることです。買い物や食事に行くときも、あるいは休日に観光地に遊びに行くときも、ちゃんと感染防止の対策を取っているかどうか、自分で見極め自分で判断することでしょう。感染防止策を取ってないような店には行かなければいいのです。また、当然ながら世の中には感染防止の知識も意識もない無神経な人間も一定数存在しますが、そんな人間には(心の中で軽蔑しながら)近づかなければいいだけの話です。
しかも、現在の感染の多くは、院内感染と家庭内感染です。それを「8割削減」「外出自粛」に強引に結び付けているのです。そこに、国家の脅しと詐術があるのです。