先程のテレビ東京の夕方のニュースで、東京都が高齢者施設や身障者施設の入居者や職員など15万人にPCR検査を実施することを決定し、そのための予算案を今月開会される都議会に提出するというニュースがありました。また、施設の職員に関しては、定期的に検査をする方針にしたそうです。

まだほかのメディアが報じてないので、真偽のほどはわかりませんが、もしこれが事実なら(仮に小池都知事のパフォーマンスであっても)誠に慶賀すべきことと言えるでしょう。

ただ一方で、どうして今頃という気持もぬぐえません。どうしてもっと早くできなかったのか。国も自治体も、今まではPCR検査は一定の偽陰性が生じるので、のべつまくなしに検査しても仕方ないなどと言って、PCR検査をサボタージュしながら、その一方で感染防止を要請するというトンチンカンなことをやってきたのでした。

PCR検査をしても仕方ないなどと言っていたのは日本だけです。だから、日本だけが極端に検査数が少なかったのです。しかも、曲学阿世の御用医学者(専門家)たちが、そういった似非イデオロギーにお墨付けを与えていたのでした。それも日本特有の光景でした。

彼らは検査至上主義は危険だなどと言っていましたが、仮に検査至上主義が危険だとしても、だから検査しないでいいという理屈にはならないでしょう。30%の偽陰性が生じるから検査しても意味がないというのと同じです。シロウトから見ても、まったく「科学的態度」とは言えないのです。

できれば、「感染経路不明」の感染者を少なくするために、30歳以下の若者や通勤電車を利用するサラリーマンやOLたちにも、検査の幅を広げてもらいたいものです。そうすれば、「怖いですねえ」とか言いながら、感染防止などどこ吹く風の無神経な人間たちもいくらか減るでしょう。自分が感染しているかどうかもわからないのに、他人に移す(感染させる)という自覚を持てという方が無理なのです。

山に行くと、登山口に向かうバスなども、密を避けるために、ひとつ置きに座席に✕印が付けられて使用禁止になっていますが、それに比べれば都内の通勤電車は狂気の沙汰です。密とは無縁な山の方がソーシャルディスタンスが保たれているのです。こんなバカげた矛盾があるでしょうか。

だから、この国には無神経と自粛警察(=社会不安障害)の両極端しかいないのです。PCR検査に対する似非イデオロギーをふりまいた行政当局や曲学阿世の御用医学者(専門家)たちが、そういった歪んだ状況を作り出したのです。

その背後には、あきらかに事なかれ主義の(小)役人的発想が存在しているように思います。「マスクを配れば不安がパッと消えます」と進言した経産省出身の首相秘書官などが典型ですが(それを真に受けたこの国の総理大臣もよっぽどですが)、この国の役人はホントに優秀なのだろうかと思います。アベノマスクに見られるような子どもじみた現実感覚しか持ってないのではないか。公務員はよく世間知らずと言われますが、世間知らずというのは間違っても優秀とは言えないでしょう。

遅きに失した感はありますが、この東京都のニュースがホントなら、(小)役人たちもいくらか世間知に近づいたと言えるのかもしれません。
2020.09.01 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲