安倍首相の政権投げ出しに対して、今回は前回のような批判が影を潜めています。やったことは同じでも、それに対する反応はまったく違ったものになっているのでした。
たとえば、立憲民主党から参院選に出馬したこともある芸人のおしどりマコは、安倍首相に対する石垣のりこ議員のツイートに対して、みずからのツイッターで、次のように批判していました。

https://twitter.com/makomelo/status/
でも、私は、このツイートの意味がよくわかりません。私たちは、潰瘍性大腸炎という病気に罹ったことを批判しているのではないのです。まして、病気が自己責任だなどと言っているわけではありません。持病を抱えながら、二度に渡って権力の座を欲したその無責任な姿勢を批判しているのです。その結果、二度も政権を投げ出して、“政治的空白”をもたらすことになったのです。そもそも、この”非常時”に国会を開かなかったのも、病気の悪化で安倍首相自身が躊躇したからかもしれません。
石垣議員も、持病で政治を停滞させることがわかっていながら、二度に渡って権力を欲し、同じことをくり返したその姿勢が無責任だと言いたかったのだと思います。それを立憲民主党執行部は、「不適切発言」と断じ、謝罪と削除を命じたのでした。
内閣総理大臣というのは、一般市民とは違うのです。公人!なのです。サラリーマンやOLとは、立場がまったく異なるのです。
公人!である安倍首相の病気を、サラリーマンやOLの病気と同じように考えると、大きな錯誤を招くことになるでしょう。それは、最高権力者の健康が第一級の国家機密だと言われる理由を少しでも考えればわかることです。
もっとも、安倍首相の病気に関しては、第一級の国家機密であるはずなのに、どうして千駄ヶ谷の慶応大学病院に検査に向かうのがバレバレだったのかという疑問があります。普通は誰にも知られないように検査を受けるはずでしょう。安倍首相の病気は、辞任を軟着陸させるためのストーリーだったんじゃないかという見方がありますが、その後の流れを見ると、あながち的外れとは言えないんじゃないかと思ったりもします。
前回は、「政権を投げ出した」と批判していたメディアが、今回はまったく逆に同情的な報道に終始し、それが辞任後すぐに、安倍内閣の支持率が55%に急上昇し、安倍政権を「評価する」が71%に上ったという世論調査(朝日新聞社が2、3日に実施した世論調査)に表れているのです。次期首相にふさわしいのは誰かという質問でも、「菅氏」と答えたのがいちばん多かったそうです。まさに衆愚としか言いようがありませんが、世論とはそういうものでしょう。
この世論調査の結果は、総理大臣を自分たちの都合のいいようにたらい回しする、派閥のボスたちのやり方を実質的に追認したと言えるでしょう。安倍辞任に同情的な報道に終始したメディアがそう仕向けたのです。やることなすこと全てが裏目に出る、政治的行き詰まりによる支持率低迷から見事なまでに流れが反転しているのです。なんだかおかしな(この国のメディアにありがちな)政治の力がはたらいているような気がしてなりません。
安倍辞任に対するメディアの報道は、まるで独裁国家のそれのようですが、おしどりマコの発言もそんなメディアと軌を一にしていると言えるでしょう。
「言論の自由などない。あるのは自由な言論だけだ」と言ったのは、おなじみの竹中労ですが、たとえば、「言論の自由」のいかがわしさを考える上で、(安倍辞任とは直接関係がないけど)下記の朝日の記事などは好例です。いいように憎悪を煽ってきたくせに、憎悪の相手から反撃されると、途端に仮面ライダーのように民主主義者に変身するのは、彼ら差別主義者の得意芸です。でも、おしどりマコはそのカラクリを見抜くことはできないのでしょう。もしかしたら、ものごとの本質を隠蔽し差別主義者に逃げ場を与える、こういうメディアのオブスキュランティズム(両論併記の曖昧主義)を、民主主義のあるべき姿と思っているのかもしれません。
朝日新聞デジタル
炎上した三浦瑠麗さんのCM 「左右問わず排除激しく」
安倍政治がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。おしどりマコのように「公」と「私」を混同し「情緒」で政治を語るようでは、今の世も末のような衆愚政治を「理会」(©竹中労)することはできないでしょう。それどころか彼女のツイートは、野党もまた、この世も末のような衆愚政治に組み込まれていることをいみじくも証明しているように思えてなりません。
たとえば、立憲民主党から参院選に出馬したこともある芸人のおしどりマコは、安倍首相に対する石垣のりこ議員のツイートに対して、みずからのツイッターで、次のように批判していました。

https://twitter.com/makomelo/status/
でも、私は、このツイートの意味がよくわかりません。私たちは、潰瘍性大腸炎という病気に罹ったことを批判しているのではないのです。まして、病気が自己責任だなどと言っているわけではありません。持病を抱えながら、二度に渡って権力の座を欲したその無責任な姿勢を批判しているのです。その結果、二度も政権を投げ出して、“政治的空白”をもたらすことになったのです。そもそも、この”非常時”に国会を開かなかったのも、病気の悪化で安倍首相自身が躊躇したからかもしれません。
石垣議員も、持病で政治を停滞させることがわかっていながら、二度に渡って権力を欲し、同じことをくり返したその姿勢が無責任だと言いたかったのだと思います。それを立憲民主党執行部は、「不適切発言」と断じ、謝罪と削除を命じたのでした。
内閣総理大臣というのは、一般市民とは違うのです。公人!なのです。サラリーマンやOLとは、立場がまったく異なるのです。
公人!である安倍首相の病気を、サラリーマンやOLの病気と同じように考えると、大きな錯誤を招くことになるでしょう。それは、最高権力者の健康が第一級の国家機密だと言われる理由を少しでも考えればわかることです。
もっとも、安倍首相の病気に関しては、第一級の国家機密であるはずなのに、どうして千駄ヶ谷の慶応大学病院に検査に向かうのがバレバレだったのかという疑問があります。普通は誰にも知られないように検査を受けるはずでしょう。安倍首相の病気は、辞任を軟着陸させるためのストーリーだったんじゃないかという見方がありますが、その後の流れを見ると、あながち的外れとは言えないんじゃないかと思ったりもします。
前回は、「政権を投げ出した」と批判していたメディアが、今回はまったく逆に同情的な報道に終始し、それが辞任後すぐに、安倍内閣の支持率が55%に急上昇し、安倍政権を「評価する」が71%に上ったという世論調査(朝日新聞社が2、3日に実施した世論調査)に表れているのです。次期首相にふさわしいのは誰かという質問でも、「菅氏」と答えたのがいちばん多かったそうです。まさに衆愚としか言いようがありませんが、世論とはそういうものでしょう。
この世論調査の結果は、総理大臣を自分たちの都合のいいようにたらい回しする、派閥のボスたちのやり方を実質的に追認したと言えるでしょう。安倍辞任に同情的な報道に終始したメディアがそう仕向けたのです。やることなすこと全てが裏目に出る、政治的行き詰まりによる支持率低迷から見事なまでに流れが反転しているのです。なんだかおかしな(この国のメディアにありがちな)政治の力がはたらいているような気がしてなりません。
安倍辞任に対するメディアの報道は、まるで独裁国家のそれのようですが、おしどりマコの発言もそんなメディアと軌を一にしていると言えるでしょう。
「言論の自由などない。あるのは自由な言論だけだ」と言ったのは、おなじみの竹中労ですが、たとえば、「言論の自由」のいかがわしさを考える上で、(安倍辞任とは直接関係がないけど)下記の朝日の記事などは好例です。いいように憎悪を煽ってきたくせに、憎悪の相手から反撃されると、途端に仮面ライダーのように民主主義者に変身するのは、彼ら差別主義者の得意芸です。でも、おしどりマコはそのカラクリを見抜くことはできないのでしょう。もしかしたら、ものごとの本質を隠蔽し差別主義者に逃げ場を与える、こういうメディアのオブスキュランティズム(両論併記の曖昧主義)を、民主主義のあるべき姿と思っているのかもしれません。
朝日新聞デジタル
炎上した三浦瑠麗さんのCM 「左右問わず排除激しく」
安倍政治がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。おしどりマコのように「公」と「私」を混同し「情緒」で政治を語るようでは、今の世も末のような衆愚政治を「理会」(©竹中労)することはできないでしょう。それどころか彼女のツイートは、野党もまた、この世も末のような衆愚政治に組み込まれていることをいみじくも証明しているように思えてなりません。