伊勢谷友介が大麻取締法違反の疑いで逮捕されましたが、さっそく芸能マスコミは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式のバッシングに狂奔しています。それは、まさに狂奔ということばしか見つからないほど常軌を逸しています。

こういったセンセーショナルなバッシング報道に対して、疑義を唱える声がほとんど聞こえてこない今の状況は、どう考えても異常です。

大麻で芸能人を逮捕して大騒ぎするのは、先進国では日本だけと言った人がいましたが、一罰百戒の見せしめのために、逮捕された芸能人をさも重罪人のようにバッシングするメディアがその片棒を担いでいるのです。これでは、日本においては、他の先進国では常識ですらある大麻に対する冷静な議論も、夢のまた夢と言えるでしょう。今にはじまったことではありませんが、この国には「自由な言論」がまったく存在しないのです。

菅義偉の総裁選立候補の記者会見を見学した宮台真司は、東京新聞の望月衣塑子記者の質問を菅と一緒になって嘲笑していた会見場の記者たちについて、「あさましくさもしい」と下記の番組でこき下ろしていましたが、権力の監視どころか、権力の番犬(忠犬?)に成り下がったメディアのテイタラクは、なにも芸能マスコミに限った話ではないのです。

マル激トーク・オン・ディマンド
安倍政権の検証(1)
日本の民主政治を変質させた責任を問う


若い世代ほど安倍内閣の支持率が高く、20代(男性)では60%近くが「支持する」と答えたという数字さえあります。どうしてなのか。それは、物心ついたときからずっと安倍政権が続いているので、若者たちは安倍政権しか知らず、そのため安倍政権が政治のスタンダードになっているからだと宮台真司は言っていましたが、さもありなんと思いました。まるで長期独裁政権下の国民のようです。

しかし、政権を牛耳るのは、安倍・麻生・二階・菅など傲岸不遜でいかがわしい爺さんたちです。どう見ても「くそジジイ」です。ところが、今の若者たちは、そんな老いてもなお権力に汲々とする利権まみれの爺さんたちを「くそジジイ」呼ばわりするどころか、「凄い!」などと言って称賛しているのです。私たちの感覚からすれば驚くべきことです。

それは、若い政治記者たちも同じです。ジャーナリストの矜持などどこ吹く風で、政治家に気に入られサラリーマンとして栄達の道を歩むことしか念頭にないかのようです。一握りの老害政治家が牛耳る、文字通りの前時代の遺物のような今の政治をおかしいとも思わないのでしょう。彼らは、老害政治家にたかる銀バエのようで、ただ忖度しておべんちゃらな質問をくり返すだけです。

今ほど若者が権力や権威に弱く、事大主義的になった時代はないように思います。毛沢東ではないですが、いつの時代も革命の主役は若者でした。しかし、今は若者がアンシャン・レジュームになっているのです。もっとも、自分より強いものにはヘラコラする一方で、同輩や目下に対しては結構えげつなくて計算高いのも彼らの特徴です。競争に勝つためには手段は二の次で、卑怯なことも厭わないのです。

よく言われるように、日本は経済的に没落し余裕がなくなったので、座る椅子も少なくなっており、そのため、朝夕の通勤電車と同じで、サークル内の椅子取り合戦(ポジション取り)も熾烈をきわめているのです。まして、新聞社やテレビ局などは、誰しもが認める”限界企業“です。そう考えれば、権力にすり寄る「あさましくさもしい」記者が多いのも、当然と言えば当然かもしれません。

仕事先の知人は、大倒産・大失業・大増税の時代が目前に迫っているのに、「日本ではどうしてアメリカのように暴動が起きないんだろう?」と不思議がっていましたが、たしかに日本では、暴動どころか、政権批判する人物をSNSや電凸で攻撃する、”現代版アカ狩り”に動員されているのがオチです。日本の若者たちは、椅子にふんぞり返って国民を見下し、「日本を、取り戻す」(自民党のポスター)という掛け声とは裏腹に、ネオリベラリズムに拝跪して日本を切り売りしている老害政治家に対して、「がんばれ!」「日本を守ってくれてありがとうございます!」と拍手喝さいを送っているのです。そのトンチンカンで倒錯した感覚にも驚くばかりです。

そして、若い記者たちも、老害政治家と一緒になって、政権にまつろわぬ目障りな記者を嘲笑し、その記者の質問権を奪うことに手を貸しているのです。そうやって、政治を私物化して総理大臣をたらいまわしする与党の派閥のボスたちに忠誠を誓い、みずからのポジションを守っているのでしょう(正確に言えば、守っているつもりなのでしょう)。

芸能記者も政治記者もみんな、「あさましくさもしい」同じ穴のムジナなのです。
2020.09.09 Wed l 社会・メディア l top ▲