相変わらず憂鬱な気分はつづいています。昨日の朝も、山に行く準備をしていったん家を出て電車に乗ったものの、天気もすぐれなかったということもあって、なんだか行く気がしなくなり途中で引き返して帰ってきました。こんなことは初めてです。
ザックを背負って登山靴を履いた、見るからに場違いで大袈裟な恰好をした男が、駅に向かう人波をかきわけるように逆方向に歩いているのです。朝っぱらから何をやっているんだろうと思われたかもしれません。
最近は、些末なことでも自分の中では非常に大きなことのように思えて、執拗にこだわって一人相撲をとっているようなケースがよくあります。そして、被害妄想ではないですが、悪い方に解釈して必要以上にことを荒立てるようなことをくり返しています。
先日もネット通販であるものを買ったのですが、送られて来た商品は部品が欠けた不良品でした。それで販売元にメールすると、写真を送るように言われました。言われたとおり写真を送ると、今度は商品を送り返せと言われました。商品が戻って来たら、それを確認してから代替品を送るというのです。そういった説明に既に苛立っている自分がいました。
しかも、メールでやり取りしていると、相手はあきからに日本語の使い方におかしなところがあり、文章の中の漢字に中国の簡体字が使われていました。私は「中国人か」と思いました。すると、私の中に中国人に対する予断と偏見が頭をもたげてきたのでした。
返品したものの数日経ってもいっこうに連絡がないので、しびれを切らして催促したら、「今から確認します」と返事があり、さらに、工場が休みになったので代替品を送るのは1週間か10日後になると言われました。
サイトを確認すると、1週間休むという「お知らせ」が出ていました。私は、催促した途端に休みに入るのは不自然じゃないかとメールを送りました。すると、相手から「心配をおかけしますが、間違いなく送りますのでご安心下さい」と返事がありました。
私は、ショッピングモールを運営している会社のカスタマーセンターに、このショップは「怪しい」と連絡しました。カスタマーセンターからは、販売時のトラブルは原則としてお客様とショップの間で解決してもらうしかなく、運営会社は関与できないという返事が来ました。それで、今度はそういった姿勢は運営会社としておかしいのではないかとメールを送りました。
ところが、テレビを観ていたら、中国では国慶節の連休に入り、何億人かの人間が国内を移動するというニュースが流れていました。どうやら工場が休みに入ったという話は嘘ではないようです。しかし、だからと言って、在庫も抱えずに販売し、不良品の代替品もすぐに用意できないのは、やはり「変だ」と思いました。と言うか、そう自分に言い聞かせたのでした。
しばらくすると、カスタマーセンターから、ショップに対してクレームの内容を伝えた上で、真摯に対応するように連絡を入れましたとメールが来ました。それで、再度ショップにアクセスしてみると、なんとショップは跡形もなく消えており、「ただ今休店中です」という文字のみが表示されていました。これは、前にも書いたことがありますが、楽天でもYahoo!ショッピングでも、実際は閉店したことを意味するのです。
私は、「逃げられた」と思いました。運営会社のサイトで、損害金の補償を受けるにはどうすればいいのか調べました。でも、証明する書類が必要など如何にも面倒臭そうに書いていました。「くそったれ」と思いました。そして、どうせ返事は来ないだろうが、念の為に(うっぷん晴らしに)ショップに嫌味のメールを送りました。
ところが、なんと返事が来たのです。「ご心配をおかけして申し訳ありません。必ず届きますのでもう少しお待ち下さい」と書いていました。返事など来ないだろうと思っていたので意外でした。そして、翌日、代替品が届いたのでした。
最初に注文してから問題が解決するのに20日もかかったので、時間がかかりすぎたのはたしかです。しかし、「逃げた」わけではないし「騙された」わけでもないのです。すべては私の予断と偏見だったのです。ショッピングモールの運営会社を巻き込んでことを荒立てていただけなのです。
それで、次のようなメールを送りました。
すると、すぐに次のような返信がありました。
似たようなことは、日常的な人間関係においてもあります。こいつは嫌なヤツだとか、こいつはずるいヤツだとか勝手に決めつけて、まるで自分にとって有害な人物であるかのように見ていた人間が、実は全然悪意のない、むしろ正直な人間だったということがよくあります。なんのことはない、私が一方的に色眼鏡で見ていただけなのです。
そんなことが重なると、益々自分が嫌になります。人を傷つけることによって自分も傷つくというのは、若い頃に主に恋愛でくり返した自分の“悪癖”ですが、今、あらためてこの“悪癖”が思い出されてならないのでした。
自分はいい人だとかいい人でいたいという自己愛がある一方で、自分はなんと嫌な人間だろうという自己嫌悪の念もあります。そして、その狭間の中で、無用に悩み自分で自分を追いつめ、気を滅入らせるのでした。
ザックを背負って登山靴を履いた、見るからに場違いで大袈裟な恰好をした男が、駅に向かう人波をかきわけるように逆方向に歩いているのです。朝っぱらから何をやっているんだろうと思われたかもしれません。
最近は、些末なことでも自分の中では非常に大きなことのように思えて、執拗にこだわって一人相撲をとっているようなケースがよくあります。そして、被害妄想ではないですが、悪い方に解釈して必要以上にことを荒立てるようなことをくり返しています。
先日もネット通販であるものを買ったのですが、送られて来た商品は部品が欠けた不良品でした。それで販売元にメールすると、写真を送るように言われました。言われたとおり写真を送ると、今度は商品を送り返せと言われました。商品が戻って来たら、それを確認してから代替品を送るというのです。そういった説明に既に苛立っている自分がいました。
しかも、メールでやり取りしていると、相手はあきからに日本語の使い方におかしなところがあり、文章の中の漢字に中国の簡体字が使われていました。私は「中国人か」と思いました。すると、私の中に中国人に対する予断と偏見が頭をもたげてきたのでした。
返品したものの数日経ってもいっこうに連絡がないので、しびれを切らして催促したら、「今から確認します」と返事があり、さらに、工場が休みになったので代替品を送るのは1週間か10日後になると言われました。
サイトを確認すると、1週間休むという「お知らせ」が出ていました。私は、催促した途端に休みに入るのは不自然じゃないかとメールを送りました。すると、相手から「心配をおかけしますが、間違いなく送りますのでご安心下さい」と返事がありました。
私は、ショッピングモールを運営している会社のカスタマーセンターに、このショップは「怪しい」と連絡しました。カスタマーセンターからは、販売時のトラブルは原則としてお客様とショップの間で解決してもらうしかなく、運営会社は関与できないという返事が来ました。それで、今度はそういった姿勢は運営会社としておかしいのではないかとメールを送りました。
ところが、テレビを観ていたら、中国では国慶節の連休に入り、何億人かの人間が国内を移動するというニュースが流れていました。どうやら工場が休みに入ったという話は嘘ではないようです。しかし、だからと言って、在庫も抱えずに販売し、不良品の代替品もすぐに用意できないのは、やはり「変だ」と思いました。と言うか、そう自分に言い聞かせたのでした。
しばらくすると、カスタマーセンターから、ショップに対してクレームの内容を伝えた上で、真摯に対応するように連絡を入れましたとメールが来ました。それで、再度ショップにアクセスしてみると、なんとショップは跡形もなく消えており、「ただ今休店中です」という文字のみが表示されていました。これは、前にも書いたことがありますが、楽天でもYahoo!ショッピングでも、実際は閉店したことを意味するのです。
私は、「逃げられた」と思いました。運営会社のサイトで、損害金の補償を受けるにはどうすればいいのか調べました。でも、証明する書類が必要など如何にも面倒臭そうに書いていました。「くそったれ」と思いました。そして、どうせ返事は来ないだろうが、念の為に(うっぷん晴らしに)ショップに嫌味のメールを送りました。
ところが、なんと返事が来たのです。「ご心配をおかけして申し訳ありません。必ず届きますのでもう少しお待ち下さい」と書いていました。返事など来ないだろうと思っていたので意外でした。そして、翌日、代替品が届いたのでした。
最初に注文してから問題が解決するのに20日もかかったので、時間がかかりすぎたのはたしかです。しかし、「逃げた」わけではないし「騙された」わけでもないのです。すべては私の予断と偏見だったのです。ショッピングモールの運営会社を巻き込んでことを荒立てていただけなのです。
それで、次のようなメールを送りました。
今、商品が届きました。
今度は正常に稼働しています。
ありがとうございました。
言葉に言いすぎたところがあったかもしれません。お詫びいたします。
すると、すぐに次のような返信がありました。
いやいや、今回は当店が悪い買い物体験をお届けしてしまい、まことに申し訳ございません。
似たようなことは、日常的な人間関係においてもあります。こいつは嫌なヤツだとか、こいつはずるいヤツだとか勝手に決めつけて、まるで自分にとって有害な人物であるかのように見ていた人間が、実は全然悪意のない、むしろ正直な人間だったということがよくあります。なんのことはない、私が一方的に色眼鏡で見ていただけなのです。
そんなことが重なると、益々自分が嫌になります。人を傷つけることによって自分も傷つくというのは、若い頃に主に恋愛でくり返した自分の“悪癖”ですが、今、あらためてこの“悪癖”が思い出されてならないのでした。
自分はいい人だとかいい人でいたいという自己愛がある一方で、自分はなんと嫌な人間だろうという自己嫌悪の念もあります。そして、その狭間の中で、無用に悩み自分で自分を追いつめ、気を滅入らせるのでした。