昨日、仕事関係の知人に会ったらやけに元気がないのです。「どうしたんですか?」と尋ねると、身体の調子が悪くてずっと仕事を休んでいたと言うのです。
彼は、数年前に脳出血で入院したのですが、そのときの後遺症で未だに半身にしびれが残っているそうです。見た目にはわからないのですが、本人にとってはそれが憂鬱の種のようでした。
その脳出血に由来することかと思ったら、そうではなくて「ヘルニアが再発した」と言うのです。ヘルニアとは初耳でしたが、なんでも10数年前に発症して、そのとき手術を勧められたけど症状が治まったのでそのままにしていたのだそうです。
首の後ろが痛いと言っていましたので、頚椎椎間板ヘルニアだと思います。しかも、ヘルニアの影響なのか、半身の痺れもひどくなり、最近は字を書くのもままらななくなったと言っていました。
彼は、離婚してひとり暮らしです。お父さんとお母さんも既に亡くなっています。昔はお父さんが会社を経営していたらしく、一人っ子だった彼はおぼっちゃまとして大事に育てられ、有名な私立の学校も出ています。某女性タレントとも幼馴染だそうで、学校でも幼稚園のときからずっと一緒だったそうです。彼女はタレント同士で結婚したのですが、夫が前に結構大きなスキャンダルに見舞われたことがありました。そのときも、実際は話が全然違うのにと嘆いていたそうです。そんな話を彼から聞いたことがありました。
しかし、お父さんの会社が倒産して状況は一変します。それが原因なのかどうか、離婚しそれまで勤めていた会社も辞めたのだそうです。
私が知り合ったのは今の会社に転職したあとで、お母さんは既に亡くなり、お父さんと二人暮らしをしていました。しかし、お父さんが認知症になったため、世話するのに苦慮していました。それで、介護施設に入所させたのですが、ほどなくお父さんが亡くなったのでした。
たまたま私もよく知っている病院で亡くなったのですが、葬儀会社に搬送を頼み、彼だけが立ち会って都内の火葬場で荼毘に伏したそうです。荼毘のあとは、自分の車で遺骨を霊園まで運び、自分で納骨しようとしたけど、霊園の決まりで専門の指定業者でないと納骨できないと言われ、仕方なくその業者に頼んで納骨したのだそうです。「ただ墓石を動かして骨壺を入れるだけなのに4万円も取られたよ」と言っていました。
離婚したとき、死にたいと思って何度も駅のホームの端に立ったことがあったそうですが、やはり死ぬ勇気がなかったと言っていました。一人娘がいて、もう成人式も迎えたはずだと言っていましたが、離婚してから一度も会ったこともなく、どこに住んでいるのかもわからないのだそうです。「池袋や新宿を歩いていると、ばったり出くわすんじゃないかと思うことがある」と言っていました。
そんな彼が、またひとつ憂鬱の種を抱えることになったのです。決してオーバーではなく、神様はなんと無慈悲なんだろうと思いました。自分の身体がままならないということほど憂鬱なことはありません。病気だけではありません。怪我や離婚や失業などのアクシデントに見舞われ、人生が一変するのはよくあることです。私たちの日常はかくも脆く儚いものなのです。
別の年上の知人の姿が見えないのでどうしたのか訊いたら、彼もまた手術して入院しているということでした。みんな詳しくは知らないみたいですが、どうやら内臓のガンのようです。彼の場合、再雇用の嘱託なので、このままフェードアウトするんじゃないかなと言っていました。彼もまた独り者なのでした。子どもがいなくて奥さんと二人暮らしだったのですが、奥さんは10数年前にガンで亡くなり、以来ひとり暮らしをしていました。最近は、電話しても出ないので、どうなったかわからないと言っていました。
会社と言ってもその程度なのです。昔のように世話を焼いたり心配したりすることもないのです。もうそんな濃密な関係ではないのです。だから、よけい孤立感は深まるでしょう。
今までこのブログでも、孤独死した女性の話を何度か書いてきましたが、先日もまた同じような話を聞きました。30代の女性なのですが、何故か身寄りがなく福祉事務所からの依頼で転院してきたそうです。不治の病気だったそうで、数ヶ月入院して亡くなったということでした。
身寄りがなかったら、葬祭扶助を受けて無縁仏として葬られるしかありません。入院する際に持ってきた僅かな遺品を整理していたら、免許証が出て来たそうです。でも、免許証も3年前だかに有効期限が切れたままだったとか。
免許証の写真は、入院中には見たこともないような笑顔だったそうです。免許証を取得して未来に心を弾ませ、仕事に精を出していたときもあったのでしょう。もちろん、お父さんやお母さんと一緒に暮らしていた時期もあったかもしれません。それがどうして30代の若さで、身寄りもなく、孤独に死を迎えなければならなかったのかと思います。どんな思い出を胸に旅立ったんだろうと思いました。
この社会では、労働して(労働力としてみずからを資本に売って)その対価としての賃金を得て、それで生活し、さらに労働力としてみずからを売るという「労働力の再生産」の過程のなかに、私たちの人生は存在しています。それには健康な身体が前提です。その前提が崩れると、途端に再生産のレールから外れ、生活だけでなく人生も立ち行かなくなるのです。
それはちょっとしたはずみやちょっとした違いやちょっとした運にすぎません。私たちの生活や人生はかくも脆く儚いものなのです。「人間らしい」とはどういうことだろうと思わずにはおれません。そして、明日は我が身かも知れないとしみじみ思うのでした。
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首の後ろが痛いと言っていましたので、頚椎椎間板ヘルニアだと思います。しかも、ヘルニアの影響なのか、半身の痺れもひどくなり、最近は字を書くのもままらななくなったと言っていました。
彼は、離婚してひとり暮らしです。お父さんとお母さんも既に亡くなっています。昔はお父さんが会社を経営していたらしく、一人っ子だった彼はおぼっちゃまとして大事に育てられ、有名な私立の学校も出ています。某女性タレントとも幼馴染だそうで、学校でも幼稚園のときからずっと一緒だったそうです。彼女はタレント同士で結婚したのですが、夫が前に結構大きなスキャンダルに見舞われたことがありました。そのときも、実際は話が全然違うのにと嘆いていたそうです。そんな話を彼から聞いたことがありました。
しかし、お父さんの会社が倒産して状況は一変します。それが原因なのかどうか、離婚しそれまで勤めていた会社も辞めたのだそうです。
私が知り合ったのは今の会社に転職したあとで、お母さんは既に亡くなり、お父さんと二人暮らしをしていました。しかし、お父さんが認知症になったため、世話するのに苦慮していました。それで、介護施設に入所させたのですが、ほどなくお父さんが亡くなったのでした。
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離婚したとき、死にたいと思って何度も駅のホームの端に立ったことがあったそうですが、やはり死ぬ勇気がなかったと言っていました。一人娘がいて、もう成人式も迎えたはずだと言っていましたが、離婚してから一度も会ったこともなく、どこに住んでいるのかもわからないのだそうです。「池袋や新宿を歩いていると、ばったり出くわすんじゃないかと思うことがある」と言っていました。
そんな彼が、またひとつ憂鬱の種を抱えることになったのです。決してオーバーではなく、神様はなんと無慈悲なんだろうと思いました。自分の身体がままならないということほど憂鬱なことはありません。病気だけではありません。怪我や離婚や失業などのアクシデントに見舞われ、人生が一変するのはよくあることです。私たちの日常はかくも脆く儚いものなのです。
別の年上の知人の姿が見えないのでどうしたのか訊いたら、彼もまた手術して入院しているということでした。みんな詳しくは知らないみたいですが、どうやら内臓のガンのようです。彼の場合、再雇用の嘱託なので、このままフェードアウトするんじゃないかなと言っていました。彼もまた独り者なのでした。子どもがいなくて奥さんと二人暮らしだったのですが、奥さんは10数年前にガンで亡くなり、以来ひとり暮らしをしていました。最近は、電話しても出ないので、どうなったかわからないと言っていました。
会社と言ってもその程度なのです。昔のように世話を焼いたり心配したりすることもないのです。もうそんな濃密な関係ではないのです。だから、よけい孤立感は深まるでしょう。
今までこのブログでも、孤独死した女性の話を何度か書いてきましたが、先日もまた同じような話を聞きました。30代の女性なのですが、何故か身寄りがなく福祉事務所からの依頼で転院してきたそうです。不治の病気だったそうで、数ヶ月入院して亡くなったということでした。
身寄りがなかったら、葬祭扶助を受けて無縁仏として葬られるしかありません。入院する際に持ってきた僅かな遺品を整理していたら、免許証が出て来たそうです。でも、免許証も3年前だかに有効期限が切れたままだったとか。
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この社会では、労働して(労働力としてみずからを資本に売って)その対価としての賃金を得て、それで生活し、さらに労働力としてみずからを売るという「労働力の再生産」の過程のなかに、私たちの人生は存在しています。それには健康な身体が前提です。その前提が崩れると、途端に再生産のレールから外れ、生活だけでなく人生も立ち行かなくなるのです。
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