今週の東京都の新規陽性者数は、以下のとおりです。
14日(月)305人
15日(火)460人
16日(水)678人
17日(木)822人
18日(金)664人
19日(土)736人
20日(日)556人
また、12月20日現在の東京都の新規陽性者数(感染者数)の累計は51446人です。
ちなみに、4月7日から5月25日までの緊急事態宣言下において、もっとも新規陽性者数が多かったのは、4月17日の206人です。今はその倍以上の新規陽性者が連日発生しているのです。
今日(日曜日)、用事があって朝から自由が丘~中目黒~渋谷~原宿・表参道~新宿(三丁目)~池袋を走る副都心線に乗ったのですが、COVID-19前の日曜日と変わらないくらい電車の中や駅のホームは多くの乗客で溢れていました。
夕方、地元の駅に戻って来たのですが、駅前も舗道がスムーズに歩けないほど買い物客でごった返していました。また、駅の近くにある飲み屋も、COVID-19前に戻ったかのように客で賑わっていました。みんな、マスクを外し、ワインやビールなどを飲みながら、小さなテーブル越しに向き合って談笑していました。
感染の危機感など微塵もありません。それは、若者だけでなく家族連れも高齢者も、みんな同じです。再び手綱を引き締めようとしても、いったん緩めた手綱はそう簡単に元に戻ることはないのです。
岩田健太郎医師は、日本政府の感染対策は、無謀な作戦で多くの犠牲を出した旧日本軍の「インパール作戦」と同じだと言っていました。
AERA dots
岩田健太郎医師「GoToは異常。旧日本軍のインパール作戦なみ」
GoToトラベルの全面的な解禁によって、旅行に行っても大丈夫という安心感を与えたことで、正しい知識で「正しく怖れる」冷静な判断などどこかに吹っ飛んだ感じです。言うなれば、GoToトラベルの全面的な解禁によって、国全体がみんなで渡れば怖くない式の反知性主義的な考えに蔽われてしまったのです。
GoToトラベルを巡る迷走を見てもわかるとおり、政府の対応はチグハグで、どう見ても感染対策が正常に機能しているようには思えません。そのあたふたぶりを見ていると、危機管理能力以前に政権を担う能力そのものに疑いを持たざるを得ません。
菅義偉首相誕生の際、法政大学出身で大丈夫かという声に対して、法政大学出身者を中心に学歴差別だという反発があったそうですが、しかし、彼が空手部に所属し、髪をアイパーで固め、チョビ髭を生やし、裾の長い学ランを着て、学内を闊歩していた事実はやはり無視できないのです。
メディアはメッキが剥げたと言っていますが、しかし、最初からメッキは剥げていたのです。メディアが持ち上げたから根拠もなく支持率が水ぶくれのように60%を越えたにすぎないのです。
問題になったステーキ会食や会食のはしごなどを見るにつけ、「国民は(バカなので)すぐ忘れる」という国民を見くびった彼の”大衆観”が如実に出ているように思えてなりません。何度も言いますが、彼は政治家ではなく政治屋なのです。
みずからの利権を守るために麻生や二階らが主導した自民党内の無責任な政治力学によって、本来その器ではない人物が総理大臣に祭り上げられたのです。そこにも、圧倒的多数を占める政権党の驕りが見えて仕方ありません。
そもそも麻生や二階らの傲岸不遜な態度に対して、メディアが及び腰になっていること自体が異常と言わざるを得ません。反発するどころか、逆にご機嫌を損なわないように当たり障りのない質問に終始しているあり様です。また、菅首相のぶら下がり会見においても、芸能人の謝罪会見とは違って、代表質問する若い記者のもの言いが、台本を読んでいるようなわざとらしい感じであるのに気付いた人も多いでしょう。その光景には、ぶら下がり会見が記者会見でもなんでもなく、単なる(事前に質問を提出した)小芝居にすぎないことが暴露されているのでした。
メディアが権力を監視する役割を放棄しているのです。歌を忘れたカナリアになっているのです。それは、産経新聞(フジテレビ)や読売新聞だけの話ではありません。権力を忖度し権力にふれ伏す安倍一強の時代はまだつづいているのです。その弊害がCOVID-19でいっきに露わになった気がしてなりません。もちろん、自業自得と言うべきか、そのツケを払う(払わせられる)のは私たち国民なのです。
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米大統領選とネトウヨ化したニッポン
14日(月)305人
15日(火)460人
16日(水)678人
17日(木)822人
18日(金)664人
19日(土)736人
20日(日)556人
また、12月20日現在の東京都の新規陽性者数(感染者数)の累計は51446人です。
ちなみに、4月7日から5月25日までの緊急事態宣言下において、もっとも新規陽性者数が多かったのは、4月17日の206人です。今はその倍以上の新規陽性者が連日発生しているのです。
今日(日曜日)、用事があって朝から自由が丘~中目黒~渋谷~原宿・表参道~新宿(三丁目)~池袋を走る副都心線に乗ったのですが、COVID-19前の日曜日と変わらないくらい電車の中や駅のホームは多くの乗客で溢れていました。
夕方、地元の駅に戻って来たのですが、駅前も舗道がスムーズに歩けないほど買い物客でごった返していました。また、駅の近くにある飲み屋も、COVID-19前に戻ったかのように客で賑わっていました。みんな、マスクを外し、ワインやビールなどを飲みながら、小さなテーブル越しに向き合って談笑していました。
感染の危機感など微塵もありません。それは、若者だけでなく家族連れも高齢者も、みんな同じです。再び手綱を引き締めようとしても、いったん緩めた手綱はそう簡単に元に戻ることはないのです。
岩田健太郎医師は、日本政府の感染対策は、無謀な作戦で多くの犠牲を出した旧日本軍の「インパール作戦」と同じだと言っていました。
AERA dots
岩田健太郎医師「GoToは異常。旧日本軍のインパール作戦なみ」
GoToトラベルの全面的な解禁によって、旅行に行っても大丈夫という安心感を与えたことで、正しい知識で「正しく怖れる」冷静な判断などどこかに吹っ飛んだ感じです。言うなれば、GoToトラベルの全面的な解禁によって、国全体がみんなで渡れば怖くない式の反知性主義的な考えに蔽われてしまったのです。
GoToトラベルを巡る迷走を見てもわかるとおり、政府の対応はチグハグで、どう見ても感染対策が正常に機能しているようには思えません。そのあたふたぶりを見ていると、危機管理能力以前に政権を担う能力そのものに疑いを持たざるを得ません。
菅義偉首相誕生の際、法政大学出身で大丈夫かという声に対して、法政大学出身者を中心に学歴差別だという反発があったそうですが、しかし、彼が空手部に所属し、髪をアイパーで固め、チョビ髭を生やし、裾の長い学ランを着て、学内を闊歩していた事実はやはり無視できないのです。
メディアはメッキが剥げたと言っていますが、しかし、最初からメッキは剥げていたのです。メディアが持ち上げたから根拠もなく支持率が水ぶくれのように60%を越えたにすぎないのです。
問題になったステーキ会食や会食のはしごなどを見るにつけ、「国民は(バカなので)すぐ忘れる」という国民を見くびった彼の”大衆観”が如実に出ているように思えてなりません。何度も言いますが、彼は政治家ではなく政治屋なのです。
みずからの利権を守るために麻生や二階らが主導した自民党内の無責任な政治力学によって、本来その器ではない人物が総理大臣に祭り上げられたのです。そこにも、圧倒的多数を占める政権党の驕りが見えて仕方ありません。
そもそも麻生や二階らの傲岸不遜な態度に対して、メディアが及び腰になっていること自体が異常と言わざるを得ません。反発するどころか、逆にご機嫌を損なわないように当たり障りのない質問に終始しているあり様です。また、菅首相のぶら下がり会見においても、芸能人の謝罪会見とは違って、代表質問する若い記者のもの言いが、台本を読んでいるようなわざとらしい感じであるのに気付いた人も多いでしょう。その光景には、ぶら下がり会見が記者会見でもなんでもなく、単なる(事前に質問を提出した)小芝居にすぎないことが暴露されているのでした。
メディアが権力を監視する役割を放棄しているのです。歌を忘れたカナリアになっているのです。それは、産経新聞(フジテレビ)や読売新聞だけの話ではありません。権力を忖度し権力にふれ伏す安倍一強の時代はまだつづいているのです。その弊害がCOVID-19でいっきに露わになった気がしてなりません。もちろん、自業自得と言うべきか、そのツケを払う(払わせられる)のは私たち国民なのです。
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