奥秩父 山、谷、峠そして人


31日から1日にかけては、ベットの上に寝転がって、山田哲哉氏の『奥秩父 山、谷、峠そして人』をkindleで読みました。私は、電子書籍より紙の本が好きなのですが、この『奥秩父 ・・・・』は初版が2011年なので、既に廃版になっているらしく、アマゾンでも中古本しか売っていませんでした。その中古本も5千円以上の値が付けられていました。まったくふざけた話です。それで、仕方なく電子書籍(1375円)を買ったのでした。

奥秩父は文字通り奥が深く、公共交通機関では日帰りするのが難しい山が多いのですが、昔、雁坂トンネルが開通する前に何度か行った栃本集落や雁坂峠(雁坂嶺)にはもう一度行ってみたいなと思いました。また、甲武信ヶ岳から国師ヶ岳に至る縦走路も、いづれ歩いてみたい道です。山田哲哉氏の本からは、よく練られた文章を通して、中学生の頃から通っているという奥秩父や奥多摩の山に対する造詣の深さと愛着がひしひしと伝わってくるのでした。

山が好きだから山に登るのです。でも、最近はスピードハイクやトレランやYouTubeの影響で、山が好きだから山に登るという、そんなシンプルな理由で山に登る人も少なくなっているような気がします。山が好きだというシンプルな理由だからこそ、その先にある奥深い世界と出会うことができるのだと思います。

ネットでは「低山」や「鈍足」をバカにするような風潮がありますが、そこにあるのは”強者の論理”です。”強者の論理”は、山を知らない人間の妄言と言うべきでしょう。ネットでは、そういう愚劣な言葉で山を語ることが当たり前になっているのです。山田哲哉氏の本には、山が好きだから山に登るというシンプルな理由をもう一度確認させられるようなところがあります。

本の中に、こんな文章がありました。

ここで、自分の履歴書には書かれることのない目茶苦茶忙しかった十数年に触れるつもりはないが、この飛龍山の三角点を踏んだときが、三里塚の土地収用代執行と沖縄返還協定調印の隙間を見つけ、あらゆる無理算段を重ねて得た至福の時間だったことが思い出される。忙しくても、いや、忙しかったからこそ、 どんなに睡眠時間を削っても、どんなに仲間に文句を言われて奥秩父の森の中を登りたかった。あれほどの強烈な山への思いは、自分の中に、もう二度と生まれることはないだろう。


私が山に行っていることを知っている友人からの年賀状に、「煩わしい人間社会より自然だよな。羨ましい限りです」と書かれていましたが、山が好きだという理由の中に「逃避」が含まれているのもたしかです。山の魅力について、「全てを忘れることができるから」と言った現天皇の気持も痛いほどわかるのでした。

私は若い頃、親しい人間から「人間嫌い」と言われていました。だからと言って、人見知りをするとかいうのではなく、むしろ逆で、山でも出会った人に積極的に話しかけるタイプです。しかし、一方で、誰にも会わない山を歩くのが好きです。心の中ではやはりひとりがいいなあといつも思っているのです。なんだか今の私にとって、もう山しか「逃避」するところがないような気さえするのでした。

奥秩父の山に関しては、次の一文にすべてが凝縮されているように思いました。

  奥秩父は峠から始まった山だ。それは、登山の山として人が通ったはるか前に、人や馬や絹が運ばれ、塩、炭が運ばれ、善光寺参りや三峰神社詣での人が越えた山だからだ。奥秩父の峠には、それぞれに人のつけた痕跡がある。 荷物の交易の「荷渡し場」があり、炭焼き窯があり、関所跡が残されている。いま、峠越えをしようとする者には、かつてそれを越えた人たちの希望や絶望、夢や落胆があちらこちらで感じられるはずだ。
  信州や甲州から見れば関東の入り口である秩父。そこへ向かう峠は、新しい何かを得ようとする者、何かを捨てて違う生き方を探す者が必ず通過すべき場所だった。たとえば、急激な「富国強兵」政策で経済発展とともに近代的専制国家へと変貌した明治維新政府 から派遣された憲兵隊と鎮台兵に、十石峠、志賀坂峠、十文字峠へと敗走させられた秩父困民党にとって、峠は最後の決戦の場所であると同時に、「自由自治」の旗をそこから広げていく出発、転進の場所だったにちがいない。


山にはこんなロマンがあるのです。山を歩くことは、昔人のロマンに思いを馳せ、そのロマンに浸ることでもあるのです。
2021.01.02 Sat l 本・文芸 l top ▲