
新宿駅~拝島駅~奥多摩駅~深山橋バス停~【大寺山】~深山橋バス停~奥多摩駅~青梅駅~立川駅~武蔵小杉駅
※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約6キロ
※標高差:430m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:3950円
冬の低山ハイク第4弾。正月三が日の1月3日、奥多摩町(東京都)と丹波山村(山梨県)の都県境にある大寺山(982m)に登りました。奥多摩周辺の山に登ったとき、遠くの山の上に白い建物が見えることがあります。あれは何だろうとずっと気になっていました。
ネットで調べたら、その建物は法華宗系の宗教団体である日本山妙法寺の仏舎利塔であることがわかりました。そう言えば、別府の実相寺という丘の上にも同じような仏舎利塔がありました。あれと同じようなものかもしれないと思いました。
日本山妙法寺と言えば、今でも反原発や反核の運動ではおなじみの宗教団体ですが、私も若い頃、三里塚の支援集会などで、団扇太鼓を打ち鳴らしながら「南無妙法蓮華経」とお経を唱えていた僧侶の一団を見かけたことがあります(でも、日本山妙法寺はのちに運動から離脱し、敵前逃亡だと批判を浴びました)。
また、常岡浩介氏の『チェチェンゲリラ従軍記』 (アスキー新書)にも、ウクライナのキエフでチェチェン人難民を支援している寺澤潤世上人の話が出ていますが、そうやって世界の紛争地で非暴力の平和運動を行いながら広宣流布を行っているのです。
大寺山自体は、奥多摩湖に面した標高が1000メートルにも満たない低山ですが、奥多摩特有の急登が続く山だという紹介がネットにありました。それで、仏舎利塔と急登に惹かれて登ってみることにしたのでした。
大寺山は片道3キロ弱の距離しかなく、コースタイムも1時間30分くらいなので、通常は大寺山からさらに1時間30分かかる鹿倉山を縦走して丹波山温泉に下りる場合が多いようです。ただ、その場合、奥多摩駅に戻るバスが一日に4便しかないため、3便目の15時台のバスに間に合うかどうか微妙なのでした。それに乗り遅れると最終便の18時台のバスしかありません。それで、今回はピストンすることにしました。
新宿駅から土日と祝日だけ運行されている6時46分発のホリデー快速おくたま号に乗りました。それでも終点の奥多摩駅に着いたのは8時21分でした。
いつものホリデー快速だと、大きなザックを背負ったハイカーたちで通勤電車並みに混むのですが(新宿駅ホームのその光景は壮観です)、やはりコロナ禍の中、拍子抜けするくらいガラガラでした。ホリデー快速は、途中の拝島駅で奥多摩駅行きと武蔵五日市駅行きに切り離されるのですが、私が乗った車両にはハイカーは5~6人くらいしかいなくて、むしろ通勤客の方が多いくらいでした。ちなみに、1号車から6号車までが奥多摩行き(おくたま号)、7号車から10号車が武蔵五日市駅行き(あきかわ号)になります。
奥多摩駅に着くと、駅前のバス停には既にハイカーが並んでいました。そのバス停から8時35分発の丹波行きのバスに乗ります。ハイカーご用達のバスは、青梅街道を走るこの路線と日原街道を走る東日原行きに大別されますが、東日原行きは2019年10月の台風19号の被害でずっと運休になっていました。しかし、先月(2020年12月1日)、1年2ヶ月ぶりに運行が再開されたばかりです。ただ、道路の復旧が完全に終わっていないのか、通常の大型バスではなく小さなマイクロバスが運行されていました。
東日原行きのバスに乗っているのは、川苔山の百尋ノ滝コースを歩くハイカーが大半だと思いますが(百尋ノ滝コース自体も台風の被害から復旧したばかりです)、冬の凍結時期ということもあってか、数人しか乗っていませんでした。他に東日原からは、鷹ノ巣山の稲村岩尾根コースもあるのですが、稲村岩尾根コースは台風19号の被害で未だ通行止めになっているのでした。
一方、私が乗った「鴨沢方面丹波行き」のバスは8割程度の乗車率でした。全員ハイカーです。途中でいちばん降りる人が多かったのは、奥多摩駅から8個目の奥多摩湖のバス停でした。御前山か隣の水根沢から鷹ノ巣山に登るハイカーたちなのでしょう。私は、34個目のやはり奥多摩湖沿いにある深山橋(みやまばし)のバス停で降りました。降りたのは私ひとりだけでした。
バスには数人残っていましたが、彼らは39個目の鴨沢のバス停で降りて、雲取山か七ツ石山に登るハイカーたちなのだろうと思います。
深山橋は、三頭山のムロクボ尾根ルートの最寄りのバス停でもあります。バス停を降りて、奥多摩湖にかかる緑色の橋(深山橋)を渡ると、陣屋という蕎麦屋さんがあります。その蕎麦屋さんの横(ほとんど敷地内のようなところ)を入ると、「鹿倉山・大寺山登山口」の古い看板がありました。ちなみに、大寺山に登る途中には、道標は二つしかありませんでした。いづれも奥多摩湖方面を示す、手作りのかなり古い道標でした。あとは踏み跡とピンクテープを頼りに登るしかありません。ただ、ピンクテープも、色が褪せたり吹き飛ばされたものが多く、あまり数も多くありません。
登り口からいきなり急登でした。私は靴擦れになり、途中から足の後ろの部分が痛くてなりませんでした。ただ、距離が短くて時間も長くないので、それほどつらい感じはありませんでした。尾根に辿り着くと、今度は両側が切れた痩せ尾根が続きました。そして、痩せ尾根のあとは再び急登になり、息を切らして登ると目の前に山頂の白い建物が忽然と現れました。
私は、尾根に上がった際、道を見失い尾根の上とは反対側の谷の方に向かってしまいました。典型的な道迷いのパターンです。この時期ではよくある話ですが、落ち葉によって踏み跡が消えていたのでした。ピンクテープも見つからず、しばらくウロウロした挙句、かすかに踏み跡らしきものがある(気がした)谷側に歩いて行ったのでした。スマホのGPSで確認しましたが、GPSが示す方向は間違ってないのです。
でも、やはりおかしいなと思って、尾根の上に上がることを考えました。それで急斜面を木を掴みながらかなり強引によじ登りました。途中、掴んだ木がポキッと折れて滑り落ちたりしました。
尾根の上に上がると、案の定、踏み跡がありました。尾根の上は風が強いので、落ち葉もそれほど積もっていなくて踏み跡も明瞭に残っているのです。ここで20分~30分時間のロスをしました。
最後の急登の手前では、特別天然記念物のニホンカモシカに遭遇しました。5分くらい睨み合いましたが、その間カメラのシャッターを切り続けました。
山頂の仏舎利塔は、別府にあったものと同じでした。日本山妙法寺は全国各地の山に同じ仏舎利塔を建てているみたいで、大寺山の仏舎利塔には「帝都仏舎利塔」という石碑がありました。
仏舎利塔は、上の円筒の部分が工事用の鉄パイプで囲われており、補修工事が行われている様子でした。ペンキは塗り替えられているみたいですが、建てられてかなり時間が経っている感じがしました。ネットで調べると大寺山の仏舎利塔は1974年に落慶しています。設計したのは、浅草寺本堂や川崎大師平間寺本堂などを設計した建築家の大岡實氏だそうです。別府の仏舎利塔は1981年に建てられています。尚、日本山妙法寺を創建した藤井日達の母校がある大分県臼杵市にも、大寺山と同じ1974年に仏舎利塔が建てられています。仏舎利塔は、海外も含めて48塔あるそうです。
仏舎利塔のまわりにはベンチが設置されていました。ベンチに座っていつものように温かいお茶を飲み、どら焼きと羊羹を食べてまったりとしました。結局、山頂には1時間近くいました。歩いている途中でも山頂でも誰にも会うこともなく、私にとっては願ってもない山歩きになりました。
帰りは急登を下るのが面倒なので、林道を下ろうかと考えました。しかし、林道だと別のバスの路線の小菅村に下りることになり、バス便が極端に少くなるのです。それで、登って来たルートを戻ることにしました。
道に迷った尾根まで戻ると、たしかに踏み跡は消えていましたが、ピンクテープが2か所ありました。そのテープを見逃していたのでした。
広い尾根で落葉などによって道が消えている場合は、尾根の先端に行けば大概下り口があります。両側の谷筋に下りるのは危険で、それは下りの基本中の基本のようなものです。一方、登りで道がわからなくなったときは、尾根の上に出るのが基本です。今回のように、心理的には巻き道を選択しがちですが、やはり上が正解なのです。と、あとで冷静になればわかるのですが、そのときはどうしても焦ってしまい楽な方に気持が傾きがちです。道に迷ったら、まず水かコーヒーを飲んでひと息つけと言いますが、たしかにそうやって冷静さを取り戻すことが大事だと思いました。大寺山のような距離の短い山で遭難はあり得ないでしょうが、ただ道に迷って滑落する危険性はないとは言えません。
登山口に下りてきたのは、13時15分でした。深山橋のバスの時間は13時50分ですのでちょうどいいタイミングでした。帰りのバスに乗ると数名のハイカーが乗っていました。しかし、奥多摩湖に着くと、多くのハイカーが乗り込んできて、バスは満員になりました。奥多摩湖以降に乗って来た乗客は座ることもできないほどでした。
奥多摩湖の駐車場には多くの車が停まっていて、湖畔を散策する人たちでいっぱいでした。軽トラのキッチンカーも出ていました。しかし、再び緊急事態宣言が出されたら、前と同じようにこの駐車場も閉鎖されるのだろうかと思いました。奥多摩の住民たちも、小池都知事に煽られて、また「登山者が怖い」などと言い出すのかもしれません。
山田哲哉氏が主宰する「風と谷」のサイトには、「山を止めるな」というバナーが貼られていましたが、日本山岳会なども、また(偉そうに)登山の自粛を呼びかけるのかもしれません。そういった愚劣で翼賛的な光景が再び繰り返されるのかもしれません。
「ファシスト的公共性」によって、感染を避けひとりで静かに山を歩く行為まで禁止されるのです。山に行く電車やバスが問題だと言われますが、これ以上の密はないような都心の通勤電車が放置される一方で、山に向かうガラガラの交通機関がやり玉にあがるのでした。それこそ常軌を逸した”自粛警察的屁理屈”と言えるでしょう。もはや病理の世界だとしか思えません。”自粛警察”は、「欲しがりません勝つまでは」という戦中の日常生活を監視した隣組の現代版のようなものです。
昨日、田舎の友人と電話で話していたら、田舎では新型コロナウイルスに感染すると、どこの誰だということがすぐ特定されるため、家に落書きされたり感染を非難する電話がかかってきたりするそうです。そのため、感染した人が自殺したケースさえあったそうです。まさに感染者は非国民なのです。そこにあるのは、国家と通底した市民としての日常性を仮構する”差別と排除の力学”です。この社会は戦前と何も変わってないのです。でも、そういった悲惨な事件は、感染者を特定するのにメディアもひと役買っているからなのか、何故か大きく報道されることはないのでした。
奥多摩駅に着いのは14時20分すぎでした。奥多摩駅から青梅、青梅から立川、立川から南武線で武蔵小杉、武蔵小杉から東横線で帰りました。最寄り駅に着いたのは、16時すぎでした。
※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

深山橋バス停

深山橋

登山口

いきなり急登

同上

同上

この尾根で迷った

尾根の上の踏み跡

痩せ尾根

同上

巻き道

ニホンカモシカ

最後の急登

山頂の手前にあった糞
熊じゃないのか?

仏舎利塔

四面にこのような座像や立像、涅槃像が設置されています。

同上

同上

同上

山頂からの眺望(樹木に遮られている)
遠くに雲取山も見えました。

道標(この二つのみ)

同上

奥多摩駅