今日は成人の日だそうですが、私たちの年代には成人の日と言えば1月15日というイメージがあるので、1月11日が成人の日と言われてもピンと来ません。もっとも、2000年からハッピーマンデー制度がはじまり、1月の第2月曜日が成人の日と定められているそうで、成人の日が1月15日でなくなってから既に20年も経っているのです。
成人の日と言えば、沖縄や福岡などヤンキーたちによる荒れた式典がメディアに取り上げられ、果たして公費を使って成人の日の式典を行う必要があるのかという議論が毎年巻き起こるのが決まりでした。
ところが、今年は様相を一変しています。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、成人式を中止や延期する自治体が続出しているのでした。特に、二度目の緊急事態宣言が出された首都圏では、1月11日に成人式を挙行する自治体はごく稀です。
その中で、杉並区と横浜市は式典を開催(強行?)したのでした。二度目の緊急事態宣言が発令され、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」というおなじみのキーワードが発せられ、メディアも繁華街の人出が思ったより減ってないなどと報道する一方で、それにまったく反するような式典が挙行されたのでした。
去年までメディアの間で姦しく飛び交っていた”成人式不要論”はまったく影を潜めています。何が言いたいのかと言えば、緊急事態宣言という「ファシスト的公共性」と成人式の開催は矛盾しているではないかということです。それこそ、再三言っているように、頭隠して尻隠さず、あるいは竜頭蛇尾の典型と言えます。私は、杉並区や横浜市の首長は、これからどんな顔をして「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」を言うつもりなんだろうと思いました。
特に横浜市は、全国の市町村で最多の3万7000人の新成人がいて、その中で7割の新成人が式典に出席する予定だと言われています。感染対策として、会場を例年の横浜アリーナのほかにパシフィコ横浜も加え、さらにそれぞれの会場で4回ずつ8回に分けて式典が行われるそうです。
新成人に対するテレビの街頭インタビューなどでは、「思い出になるので式はやってほしい」という声が多くありました。「思い出」というのは便利な言葉ですが、要するに彼らにとって成人式は、クリスマスやハロウィンなどと同じようなイベントなのです。言うなれば、ジモト(地元)やタメ(同級生)というヤンキー的テイストに基づいて騒ぎたいだけなのです。成人式という公的に認められた場で、晴れ着を着て、地元の友達と誰に遠慮することもなく盛大に無礼講を行ないたいだけなのです。それを彼らは「思い出」という言葉で合理化しているのでした。
そんな「思い出のため」などという誰でも言える無意味なワードが飛び交っている今年の成人式に対して、猪瀬直樹が、大学進学率が5割になった今は「成人式をやる意味がない」とめずらしく正論を述べていました。メディアから”成人式不要論”が忽然と消えた中で、唯一と言っていい正論だと思いました。
エキサイトニュース
東スポWeb
猪瀬直樹氏が持論 大学進学率50%の今「成人式をやる意味ない」
まったくその通りで、私は猪瀬直樹より下の世代ですが、私たちの頃も、大学に行った人間は成人式に出席しないのが普通でした。私は大学どころか、まだ東京の予備校に通っている身でしたので、成人式と言われてもピンと来なかったというのが正直な気持でした。中学を卒業すると3分の1は就職するような田舎でしたので、二十歳になった小中学校の同級生のほとんどは既に働いていました。そんな中で、未だ親の脛を齧っている身としては、肩身が狭い気持もありました。猪瀬直樹が言うように、成人式には社会に出て一人前の大人になる通過儀礼の側面がたしかにあったのです。
私の田舎では成人式は夏に行われていましたが、成人式の年の秋、私は、持病の再発で東京から九州に戻り、国立病院で三度目の入院をすることになりました。そして1年間の長期入院を余儀なくされたのでした。父親が、東京に迎えに来たとき、盆休みに行われた成人式の写真を持って来ました。そこには懐かしい小中学校の同級生たちの顔がありましたが、しかし、病気による失意の只中にいたということもあって、特別な感慨はありませんでした。ましてや「思い出」などという言葉が入り込む余地などありませんでした。
ただ、翌年の1月15日の成人の日に、突然、主治医の先生や婦長さんが病室にやって来て、病棟の職員一同からの記念品としてアルバムを貰いました。その頃はまだ病状が安定せず、ほとんど寝たきりの状態でしたので、すごく感激したことを覚えています。アルバムの上には「祝成人」と書かれた熨斗(のし)が貼られていました。アルバムは今も大切に持っています(成人式の写真は紛失して手元にありません)。それが私にとって、成人式の「思い出」と言えば「思い出」です。
「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」などと言いながら、政治家や公務員はこっそり忘年会をやり、若者たちに迎合して成人式を挙行するのです。それでは、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」が建前にしか聞こえないのも当然でしょう。とりわけ、昨今の成人式は、公費を使ってSNS向けの「思い出」作りに手を貸すようなものです。ヤンキーが多い横浜市も荒れる成人式として有名ですが、式典のあと、新成人たちがお行儀よく自宅に帰るとはとても思えません。成人式は、ウィルスの運び屋である若者たちの密や飲み会を、半ば公認するようなものと言っていいでしょう。これでは「正しく怖れる」など夢物語でしょう。
もともと横浜とは縁もユカリもないシャネル大好きのおばさんを市長候補として連れて来たのは、当時民主党の党首であった小沢一郎ですが、その結果、横浜市は、菅義偉のような市政を牛耳る地域のボスと市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)が共存する伏魔殿になったのでした。
横浜市は、令和2年度末時点で、市債と外郭団体の借入金を合わせると、4兆3千億円の借金があります。そのうち、外郭団体の収入(水道料金やバス運賃など)を除いた”純借金”は3兆1千億円です。そんな中で、昨年、800億円の巨費(それも借金)を投じて、桜木町駅近くの北仲通南地区に32階建ての市庁舎を建てたのでした。
横浜市には、外郭団体を入れて4万5千人の職員がいます。人件費は、1年間の歳出の実に20%、3700億円を占めています。2010年には、横浜市は、ラスパイレス指数(国家公務員給与を100とした時の地方公務員の給与水準)で、全国の地方自治体で1位になり、高給が批判を浴びました。今は当時より給与水準は落ちているものの、依然として100超(つまり、国家公務員よりは高い給与を得ている)であることには変わりがありません。それに、外郭団体のほかにみなとみらいのような第三セクターも多く、退職後の再就職先(天下り先)も手厚く保障されているのです。
32階建ての豪華市庁舎から市民を睥睨する”役人天国”の住人たち。成人式の挙行も、公務員の忘年会と同じような、現実と乖離した建前と本音の所産なのかもしれません。
今日も近所のスーパーは行列ができるくらいお客が殺到していました。また、休日の都心に向かう朝の電車も、コロナ前の電車と変わらないくらい混雑していました。「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」という「ファシスト的公共性」が、行政に対する不信感によって骨抜きにされているのは(言っていることが矛盾しているようですが)いいことです。しかし、COVID-19の猛威は続いているのです。悩ましい話ですが、私たちは、正しい知識で「正しく怖れる」必要があるのです。一方で、自分たちの自由は自分たちで守る必要もあるのです。
新型コロナウイルスは撲滅などできないのです。共生するしかないのです。罰則規定を新たに設ける特別措置法や感染症法の改悪が俎上に登る中で、みずから進んで国家に自由を差し出す”自粛警察”のような衆愚を他山の石として、自由を守りながらどう感染防止を行うか、どう「正しく怖れる」かという課題が私たちに突き付けられているのだと思います。
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横浜市政は伏魔殿
成人の日と言えば、沖縄や福岡などヤンキーたちによる荒れた式典がメディアに取り上げられ、果たして公費を使って成人の日の式典を行う必要があるのかという議論が毎年巻き起こるのが決まりでした。
ところが、今年は様相を一変しています。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、成人式を中止や延期する自治体が続出しているのでした。特に、二度目の緊急事態宣言が出された首都圏では、1月11日に成人式を挙行する自治体はごく稀です。
その中で、杉並区と横浜市は式典を開催(強行?)したのでした。二度目の緊急事態宣言が発令され、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」というおなじみのキーワードが発せられ、メディアも繁華街の人出が思ったより減ってないなどと報道する一方で、それにまったく反するような式典が挙行されたのでした。
去年までメディアの間で姦しく飛び交っていた”成人式不要論”はまったく影を潜めています。何が言いたいのかと言えば、緊急事態宣言という「ファシスト的公共性」と成人式の開催は矛盾しているではないかということです。それこそ、再三言っているように、頭隠して尻隠さず、あるいは竜頭蛇尾の典型と言えます。私は、杉並区や横浜市の首長は、これからどんな顔をして「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」を言うつもりなんだろうと思いました。
特に横浜市は、全国の市町村で最多の3万7000人の新成人がいて、その中で7割の新成人が式典に出席する予定だと言われています。感染対策として、会場を例年の横浜アリーナのほかにパシフィコ横浜も加え、さらにそれぞれの会場で4回ずつ8回に分けて式典が行われるそうです。
新成人に対するテレビの街頭インタビューなどでは、「思い出になるので式はやってほしい」という声が多くありました。「思い出」というのは便利な言葉ですが、要するに彼らにとって成人式は、クリスマスやハロウィンなどと同じようなイベントなのです。言うなれば、ジモト(地元)やタメ(同級生)というヤンキー的テイストに基づいて騒ぎたいだけなのです。成人式という公的に認められた場で、晴れ着を着て、地元の友達と誰に遠慮することもなく盛大に無礼講を行ないたいだけなのです。それを彼らは「思い出」という言葉で合理化しているのでした。
そんな「思い出のため」などという誰でも言える無意味なワードが飛び交っている今年の成人式に対して、猪瀬直樹が、大学進学率が5割になった今は「成人式をやる意味がない」とめずらしく正論を述べていました。メディアから”成人式不要論”が忽然と消えた中で、唯一と言っていい正論だと思いました。
エキサイトニュース
東スポWeb
猪瀬直樹氏が持論 大学進学率50%の今「成人式をやる意味ない」
(略)猪瀬氏は自身の時代の成人式を振り返り「成人式はきわめて空疎な式典だ。僕の時代は大学進学率が12%ぐらいで大学生は成人式には行かなかった。大部分は中卒・高卒で社会人となり仕事も慣れたところで、成人式は通過儀礼としての意味があった」とし、本来は社会人になった成人のための式だったとした。
その上で「いま大学進学率50%+専門学校、ほとんど学生だ。いま成人式をやる意味はない。卒業式で充分だ」と私見を述べた。
まったくその通りで、私は猪瀬直樹より下の世代ですが、私たちの頃も、大学に行った人間は成人式に出席しないのが普通でした。私は大学どころか、まだ東京の予備校に通っている身でしたので、成人式と言われてもピンと来なかったというのが正直な気持でした。中学を卒業すると3分の1は就職するような田舎でしたので、二十歳になった小中学校の同級生のほとんどは既に働いていました。そんな中で、未だ親の脛を齧っている身としては、肩身が狭い気持もありました。猪瀬直樹が言うように、成人式には社会に出て一人前の大人になる通過儀礼の側面がたしかにあったのです。
私の田舎では成人式は夏に行われていましたが、成人式の年の秋、私は、持病の再発で東京から九州に戻り、国立病院で三度目の入院をすることになりました。そして1年間の長期入院を余儀なくされたのでした。父親が、東京に迎えに来たとき、盆休みに行われた成人式の写真を持って来ました。そこには懐かしい小中学校の同級生たちの顔がありましたが、しかし、病気による失意の只中にいたということもあって、特別な感慨はありませんでした。ましてや「思い出」などという言葉が入り込む余地などありませんでした。
ただ、翌年の1月15日の成人の日に、突然、主治医の先生や婦長さんが病室にやって来て、病棟の職員一同からの記念品としてアルバムを貰いました。その頃はまだ病状が安定せず、ほとんど寝たきりの状態でしたので、すごく感激したことを覚えています。アルバムの上には「祝成人」と書かれた熨斗(のし)が貼られていました。アルバムは今も大切に持っています(成人式の写真は紛失して手元にありません)。それが私にとって、成人式の「思い出」と言えば「思い出」です。
「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」などと言いながら、政治家や公務員はこっそり忘年会をやり、若者たちに迎合して成人式を挙行するのです。それでは、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」が建前にしか聞こえないのも当然でしょう。とりわけ、昨今の成人式は、公費を使ってSNS向けの「思い出」作りに手を貸すようなものです。ヤンキーが多い横浜市も荒れる成人式として有名ですが、式典のあと、新成人たちがお行儀よく自宅に帰るとはとても思えません。成人式は、ウィルスの運び屋である若者たちの密や飲み会を、半ば公認するようなものと言っていいでしょう。これでは「正しく怖れる」など夢物語でしょう。
もともと横浜とは縁もユカリもないシャネル大好きのおばさんを市長候補として連れて来たのは、当時民主党の党首であった小沢一郎ですが、その結果、横浜市は、菅義偉のような市政を牛耳る地域のボスと市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)が共存する伏魔殿になったのでした。
横浜市は、令和2年度末時点で、市債と外郭団体の借入金を合わせると、4兆3千億円の借金があります。そのうち、外郭団体の収入(水道料金やバス運賃など)を除いた”純借金”は3兆1千億円です。そんな中で、昨年、800億円の巨費(それも借金)を投じて、桜木町駅近くの北仲通南地区に32階建ての市庁舎を建てたのでした。
横浜市には、外郭団体を入れて4万5千人の職員がいます。人件費は、1年間の歳出の実に20%、3700億円を占めています。2010年には、横浜市は、ラスパイレス指数(国家公務員給与を100とした時の地方公務員の給与水準)で、全国の地方自治体で1位になり、高給が批判を浴びました。今は当時より給与水準は落ちているものの、依然として100超(つまり、国家公務員よりは高い給与を得ている)であることには変わりがありません。それに、外郭団体のほかにみなとみらいのような第三セクターも多く、退職後の再就職先(天下り先)も手厚く保障されているのです。
32階建ての豪華市庁舎から市民を睥睨する”役人天国”の住人たち。成人式の挙行も、公務員の忘年会と同じような、現実と乖離した建前と本音の所産なのかもしれません。
今日も近所のスーパーは行列ができるくらいお客が殺到していました。また、休日の都心に向かう朝の電車も、コロナ前の電車と変わらないくらい混雑していました。「ステイホーム」「不要不急の外出自粛」という「ファシスト的公共性」が、行政に対する不信感によって骨抜きにされているのは(言っていることが矛盾しているようですが)いいことです。しかし、COVID-19の猛威は続いているのです。悩ましい話ですが、私たちは、正しい知識で「正しく怖れる」必要があるのです。一方で、自分たちの自由は自分たちで守る必要もあるのです。
新型コロナウイルスは撲滅などできないのです。共生するしかないのです。罰則規定を新たに設ける特別措置法や感染症法の改悪が俎上に登る中で、みずから進んで国家に自由を差し出す”自粛警察”のような衆愚を他山の石として、自由を守りながらどう感染防止を行うか、どう「正しく怖れる」かという課題が私たちに突き付けられているのだと思います。
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