オリンピック・パラリンピックの招致に関しては、投票権があるIOC(国際オリンピック委員会)委員たちに対する買収疑惑がずっと以前より指摘されてきました。それは、東京オリンピックも例外ではありませんでした。JOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長(当時)も、東京オリンピック開催のために、一部のIOC委員に200万ユーロ(約2億5000万円)を支払ったとしてフランスの検察当局の捜査対象になりました。そのため、一昨年の6月、任期満了をもって退任したのですが、それは実質的な引責辞任だと言われています。
東京五輪の疑惑については、2019年1月にロイターのEdward Hadasという記者が、下記のようなコラムを書いていました。
PEUTERS
コラム:東京五輪にも疑惑浮上、「不正の連鎖」断ち切れるか
安倍総理は、東京五輪は東日本大震災の被害から「力強く復興しつつある被災地の姿を、世界に見てもらうため」の「復興五輪」だと言っていました。一方、菅総理は、五輪開催は「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証し」だと言っています。開催理由なんて、そのときどきの都合で変わっていくのです。ホントはどうだっていいのでしょう。
また、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の職員数は、開催するまでに7000人~8000人に増やす予定だと言われていましたが、今年1月時点で3500人です。それとは別に、理事が35名、参与や評議員や顧問、各委員会の委員などが100名以上います。
これらの人員に対して、当然報酬が払われています。理事には最大年間2400万円の報酬が支払われているという話もあります。昨年12月に公表された最新データによれば、総経費は1兆6440億円で、開閉会式の制作等の業務委託をしている電通との契約金額は165億円だそうです。
言うなれば、これは五輪招致で生まれた既得権益です。中止になれば、この既得権益が一瞬で失われるのです。仮に中止にするにしても、できる限り先延ばしにしようと考えてもおかしくないでしょう。それは税金を食い物にする公務員の習性のようなものです。
しかし、メディアは、開催が近づくにつれ、オリンピックに関する疑惑を報道することはなくなりました。五輪開催の問題が、あたかも森個人の問題であったかのように報道するだけです。それが問題のすり替えであるのは言うまでもありません。
IOCは無観客の開催も視野に入れているようですが、もしそうなれば、菅総理は観客のいないスタンドに向かって、開催は人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しだと演説して胸を張るのでしょうか。これほど滑稽な光景はないでしょう。
昨夜の福島県沖のマグニチュード7.1の地震は、10年前の地震の余震だと言われていますが、この余震が開催をいっそう困難にする可能性もあるでしょう。
ワクチンが、ホントに感染収束の”魔法の薬”になるのか誰もわからないのです。ただ、そうなればいいと思っているだけです。しかも、そのワクチンさえ国民全員に行き渡らない中で、開催を強行すると言うのです。狂気の沙汰としか思えません。一体誰のために、何のために開催するのか、という疑念を抱かざるを得ません。どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのです。
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東京五輪の疑惑については、2019年1月にロイターのEdward Hadasという記者が、下記のようなコラムを書いていました。
PEUTERS
コラム:東京五輪にも疑惑浮上、「不正の連鎖」断ち切れるか
(略)過去数十年、五輪の開催国は常に損失を出してきた。日本も例外ではない。東京五輪の組織委員会は放映権や企業のスポンサー料、チケット販売などで約6000億円の収入を見込んでいる。一方、日本の会計検査院は、関連経費を含めた支出は2兆8000億円超になると指摘している。
これでは賄賂に支払う財源などないように見えるかもしれない。しかしコストの大半は、専用の競技施設や選手の宿泊施は無駄にならないとの皮算用をはじく政府が負担している。収入のほとんどを手にする各国の五輪委員会とIOCは、少なくとも競技が実際に始まるまで資金繰りに余裕があるものだ。
つまり、ばらまく現金は存在する。そして、開催地を決めるIOC総会で投票権を持つ96人の委員のうち、少なくとも一部の票は買収し得る。
なぜ赤字の大会を開催するために金を払うのか。施政者が成功というシンボルを手に入れたいからだ。世界から注目を集めるとともに、オリンピック精神の輝きを手に入れることができる。これまで多くの影響力ある人たちが、スポーツイベント開催の栄光に浸るため、倫理を無視してカネを払うこともいとわない姿勢を取ってきた。
安倍総理は、東京五輪は東日本大震災の被害から「力強く復興しつつある被災地の姿を、世界に見てもらうため」の「復興五輪」だと言っていました。一方、菅総理は、五輪開催は「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証し」だと言っています。開催理由なんて、そのときどきの都合で変わっていくのです。ホントはどうだっていいのでしょう。
また、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の職員数は、開催するまでに7000人~8000人に増やす予定だと言われていましたが、今年1月時点で3500人です。それとは別に、理事が35名、参与や評議員や顧問、各委員会の委員などが100名以上います。
これらの人員に対して、当然報酬が払われています。理事には最大年間2400万円の報酬が支払われているという話もあります。昨年12月に公表された最新データによれば、総経費は1兆6440億円で、開閉会式の制作等の業務委託をしている電通との契約金額は165億円だそうです。
言うなれば、これは五輪招致で生まれた既得権益です。中止になれば、この既得権益が一瞬で失われるのです。仮に中止にするにしても、できる限り先延ばしにしようと考えてもおかしくないでしょう。それは税金を食い物にする公務員の習性のようなものです。
しかし、メディアは、開催が近づくにつれ、オリンピックに関する疑惑を報道することはなくなりました。五輪開催の問題が、あたかも森個人の問題であったかのように報道するだけです。それが問題のすり替えであるのは言うまでもありません。
IOCは無観客の開催も視野に入れているようですが、もしそうなれば、菅総理は観客のいないスタンドに向かって、開催は人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しだと演説して胸を張るのでしょうか。これほど滑稽な光景はないでしょう。
昨夜の福島県沖のマグニチュード7.1の地震は、10年前の地震の余震だと言われていますが、この余震が開催をいっそう困難にする可能性もあるでしょう。
ワクチンが、ホントに感染収束の”魔法の薬”になるのか誰もわからないのです。ただ、そうなればいいと思っているだけです。しかも、そのワクチンさえ国民全員に行き渡らない中で、開催を強行すると言うのです。狂気の沙汰としか思えません。一体誰のために、何のために開催するのか、という疑念を抱かざるを得ません。どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのです。
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