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池袋駅~飯能駅~名郷バス停~【蕨山】~【藤棚山】~【大ヨケの頭】~さわらびの湯(河又・名栗湖入口バス停)~飯能駅~練馬駅~自由が丘駅

※山行時間:約.6.5時間(休憩等含む)
※山行距離:約11.5キロ
※累計標高差:登り960m下り1025m
※山行歩数:約21,000歩
※交通費:3,998円


一昨日(3月4日)、蕨山に登りました。蕨山と言えば、このブログを読んでいただければわかると思いますが、昨年の8月に手痛い思いをしたいわくつきの山です。今回は言うなればリベンジのようなものです。

飯能駅から前回と同じ6時55分発「名郷」行きのバスに乗りました。電車から降りてそのまま駅前のバス停に直行しましたが、既に3人のハイカーが並んでいました。しかし、あとからおばさんたちのグループがやって来て、あっという間に20人くらい列が伸びました。通勤客も入れると最終的には30人近くが並んでいたと思います。座席がちょうど埋まるくらいの人数でした。途中のバス停から乗った人たちの中には立っている人もいました。

しかし、ハイカーの大半は棒ノ折山の登山口がある「河又・名栗湖入口」で降車し、以後、終点の「名郷」までは最後部の座席に座っていた私と高齢のハイカーの2人だけになりました。

「名郷」に降りると、高齢のハイカーは蕨山の登山口とは逆方向のキャンプ場の方に歩き始めました。蕨山ではなく武川岳に登るんだなと思いました。

橋を渡り、林道を20分進むと林道の突き当りになります。そこから右の土手を下り、小さな沢を渡ると登山道が始まります。前回登ったあとに台風や大雨があったからなのか、登山道の状況も若干変わっている気がしました。登山道横の斜面にも、至るところに流されてきたとおぼしき大量の倒木が横たわっていました。

最初は樹林帯の中をひたすら登り続けます。そして、尾根に出ると今度は痩せ尾根や岩場に変わります。蕨山がきついのは、何度も同じような急登や岩場が出てくることです。まるでデジャブを見ているように同じような道が目の前に現れるのでした。

蕨山の標高は1044メートルで、実質的な山頂扱いになっている展望台は1033メートルです。名郷のバス停の標高が326メートルですから、単純標高差は700メートルちょっとです。それだけを見ると、チョロいと思うかもしれませんが、山というのは、山の形状や登山道の状況等により、数字とは違う難易度やきつさがあるのです。

蕨山に関しても、ネットには「あっと言う間に着いた」「特に問題ない」というような感想や、信じられないくらい俊足のコースタイムの山行記録があります。今やネットはそういった「オレ凄いだろ」式の自己誇示の場になっているのです。山小屋や山頂で遭遇するベテランハイカーの大言壮語が、そのままネットに移ってきた感じです。

ヤマケイオンラインに、「ネットでみかける“スゴイ”登山記録。あなたは、どう感じますか?」という、読者の質問に山田哲哉氏が答えた記事がありました。質問自体は、北アルプス?のような高山の冬季の山行に関したものですが、そこには、ファクトチェックされることのないネット特有のウソとハッタリだけでなく、現在の登山が抱えている深刻な問題も示されているように思いました。

ヤマケイオンライン
ネットでみかける“スゴイ”登山記録。あなたは、どう感じますか?

YouTubeや5ちゃんねるの登山スレなどによく見られる「凄い」「凄い」という煽りは論外としても、今の登山について、山田哲哉氏は、「“登山の常識”は大きく変わったどころか、“登山の常識”なんて言葉は、なくなったに等しいのが現在の日本の登山界です」と書いていました。たしかに身近にあった地域や職場の山岳会や登山サークルなどもまったく過去のものになりました。もちろん、そういった組織が持つ体育会的な体質がウザいと思われたのも事実ですが、しかし一方で、山岳会や同好会で知識や技術を学び、それが継承される”功”の一面もあったのです。そういった場所がなくなり、”登山の常識”や自然に対する畏敬の念や山に登ることの謙虚さが、登山者から失われたのは事実でしょう。

マラソンで記録を競っているかのようなコースタイム至上主義が、ネットに投稿される山行記録の”盛り”につながるのは当然でしょう。それどころか、そもそも5ちゃんねるような掲示板は、実際に山に登ってない”なりすまし登山者(エア登山者)”が多いという話さえあります。なりすまして何が面白いんだろうと思いますが、そういったほとんどビョーキのような人間たちによってまことしやかに山が語られているのです。たとえば、前も書きましたが、「貧脚」とか「ナマポ」などということばを使って山を語っているのは間違いなく”なりすまし登山者”です。山に非日常性や自己克己を求めて登っている人間は、そんな歪んだ日常的な視点で同じ登山者を見たりはしません。そもそもそんな悪意でものを見る余裕などありません。ネットで語られる山と、実際の山は似て非なるものなのです。

睡眠不足と酷暑でヘトヘトだった前回と比べると、今回は1時間早く展望台に着きました。前回が如何に無謀だったかがわかります。途中、誰にも会わず、展望台に行っても人影はありませんでした。そして、ベンチに座って、おにぎりを食べていたら、何と武川岳に行ったと思っていた高齢のハイカーが別の道から姿を現したのでした。

「武川岳に行ったのかと思っていましたよ。どこから登ってきたのですか?」と訊いたら、「鳥首峠の方から登って来ました」と言うのです。鳥首峠というのは、名郷と秩父の間にある峠で、私が歩いたコースに比べると、かなり迂回するコースです。

「名郷から登って来たんですか?」と訊かれたので、「そうです」と答えたら、「きつかったしょう?」と言われました。

「そうですね。何度も同じような道が出て来るので嫌になりますね」
「ああ、たしかに」と言って笑っていました。

そのハイカーとは下りでも一緒でした。私の方が先に下りたのですが、途中で追い抜かれました。昔から山を歩いている熟達者のようで、年齢を感じさせないような足さばきでした。また、帰りのバスでも一緒でした。

下りは、さわらびの湯まで7キロの道を歩きましたが、初めてだったということもあって、実際の距離以上に長く感じられました。太腿の筋肉が悲鳴をあげているのがわかりました。

大ヨケの頭というピークから下ると、林道を横切り金比羅尾根を登るのですが、そこに差し掛かったら人の話し声が聞こえてきました。見ると、軽トラが停まっていました。近くに行くと、軽トラから林道脇に木製の柱が数本降ろされているのが見えました。

余談ですが、この大ヨケの頭(おおよけのあたま)というのはどういう意味なんだろうと思って、ネットで調べたのですが、どこにも謂れが載っていませんでした。「ヨケ」というのは、「除け」のことかもしれません。魔除けとか悪除けとかいった意味があるのかもと勝手に想像しました。

林道脇に置かれている柱には見覚えがありました。というのも、登る途中に何度も見かけたからです。蕨山の指導標はどれも古く、中には文字が消えかかっているものもあります。そんな指導標の横に真新しい柱が置かれていたのです。その柱には、「飯能市」という銘板が取り付けられていました。

指導標を新しく取り替えるために、とりあえず柱だけを先に運んでいるのだと思います。ということは、指導標に刻まれている「名栗村」の文字はもう見られなくなるのです。

軽トラが走り去ったあとには、作業服姿の男性が3人残っていました。ひとりは20代くらいで、あとのふたりは40代くらいの年格好です。

すると、若い男性が柱を肩に担ぎ、片手でそれを支えながら登山道を登り始めたのです。そして、次の男性も同様にあとに続いて歩き始めました。残りの男性は、ロープで柱を縛っています。どうするのかと思ったら、柱を背負子に縛り付けていました。背負子で運ぶみたいです。

「ご苦労さまです。上の方で柱が置かれているのを見て、どうやって運んでいるんだろうと思っていたところだったんですよ」
「ハハハ、こんな原始的な方法なんです」
「山頂に近いところなんか、大変だったでしょ? やはり担いで登ったんですか?」
「そうですよ、あそこは根性で登りました」と言ってました。

そのあと、先の方で休憩していたので、足を止めて暫く話をしました。市から委託された建設会社の仕事で来ているそうですが、本業は林業だと言ってました。

指導標が設置された場所の写真と地図が印刷された紙を持っていました。また、他に、昭文社の山と高原地図とコンパスも持っていました。それらで場所を確認しながら運んでいるそうです。ただ、中には作業道と登山道の識別がつかずわかりづらいところもあると言っていました。私たちと一緒なのです。

それにしても、凄い体力です。やはり、山のプロは違うなと思いました。彼らに比べれば、私などは恥ずかしいくらいのヘタレです。

「プライベートで山登りはするんですか?」と訊いたら、「しないですね」と言われました。質問したあと、愚問だったかなと思いました。

逆に、「よく山に登るんですか?」と訊かれました。「そうですね。月に2〜3回登っていますね」と答えたら、「凄いな」と言われました。そして、「そうやって頻繁に山に登る山の魅力ってなんですか?」と質問されました。

「よく言われることですが、やはり、忘れることができるってことですかね」
「忘れることができる?」
「そうです。日常生活では、嫌なことや憂鬱なことが沢山あるじゃないですか。楽しいことよりむしろそっちの方がはるかに多いでしょ。でも、山に来るとそれを忘れることができるんですよ。空っぽになれるんです」
そう言うと、「なるほどな。奥が深いな」と言ってました。しかし、それは決して皮肉で言っているような感じではありませんでした。

山に行くと、下刈りや枝打ちをしてない山も多くあります。その話をしたら、枝打ちをしているのは役所から依頼された山が大半で、個人所有の山は放置されたものが多いと言ってました。どうしてかと言えば、木を売っても維持管理の費用がペイしないからだそうです。つまり、赤字になるからです。しかも、枝打ちをしなかったら木の商品価値はどんどん下がるので(「二足三文になる」と言ってました)、枝打ちしない山はそのまま放置するしかないのだそうです。

私の祖父は晩年、山のブローカーのような仕事をしていました。祖父は私が高校生のときに亡くなったので詳しくは知らないのですが、木が成長した山を買い、木を切り出してお金に替えるとその山を転売して、また別の山を買うというような仕事をしていたみたいです。自分で切り出す手間を省いて早くお金に換えたい持ち主と交渉して、山を買い(買いたたき)自分たちで切り出して利益を得ていたのでしょう。

それ以外にも、自分の山を持っていて、私の誕生記念とか小学校入学記念とかに植えた木を見せられたことがありました。でも、私はまったく興味がなかったので、祖父と山に行ったのは一度か二度あるかどうかです。

高校時代、休みで実家に帰っていたとき、祖父が亡くなった直後だったということもあって、ふと祖父が自分のために植えた木がどうなったか見に行ってみようとひとりで出かけたことがありました。しかし、途中の道がきつくて引き返してしまいました。その頃からヘタレだったのです。

そうやって林業が本職だという人たちの話を聞いていたら、なんだか懐かしいような切ないような気持になり、ちょっとしんみりしました。

旧金毘羅神社の跡地から名栗湖ネイチャートレイルという自然探索路を下ると、さわらびの湯の前にある墓地の横に出ました。そこが下山口でした。バスの時刻表を見ると、次のバスは30分後でした。それで、「河又・名栗湖入口」まで歩いて、屋根付きのバス停の中でバスを待ちました。

飯能駅からは西武池袋線の電車に乗り、途中の練馬駅で元町・中華街行きの地下鉄副都心線の直通電車に乗り換えました。いつの間にか眠り込み、渋谷を過ぎて東横線に入った頃に目を覚ましたら、目の前は帰宅する通勤客で立錐の余地もないほど密になっていました。

これが緊急事態宣言下の光景?と思いました。かく言う私も、不要不急の外出を控えるようにという呼びかけを無視して、こうして山に出かけているのです。深夜、繁華街を通ると、時間短縮の要請を無視してヤミ営業している風俗店や飲食店もめずらしくありません。看板の灯りを消した店の物陰に客引きが立ち、夜の街を徘徊する”不心得者”に声をかけています。にもかかわらず、新規感染者数は、(下げ止まったとは言うものの)最初の頃に比べると目を見張るように減少しているのです。

自粛なんかしてないのに、新規感染者数は1500人や2000人から最近は300人前後にまで激減しているのでした。緊急事態宣言の効果だなどと言いながら、さらに2週間延長することが決定したのでした。しかし、その前に、自粛しなくても新規感染者数が減った不思議な現象を説明する方が先ではないでしょうか。

感染防止策は、もはや科学ではなく政治なのです。オリンピック開催という政治の都合でボロ隠しのように行われているにすぎないのです。命令に従わない国民には罰を与えて自粛を強制しながら、オリンピックは開催する。こんなでたらめな政府を許すなら、それこそ主権者の沽券にかかわるでしょう。

同時に、歓送迎会も花見も卒業旅行も自粛せよと呼びかける一方で、メディアも野党も、そして専門家と称する科学者たちも、誰もオリンピックを中止せよと言わない不思議も考えないわけにはいきません。本来ならオリンピックを中止して、この際徹底的に感染防止に務めるべきだと言ってもおかしくないのに、どうして言わないのだろうと思います。歓送迎会や花見や卒業旅行より、オリンピックを中止することが先決でしょう。まず隗より始めよではないですが、まずそこから始めるべきでしょう。

私が乗った直通電車は通勤特急でしたので、もう一度自由が丘で各駅停車に乗り換えなければなりませんでした。最寄り駅に着いたときは19時をまわっていました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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登山口までの林道
杉の枝で埋まっています。

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林道の突き当り

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右側の土手を下りる

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最初はひたすら樹林帯の中の急登を登ります。

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古い指導標

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逆光で見えませんが、尾根に出ました。約3分の1の地点。

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上の指導標を少し登った地点から撮り直した

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やや痩せた尾根になりました。

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こういった指導標ももう見納めです。

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手前が前武川岳と武川岳、奥が武甲山だと思います。

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痩せ尾根

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最初の岩場

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遠くに名郷の集落
恥ずかしいのですが、カメラをフルオートに設定していたので、ピントが前の木になっています。

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次の岩場
こういった岩をがしがし登って行きます。と言って、そんなに危険ではありません(下りはともかく、登りの滑落はほとんどあり得ない)。

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前武川岳と武川岳のアップ

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次の痩せ尾根

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危険注意の標識

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落石注意の標識

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次の岩場

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同上

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稜線に出た

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古い指導標の横に置かれた新しい柱

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目の前に展望台

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展望台の様子

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前回はこのベンチで横になっていました。

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山頂標識(と言えるのかどうか)

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はるか先に見えるのは、武尊山(ほたかやま)や榛名山など群馬の山です。

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河又に向けて下山

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ここにも新しい柱

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藤棚山
男性のハイカーがひとり、ベンチで昼食を食べていました。

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登山道に煙草のポイ捨て
展望台にも、吸い殻や包装紙が捨てられていました。

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大ヨケの頭

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こうやって柱を運んでいるのです。

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金毘羅神社跡
下記の看板に書いていますが、ここも焼失したようです。原因はタバコか焚火なのか。いづれにしても火の不始末なのでしょう。

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鳥居だけが残っていた

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指導標が「河又」から「さわらびの湯」に変わった(どっちも同じです)

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現在の金毘羅神社

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金毘羅神社の謂れ

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さわらびの湯の入口

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墓地が下山口
下りてきたとき、「参ったな」と思いました。
そう言えば、棒ノ折山の滝ノ平尾根ルートも民家のお墓の横に下りて来ます。
奥多摩などでも、お墓の横が登山口というのは結構多いのです。


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2021.03.06 Sat l l top ▲