Yahoo!ニュースにも転載されていましたが、クーリエ・ジャポンがフランスの日刊紙リベラシオンの東京五輪に関する特集を紹介していました。
COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)
フランス紙が東京五輪を大特集「なぜ日本国民にしなかった対策を外国の選手団のためにはするのか」
リベラシオンは、「政府は、PCR検査数を増やすこともなく、ワクチンの提供を急ぐこともなく、医療体制を強化することもなく、必要な資金援助をすることもなく、1年以上もウイルスの蔓延を放置している」と日本政府の不作為を批判していますが、まったくそのとおりでしょう。
また、数字が正確かどうかわかりませんが、「3万人の選手団とその関係者に毎日PCR検査をする」という方針に対して、次のように書いているそうです。
海外から見れば、東京都に限らず日本の検査数の少なさが異常に映るのは当然でしょう。
それで、直近の東京都のPCR検査数を調べてみました。東京都が発表している「医療期間等実施分」は以下のとおりです。尚、これとは別に「健康安全研究センター」という公衆衛生の研究機関が研究目的で検査している分が、大体一日に200~300くらいあります。
5/13(木) 7,702
5/12(水) 8,936
5/11(火)1,0528
5/10(月)14,444
5/9 (日) 2,399※
5/8 (土) 6,828
5/7 (金)13,678
5/6 (木)14,981
5/5 (水) 4,768※
5/4 (火) 5,464※
5/3 (月) 5,227※
5/2 (日) 3,564※
5/1 (土) 7,441
4/30(金)12,574
4/29(木) 2,928※
4/28 (水)12,037
4/27(火)10,837
4/26(月)13,580
4/25(日) 2,444※
4/24(土) 6,292
4/23(金)10795
4/22(木)10,222
4/21(水)11,324
4/20(火)11,118
4/19(月)14,195
※印は休日
リベラシオンが書いているように、東京都は一日に3万件の検査能力があると言っていますが、しかし、相変わらずその3分の1程度しか検査をしていません。検査の拡充は、それこそ耳にタコができるくらい去年からずっと言われてきたことですが、未だにこんな状態なのです。拡充する気などさらさらないのでしょう。
メディアは、連日、新規感染者数が何人だとか「ニュース速報」でセンセーショナルに伝えていますが、検査数をまったく問わずに感染者数だけを報じてもどれほどの意味があるのかと思ってしまいます。日本では海外のように、自分が感染しているかどうかを知るための公的な検査は行われてないために(海外では無償で検査を受けることができる国も多いのですが、日本では”専門家”と称する太鼓持ちたちがそんなことをしても意味がないなどと言って、政府の無作為を擁護しているのが現状です)、国民は自費で民間の検査を受けているのですが、そこで陽性の判定が出た人、特に無症状の人が正直に保健所に届け出るとは限らないので、「隠れ陽性者」もかなりの数に上るのではないかと言われています。当然ながら、市中の検査が行われてないので、当局が把握していない市中の陽性者も相当数いると考えるのが普通でしょう。そんな潜在的な陽性者が、あの超密な通勤電車で席の奪い合いをしているのかもしれないのです。
何故、日本は海外に比べて検査数が極端に少ないのかと言えば、日本医師会の存在が関係しているという指摘があります。彼らが医療崩壊を理由に検査を増やすことを拒んでいるからだと。つまり、彼らの既得権益を守るためです。それは、打ち手不足で、ワクチン接種が遅々として進まないのも同じ理由だという声があります。
日本医師会は医師17万人が加入する公益社団法人ですが、その影響力は絶大で、政治団体の「日本医師連盟」をとおして自民党をはじめ与野党に年5億円近くを献金しているそうです。また、選挙においても地方の名士である開業医の影響力は大きく、「当選させるほどの力はないが落選させる力はある」と言われているそうです。
前も書きましたが、日本は人口当たりの病院数や病床数が世界で一番多く、CTやMRIの台数も他国を圧倒しているにもかかわらず、病床不足が指摘され医療崩壊が叫ばれているのです。既に大阪や兵庫や北海道では、実質的な医療崩壊が起きています。それも、ひとえに日本医師会の政治力に医療行政が歪められているからです。ちなみに、人口千人当たりの医師数は、OECD平均が3.5人なのに日本は2.4人しかいません。日本の医師数は、「1人当たりGDPが平均以上の国の中で最下位」だそうです。医療設備の充実を宝のもち腐れにしている”医師不足“も、既得権益を守る日本医師会の意向が関係していると言われているのです。
そんな日本の医療行政を歪める日本医師会の会長の記者会見を、まるで神の御託宣のように伝えているメディアは、よほどの節穴か、よほどのタヌキかどっちかでしょう。
コロナ禍であきらかになった日本の劣化。百年に一度と言われるパンデミックに晒されても尚、政治は旧態依然としたままで、周辺に蝟集する既得権益者の意向に従ってことが進められているのです。「国民の健康や命よりどうしてオリンピックを優先するのか」という声がありますが、オリンピックだけでなく感染対策そのものも、既得権益を甘受するステイクホルダーの意向が優先されているのでした。
「日本凄い!」も、文字通り自演乙でしかなかったのです。それこそ「笑笑」と言うべきでしょう。しかし、外国の新聞から心配されるくらい政府からコケにされているのに、国民は怒るわけでもなく、ただ陰でブツブツ言うだけです。通勤電車の光景を見ればわかりますが、ここに至っても、彼らにとっては、感染云々より電車で座席に座ることの方が大事なのです。目を血走らせながら車内に乗り込んで来ると、まるでマスクをしたニワトリのように車内をキョロキョロ見まわして、少しでも空いているスペースがあれば我先に突進する彼らを見ていると、絶望感すら覚えます。
世論調査を見ても、自民党の支持率は35%前後で、2位の立憲民主党が5~6%ですから、相変わらず自民党は抜きん出て支持されているのです。私は、読売の「オリンピック反対59%」という数字にも懐疑的です。池江璃花子の”感動物語”に涙するその単細胞ぶりを見せつけられると、ホントにどこまで反対の意思があるのか、首を捻らざるを得ません。東京五輪の問題は、オリンピックそのもののあり方を考えるいい機会だと思いますが、彼らを見ていると、それこそないものねだりの子守歌のように思います。
昨日の記者会見でも、菅首相は、オリンピック開催について「安心・安全な大会を実施することは可能と考えている」と人を食ったようなことを言っていましたが、正気かと言いたくなるようなそんな強気な姿勢の裏には、(何度も言いますが)「国民はオリンピックが始まれば今までのことを忘れて熱狂するに違いない」「池江璃花子のような感動話を与えれば涙を流して応援するに決まっている」という考えがあるからでしょう。バッハ会長も同じようなことを言って、日本の世論から反発されたとメディアは書いていましたが、しかし、開催されれば実際そのとおりになるでしょう。
なにせ日本人は、あの未曾有の原発事故でも変わらなかったのです。一度行き着くところまで行った方がいいという加速主義の(加速主義的な)考え方も、わからないでもないのです。
COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)
フランス紙が東京五輪を大特集「なぜ日本国民にしなかった対策を外国の選手団のためにはするのか」
リベラシオンは、「政府は、PCR検査数を増やすこともなく、ワクチンの提供を急ぐこともなく、医療体制を強化することもなく、必要な資金援助をすることもなく、1年以上もウイルスの蔓延を放置している」と日本政府の不作為を批判していますが、まったくそのとおりでしょう。
また、数字が正確かどうかわかりませんが、「3万人の選手団とその関係者に毎日PCR検査をする」という方針に対して、次のように書いているそうです。
オリンピック期間中、3万人の選手団とその関係者へのPCR検査が毎日予定されている。リベラシオン紙は、日本のPCR検査数の少なさや、ワクチン接種の遅れにも懸念を示す。
「現在、東京都の人口1400万人に対し、1日のPCR検査の数が1万件を超えることはほとんどない。1人が4年に1度接種できる程度の割合で行われているに過ぎない」という専門家の言葉を引用し、「東京で1日3万回の検査が可能なのであれば、なぜ住人には提供しないのか。無料でPCR検査を受けるには処方箋が必要であり、自分の希望で受けるには検査に最大250ユーロ(約3万3000円)も払わなければならない。さらに、1億2700万人の国民がいるなか、抗原検査は1日5000件にも満たない」。こう矛盾を問いかける。
海外から見れば、東京都に限らず日本の検査数の少なさが異常に映るのは当然でしょう。
それで、直近の東京都のPCR検査数を調べてみました。東京都が発表している「医療期間等実施分」は以下のとおりです。尚、これとは別に「健康安全研究センター」という公衆衛生の研究機関が研究目的で検査している分が、大体一日に200~300くらいあります。
5/13(木) 7,702
5/12(水) 8,936
5/11(火)1,0528
5/10(月)14,444
5/9 (日) 2,399※
5/8 (土) 6,828
5/7 (金)13,678
5/6 (木)14,981
5/5 (水) 4,768※
5/4 (火) 5,464※
5/3 (月) 5,227※
5/2 (日) 3,564※
5/1 (土) 7,441
4/30(金)12,574
4/29(木) 2,928※
4/28 (水)12,037
4/27(火)10,837
4/26(月)13,580
4/25(日) 2,444※
4/24(土) 6,292
4/23(金)10795
4/22(木)10,222
4/21(水)11,324
4/20(火)11,118
4/19(月)14,195
※印は休日
リベラシオンが書いているように、東京都は一日に3万件の検査能力があると言っていますが、しかし、相変わらずその3分の1程度しか検査をしていません。検査の拡充は、それこそ耳にタコができるくらい去年からずっと言われてきたことですが、未だにこんな状態なのです。拡充する気などさらさらないのでしょう。
メディアは、連日、新規感染者数が何人だとか「ニュース速報」でセンセーショナルに伝えていますが、検査数をまったく問わずに感染者数だけを報じてもどれほどの意味があるのかと思ってしまいます。日本では海外のように、自分が感染しているかどうかを知るための公的な検査は行われてないために(海外では無償で検査を受けることができる国も多いのですが、日本では”専門家”と称する太鼓持ちたちがそんなことをしても意味がないなどと言って、政府の無作為を擁護しているのが現状です)、国民は自費で民間の検査を受けているのですが、そこで陽性の判定が出た人、特に無症状の人が正直に保健所に届け出るとは限らないので、「隠れ陽性者」もかなりの数に上るのではないかと言われています。当然ながら、市中の検査が行われてないので、当局が把握していない市中の陽性者も相当数いると考えるのが普通でしょう。そんな潜在的な陽性者が、あの超密な通勤電車で席の奪い合いをしているのかもしれないのです。
何故、日本は海外に比べて検査数が極端に少ないのかと言えば、日本医師会の存在が関係しているという指摘があります。彼らが医療崩壊を理由に検査を増やすことを拒んでいるからだと。つまり、彼らの既得権益を守るためです。それは、打ち手不足で、ワクチン接種が遅々として進まないのも同じ理由だという声があります。
日本医師会は医師17万人が加入する公益社団法人ですが、その影響力は絶大で、政治団体の「日本医師連盟」をとおして自民党をはじめ与野党に年5億円近くを献金しているそうです。また、選挙においても地方の名士である開業医の影響力は大きく、「当選させるほどの力はないが落選させる力はある」と言われているそうです。
前も書きましたが、日本は人口当たりの病院数や病床数が世界で一番多く、CTやMRIの台数も他国を圧倒しているにもかかわらず、病床不足が指摘され医療崩壊が叫ばれているのです。既に大阪や兵庫や北海道では、実質的な医療崩壊が起きています。それも、ひとえに日本医師会の政治力に医療行政が歪められているからです。ちなみに、人口千人当たりの医師数は、OECD平均が3.5人なのに日本は2.4人しかいません。日本の医師数は、「1人当たりGDPが平均以上の国の中で最下位」だそうです。医療設備の充実を宝のもち腐れにしている”医師不足“も、既得権益を守る日本医師会の意向が関係していると言われているのです。
そんな日本の医療行政を歪める日本医師会の会長の記者会見を、まるで神の御託宣のように伝えているメディアは、よほどの節穴か、よほどのタヌキかどっちかでしょう。
コロナ禍であきらかになった日本の劣化。百年に一度と言われるパンデミックに晒されても尚、政治は旧態依然としたままで、周辺に蝟集する既得権益者の意向に従ってことが進められているのです。「国民の健康や命よりどうしてオリンピックを優先するのか」という声がありますが、オリンピックだけでなく感染対策そのものも、既得権益を甘受するステイクホルダーの意向が優先されているのでした。
「日本凄い!」も、文字通り自演乙でしかなかったのです。それこそ「笑笑」と言うべきでしょう。しかし、外国の新聞から心配されるくらい政府からコケにされているのに、国民は怒るわけでもなく、ただ陰でブツブツ言うだけです。通勤電車の光景を見ればわかりますが、ここに至っても、彼らにとっては、感染云々より電車で座席に座ることの方が大事なのです。目を血走らせながら車内に乗り込んで来ると、まるでマスクをしたニワトリのように車内をキョロキョロ見まわして、少しでも空いているスペースがあれば我先に突進する彼らを見ていると、絶望感すら覚えます。
世論調査を見ても、自民党の支持率は35%前後で、2位の立憲民主党が5~6%ですから、相変わらず自民党は抜きん出て支持されているのです。私は、読売の「オリンピック反対59%」という数字にも懐疑的です。池江璃花子の”感動物語”に涙するその単細胞ぶりを見せつけられると、ホントにどこまで反対の意思があるのか、首を捻らざるを得ません。東京五輪の問題は、オリンピックそのもののあり方を考えるいい機会だと思いますが、彼らを見ていると、それこそないものねだりの子守歌のように思います。
昨日の記者会見でも、菅首相は、オリンピック開催について「安心・安全な大会を実施することは可能と考えている」と人を食ったようなことを言っていましたが、正気かと言いたくなるようなそんな強気な姿勢の裏には、(何度も言いますが)「国民はオリンピックが始まれば今までのことを忘れて熱狂するに違いない」「池江璃花子のような感動話を与えれば涙を流して応援するに決まっている」という考えがあるからでしょう。バッハ会長も同じようなことを言って、日本の世論から反発されたとメディアは書いていましたが、しかし、開催されれば実際そのとおりになるでしょう。
なにせ日本人は、あの未曾有の原発事故でも変わらなかったのです。一度行き着くところまで行った方がいいという加速主義の(加速主義的な)考え方も、わからないでもないのです。