アメリカのアフガニスタン撤退こそ、これからの世界の行く末を示した出来事はないでしょう。それは、今までも何度も言ってきたように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するということです。

バイデン大統領は、戦争の終結を宣言した演説のなかで、現在もまだ100~200人のアメリカ国民がアフガンに残っているにもかかわらず、退避作戦は「大成功だった」と胸を張ったそうです。どう見ても惨めな負け惜しみと言うしかありません。アフガンに残っているアメリカ国民に対しては、期限を設けずに退避を支援することを約束したそうですが、もちろんそれも”カラ約束”になる可能性があります。

退避作戦の混乱を見れば、100~200人のアメリカ国民は置き去りにされたと言った方が正しいでしょう。どんな負け惜しみを言おうが、あわてふためいて逃げ帰ったのは誰の目にもあきらかなのです。つまり、私たちが見ているのは、パクス・アメリカーナの終焉という世界史的な転換の光景なのです。

カブールの国際空港近くで発生した「イスラム国」の分派組織の自爆テロに対する報復として、アメリカ軍がドローンによる無人爆撃を行ない幹部2名を殺害したと発表しましたが、それもアメリカが一方的に発表しただけでホントに幹部を殺害したかどうかもわからないのです。なんだかむなしい最後っ屁のように思えなくもありません。

タリバンとアメリカの間で秘密協定が結ばれ、タリバン兵が付き添って、カブール空港の秘密の通路からアメリカ兵を脱出させたいうニュースもありますが、もし事実なら、アメリカにとってこれほどの屈辱はないし、アフガンからの逃走が9.11に匹敵するほどのトラウマになるのは間違いないでしょう。

民主主義を守るためにテロを撲滅するという大義名分のもとに、20年も侵略しつづけたアフガンからの逃走が示しているのは、アメリカが世界の警察官の役割を果たせなったという冷厳な事実です。そして、何度もくり返しますが、世界は間違いなく多極化するのです。

既に7月に、アメリカ撤退後を睨んで、タリバンの代表団が北京を訪問して中国政府と協議していることからもわかるように、中国がアジアの盟主になり、同時に北東アジアではロシアもその存在感を増すようになるでしょう。超大国の座から転落したアメリカがアジアから撤退するのも、近い将来俎上にのぼるでしょう。

全体主義か民主主義か、善か悪かなどという価値観に関係なく、世界が多極化して流動化し、これから世界史が大きく塗り替えられるのは間違いないのです。もとより、イスラム諸国や中国共産党の価値観が、私たちのそれとはまったく別個のものであるのは言うまでもありません。

イスラム教の国にアメリカの民主主義を押し付けることは”帝国”の思い上がりに他ならないのです。今回のアフガン侵攻の失敗がそれを如実に示しているのです。アメリカやヨーロッパの価値観が絶対視される時代が終わろうとしているのです。私たちのようなアメリカ式価値観にどっぷりと浸かった人間にとっては、悪夢のような時代の到来に思うかもしれませんが、しかし、時代の流れ、世界史というのは本来そういうものでしょう。

古い言い方をすれば、多極化した世界では、イスラム思想や中華思想や大ロシア主義が台頭し、中国から「東夷」などと呼ばれる東アジアの端に連なる小さな列島の国は、これからそういった異世界のイデオロギーに翻弄されることになるでしょう。

一方、今回のアフガン撤退に伴う退避作戦では、日本は、下記のリテラの記事に書いているとおり、敗戦時、関東軍の幹部たちが自国民を置き去りにしていち早く逃げ帰ったのと同じことをくり返していたのです。

日本政府は、アフガニスタンに残っている民間日本人と日本大使館や国際協力機構(JICA)など日本の関係機関で働いていたアフガン人スタッフら約500名を退避させるために、自衛隊員260名とともに、自衛隊のC2輸送機1機とC130輸送機2機、それに政府専用機1機を、パキスタンの首都イスラマバードに派遣しました。カブール空港からイスラマバードまで自衛隊機でピストン輸送し、そこから政府専用機で日本国内に運ぶ作戦でした。

ところが、イスラマバードに運ぶことができたのは日本人1名とアフガン人14名だけでした。しかも、アフガン人の14名は旧政権の関係者で、アメリカ軍から依頼されてついでに乗せただけで、関係機関の現地スタッフではありません。実質的に退避できたのは1名だけなのです。たとえは悪いかもしれませんが、文字通り大山鳴動して鼠一匹のような話で、あとは見捨てられたのです。どうしてこんなことになったのかと言えば、先の敗戦時に、民間人や下級兵士を置き去りにして満州からいちはやく逃げ帰った関東軍の幹部たちと同じように、現地の大使館員たちが、アメリカ軍のヘリで我先に逃げたために、現地のオペレーションがまったく機能しなかったからです。

  本サイトでも28日に報じたとおり、日本の大使館員は民間人とアフガン人スタッフを残して、真っ先に退避。カブールが陥落した15日、岡田隆アフガニスタン大使はすでにアフガニスタン国内にはおらず、日本人の駐アフガニスタン大使館員12人も17日に全員、英軍機で出国した。

 イギリスやフランスなど他国の大使や大使館員は退避せず、空港内に大使館機能を移転し、アフガン人のためにビザを発給し続けるなどしていたという。また390人のアフガン人退避に成功した韓国も、一旦退避した大使館員がアフガン人救出のためにカブールに戻り、空港までの移動手段となるバスの確保や現地スタッフへの連絡など現地のオペレーションに動いていた。

 ところが、日本の大使や大使館員たちは自分たちだけとっとと先に逃げて、こうした救出作業を放り出していたのだ。

リテラ
アフガン500人置き去り、英仏や韓国は残ったのに日本大使館は先にトンズラ


韓国やイタリアやフランスなどは、希望する人たちの退避を成功させ、28日の時点で大半が作戦を終了していました。日本のお粗末さだけが際立っています。

しかし、日本国内では、退避作戦が失敗したのは、自爆テロで空港に向かうことができなかったからだとか、対応が遅れたのは、自衛隊法が障害になったからだとか憲法の制約があったからだなどと、安倍晋三を彷彿とするような言い訳ばかりが飛び交っており、大使館員たちの無責任さを指摘する声はほとんど聞かれません。そうやって自己を慰撫し不作為に開き直るのは、先の戦争からずっと続いている日本のお家芸とも言うべきものです。もちろん、そこにあるのは、戦前戦後も変わらずこの国を貫く”無責任体系”の露わな姿です。

挙句の果てには、地に堕ちた”帝国”のアメリカと一緒になって、タリバン政権は退避作戦に協力するべきだという共同声明を発表して、馬の耳に念仏のようなお題目を唱えるだけです。しかし、アフガンの現地では、歌舞はイスラム法で禁止されているという理由で、著名な民謡歌手が有無を言わさず銃殺されるようなことが既にはじまっているのです。これでは取り残された人々の運命も押して知るべしでしょう。日本政府に見捨てられた彼らが、外国勢力の協力者として、斬首や銃殺などの残酷な方法で「処刑」される可能性はきわめて大きいと言えるでしょう。

国連の安保理がどんな声明を出そうが、多極化した世界ではカエルのツラにションベンなのです。世界が溶解し、デモクラシーやヒューマニズムも単なる・・・ひとつの価値観にすぎないような時代が、私たちの前に訪れようとしているのです。そのことだけは肝に銘じた方がいいでしょう。
2021.09.01 Wed l 社会・メディア l top ▲