先月の初め、東京オリンピックに関して、下記のような世論調査の結果が出ていました。
讀賣新聞オンライン
五輪開催「よかった」64%…読売世論調査
オリンピックを開催してよかったかという質問に対して、「思う」と答えた人が64%、「思わない」と答えた人が28%だったそうです(残りは無回答)。
開催する前までは、「反対」が80%もあったのです。にもかかわらず、菅総理は、開催してメダルラッシュに感動すると「反対」の声も消えるに違いない、大衆とはそんなものだ、という保守政治家特有の冷徹な大衆観に基づいて開催を強行したのでした。あにはからんや、まったくその通りになったのです。
ただ、菅総理の目論みが外れたのは、その感動に寝返った世論が内閣支持率の浮揚につながらなかったという点です。新型コロナウイルス、特にデルタ株による感染拡大は、大衆にとってかくも切実な出来事だったと言えますが、その意味では「(総理大臣に)誰がなっても同じ」と言うのはそのとおりだったかもしれません。悪い冗談ですが、仮に枝野内閣だったとしても、菅内閣と同じ運命を辿ったのは間違いないでしょう。
何が言いたいのかと言えば、あたらしい内閣になれば、オリンピック開催で寝返ったと同じように、世論も高い支持率に変わるのは火をみるより明らかだということです。反転なのか豹変なのかわかりませんが、同じ自民党政権であるにもかかわらず、掌を返したように支持率がV字回復するのは目に見えています。菅政権だって1年前の成立時は、70%以上の「稀に見る」高い支持率を誇っていたのです。
いくら「反対」の声が大きくても、開催すればメダルラッシュに感動して「賛成」に寝返るという保守政治家の大衆観は、裏を返せば大衆は単純でバカだということなのですが、それは間違いなく真実を衝いているのです。
「菅降ろし」という自民党内の権力抗争も、つまるところ、顔をすげ替えれば支持率が回復するという鉄壁の”法則”があるからにほかなりません。そこにあるのは、どうしようもない(としか言いようのない)単純でバカな大衆の存在です。それが旧態依然とした保守政治の半永久的な独裁体制をもたらしているのです。
支持率低迷で窮地に陥った菅総理が、内閣改造で局面を打開するために、同じ神奈川県選出の麻生派の河野太郎を要職に起用できないか、麻生太郎にお伺いを立てたら、麻生が「おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ」と「声を荒らげた」そうで、それでにっちもさっちもいかなくなった菅総理は辞意を決意したと言われています。首相経験者とは言え、内閣の一員でしかない財務大臣が最高権力者の総理大臣をお前呼ばわりして怒鳴り付けるなんて、日本はなんと民主的な国なんだと思えなくもありませんが、まさにそこにあるのは丸山眞男が言った「番頭政治」の哀しくも切ない光景と言えるでしょう。

来る総裁選の立候補予定者の顔ぶれについて、前川喜平氏は上記のようにツイートしていましたが、しかし、このなかにはもうひとり、安倍晋三の支持表明で俄かに注目されるようになった高市早苗氏が欠けています。信じ難い話ですが、安倍に加えて麻生が支持すれば、憲政史上初の女性宰相も「夢ではない」とさえ言われているのです。高市氏が加わったことで、今回の自民党総裁選は、文字通り「凡人、軍人、変人、〇人」の戦いになったのです。
高市早苗氏は、韓国の情報機関の工作員だったという前代未聞なスキャンダルに見舞われているあの”極右の女神”ともども、ネトウヨから熱烈に支持されている狂信的な右翼思想の持ち主です。そんな高市氏が総裁選で”台風の目”になっているというのは、保守政党としての自民党の劣化を象徴していると言えますが、そうなると、だから自分たちこそが自民党に代わる真の保守政党だという立憲民主党の声がいちだんと高くなるのもいつものことです。菅総理の突然の辞任で、急遽「野党共闘」に戦略を変えつつあるみたいですが、かつて枝野幸男代表は、「正当な保守は我々だ」と朝日のインタビューで明言しているのでした。
朝日新聞デジタル
枝野氏「自民は『革命政党』、正統保守は我々」
こんな野党があるでしょうか。自民党が右へ行けば行くほど、野党第一党もそれに引きずられるように右へ移動しているのです。明確な対立軸を示すこともなく、有権者に提示する選択の幅をみずから狭めている野党第一党の責任はきわめて大きいと言わざるを得ません。立憲民主党の存在は、単に保守政治のトートロジー(同義反復)でしかないのです。
日本では、いつの間にかフランスやイタリアやスペインなどのような激しいデモが見られなくなりました。街頭で目立つのは、中国と同じような市民を監視するカメラばかりです。それは、ホントに平和でいいことと言えるのでしょうか。その結果、与党も野党もほとんど変わらない、オレこそが正当な保守政党だと保守の正当性を競うような、文字通り翼賛的な議会政治しか存在しなくなったのです。そして、政権の顔をすげ変えることが政治を動かすことだというような、冗談みたいな政治がまかり通っているのです。一方で、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされたようなリベラル左派の立憲民主党への合流によって、地べたの社会運動がどんどん潰されている現実もあります。
ちょっと古いですが、ヨーロッパでの急進左派(新左派)の台頭について、下記のような記事がありました。
Yahoo!ニュース
今井佐緒里
日本には存在しない欧州の新極左とは。(3) EUの本質や極右等、欧州の今はどうなっているか
この記事が書かれたのが2018年で、その後、この記事で紹介されていた「極左」=急進左派も、議会のなかで存在感が増すにつれ、理想と現実のはざまで苦悩しているのはたしかですが、しかし、スペインのポデモス、ギリシャのシリザ、フランスの「不服従のフランス」、ポルトガルのブロコなどは、いづれも火炎瓶が飛び交うような街頭闘争のなかから生まれた政党(党派)で、今でも街頭での大衆運動に支えられていることには変わりがありません。記事にも書いているように、この超格差社会のなかで上か下かという視点に立てば、コミュニズムの「『人民の平等』『富の平等』の精神」が現代的意味を持つのは当然でしょう。
日本でこんなことを言うと、過激派か誇大妄想狂のように思われるのがオチですが、この弛緩した状況を打破するためにも、社会の変革を大胆に求める急進左派の出現が日本でも待ち望まれるのです。『人新世の資本論』ではないですが、あきらかに資本主義が臨界点を迎えている現在、「3.5%」の人々がみずから声を上げて既存の政治に異議申し立てを行うことで、上級国民の社交場と化したような今の議会政治に活を入れる必要があるのです。顔を変えて支持率回復を目論むという、こんな有権者をバカにした(バカな有権者を前提にした)政治なんてあり得ないでしょう。
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『左派ポピュリズムのために』
日本で待ち望まれる急進左派の運動
讀賣新聞オンライン
五輪開催「よかった」64%…読売世論調査
オリンピックを開催してよかったかという質問に対して、「思う」と答えた人が64%、「思わない」と答えた人が28%だったそうです(残りは無回答)。
開催する前までは、「反対」が80%もあったのです。にもかかわらず、菅総理は、開催してメダルラッシュに感動すると「反対」の声も消えるに違いない、大衆とはそんなものだ、という保守政治家特有の冷徹な大衆観に基づいて開催を強行したのでした。あにはからんや、まったくその通りになったのです。
ただ、菅総理の目論みが外れたのは、その感動に寝返った世論が内閣支持率の浮揚につながらなかったという点です。新型コロナウイルス、特にデルタ株による感染拡大は、大衆にとってかくも切実な出来事だったと言えますが、その意味では「(総理大臣に)誰がなっても同じ」と言うのはそのとおりだったかもしれません。悪い冗談ですが、仮に枝野内閣だったとしても、菅内閣と同じ運命を辿ったのは間違いないでしょう。
何が言いたいのかと言えば、あたらしい内閣になれば、オリンピック開催で寝返ったと同じように、世論も高い支持率に変わるのは火をみるより明らかだということです。反転なのか豹変なのかわかりませんが、同じ自民党政権であるにもかかわらず、掌を返したように支持率がV字回復するのは目に見えています。菅政権だって1年前の成立時は、70%以上の「稀に見る」高い支持率を誇っていたのです。
いくら「反対」の声が大きくても、開催すればメダルラッシュに感動して「賛成」に寝返るという保守政治家の大衆観は、裏を返せば大衆は単純でバカだということなのですが、それは間違いなく真実を衝いているのです。
「菅降ろし」という自民党内の権力抗争も、つまるところ、顔をすげ替えれば支持率が回復するという鉄壁の”法則”があるからにほかなりません。そこにあるのは、どうしようもない(としか言いようのない)単純でバカな大衆の存在です。それが旧態依然とした保守政治の半永久的な独裁体制をもたらしているのです。
支持率低迷で窮地に陥った菅総理が、内閣改造で局面を打開するために、同じ神奈川県選出の麻生派の河野太郎を要職に起用できないか、麻生太郎にお伺いを立てたら、麻生が「おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ」と「声を荒らげた」そうで、それでにっちもさっちもいかなくなった菅総理は辞意を決意したと言われています。首相経験者とは言え、内閣の一員でしかない財務大臣が最高権力者の総理大臣をお前呼ばわりして怒鳴り付けるなんて、日本はなんと民主的な国なんだと思えなくもありませんが、まさにそこにあるのは丸山眞男が言った「番頭政治」の哀しくも切ない光景と言えるでしょう。

来る総裁選の立候補予定者の顔ぶれについて、前川喜平氏は上記のようにツイートしていましたが、しかし、このなかにはもうひとり、安倍晋三の支持表明で俄かに注目されるようになった高市早苗氏が欠けています。信じ難い話ですが、安倍に加えて麻生が支持すれば、憲政史上初の女性宰相も「夢ではない」とさえ言われているのです。高市氏が加わったことで、今回の自民党総裁選は、文字通り「凡人、軍人、変人、〇人」の戦いになったのです。
高市早苗氏は、韓国の情報機関の工作員だったという前代未聞なスキャンダルに見舞われているあの”極右の女神”ともども、ネトウヨから熱烈に支持されている狂信的な右翼思想の持ち主です。そんな高市氏が総裁選で”台風の目”になっているというのは、保守政党としての自民党の劣化を象徴していると言えますが、そうなると、だから自分たちこそが自民党に代わる真の保守政党だという立憲民主党の声がいちだんと高くなるのもいつものことです。菅総理の突然の辞任で、急遽「野党共闘」に戦略を変えつつあるみたいですが、かつて枝野幸男代表は、「正当な保守は我々だ」と朝日のインタビューで明言しているのでした。
朝日新聞デジタル
枝野氏「自民は『革命政党』、正統保守は我々」
こんな野党があるでしょうか。自民党が右へ行けば行くほど、野党第一党もそれに引きずられるように右へ移動しているのです。明確な対立軸を示すこともなく、有権者に提示する選択の幅をみずから狭めている野党第一党の責任はきわめて大きいと言わざるを得ません。立憲民主党の存在は、単に保守政治のトートロジー(同義反復)でしかないのです。
日本では、いつの間にかフランスやイタリアやスペインなどのような激しいデモが見られなくなりました。街頭で目立つのは、中国と同じような市民を監視するカメラばかりです。それは、ホントに平和でいいことと言えるのでしょうか。その結果、与党も野党もほとんど変わらない、オレこそが正当な保守政党だと保守の正当性を競うような、文字通り翼賛的な議会政治しか存在しなくなったのです。そして、政権の顔をすげ変えることが政治を動かすことだというような、冗談みたいな政治がまかり通っているのです。一方で、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされたようなリベラル左派の立憲民主党への合流によって、地べたの社会運動がどんどん潰されている現実もあります。
ちょっと古いですが、ヨーロッパでの急進左派(新左派)の台頭について、下記のような記事がありました。
Yahoo!ニュース
今井佐緒里
日本には存在しない欧州の新極左とは。(3) EUの本質や極右等、欧州の今はどうなっているか
この記事が書かれたのが2018年で、その後、この記事で紹介されていた「極左」=急進左派も、議会のなかで存在感が増すにつれ、理想と現実のはざまで苦悩しているのはたしかですが、しかし、スペインのポデモス、ギリシャのシリザ、フランスの「不服従のフランス」、ポルトガルのブロコなどは、いづれも火炎瓶が飛び交うような街頭闘争のなかから生まれた政党(党派)で、今でも街頭での大衆運動に支えられていることには変わりがありません。記事にも書いているように、この超格差社会のなかで上か下かという視点に立てば、コミュニズムの「『人民の平等』『富の平等』の精神」が現代的意味を持つのは当然でしょう。
日本でこんなことを言うと、過激派か誇大妄想狂のように思われるのがオチですが、この弛緩した状況を打破するためにも、社会の変革を大胆に求める急進左派の出現が日本でも待ち望まれるのです。『人新世の資本論』ではないですが、あきらかに資本主義が臨界点を迎えている現在、「3.5%」の人々がみずから声を上げて既存の政治に異議申し立てを行うことで、上級国民の社交場と化したような今の議会政治に活を入れる必要があるのです。顔を変えて支持率回復を目論むという、こんな有権者をバカにした(バカな有権者を前提にした)政治なんてあり得ないでしょう。
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