選挙が近づいた途端に新規感染者が激減したのも魔可不思議な話ですが、もちろん、だからと言ってパンデミックが収束したわけではありません。百年に一度などと言われるパンデミック下においてもなお、立憲惨敗、自民単独過半数、自公絶対安定多数のこの結果は、今まで何度もくり返してきたように、立憲民主党が野党第一党であることの不幸をあらためて痛感させられたと言えるでしょう。立憲民主党に対しては、野党としての存在価値さえ問われていると言っても過言ではありません。
立憲民主党はホントに野党なのか。今回の選挙で立民は、消費税を5%に下げるという公約を掲げました。それを聞いたとき、多くの有権者は、民主党政権(野田内閣)が公約を破って自公と「社会保障と税の一体改革に関する三党合意」なるものを結び、今日の増税路線に舵を切ったことを思い出し呆れたはずです。
当時、枝野代表は経産大臣でした。蓮舫は行政改革担当の内閣府特命担当大臣、安住淳に至っては財務大臣だったのです。野田元首相も現在、立民の最高顧問として復権しています。みんな昔の名前で出ているのです。
このように消費税5%のマニフェストだけを見ても、よく言われるブーメランでしかないのです。立民や国民民主党などの旧民主党が、自民党を勝たせるためだけに存在していると言うのは、決してオーバーな話ではないのです。
今回の選挙結果を受けて、さっそく国民民主の玉木代表があたかも連合に愁眉を送るかのように立民にゆさぶりをかけていますが、今後立民に対して旧同盟系の芳野体制になった連合の右バネがはたらき、反共の立場を明確にして自民党と中間層の取り込みを争うという中道保守政党としての”原点回帰”が進むのは間違いないでしょう。でも、それは、ますます自民党との違いが曖昧になり、野党としての存在価値をいっそう消失させ、立民が自己崩壊に至る道でもあるのです。にもかかわらず、今の立民には、連合が自分たちを潰す獅子身中の虫であるという最低限の認識さえないのです。芳野友子会長はとんだ食わせ物の反共おばさんで、ガラスの天井が聞いて呆れます。
だからと言って今回のような「野党共闘」に希望があるかと言えば、今までも何度も言っているように、そして、今回の選挙結果が示しているように、「野党共闘」が”人民戦線ごっこ”を夢想した理念なき数合わせの野合にすぎないことは最初からあきらかだったのです。そんなもので政治が変わるはずもないのです。立憲民主党や国民民主党が野党になり切れないのは、何度もくり返しますが、労働戦線の右翼的再編と軌を一にして生まれた旧民主党のDNAを受け継いだ、連合=右バネに呪縛された政党であるからにほかなりません。その根本に目を瞑って「野党共闘」の是非を論じても、単なるトートロジーに終わるだけでしょう。
「野党共闘」の支援者たちのSNSをウオッチしても、この惨敗を受けてもなお、小選挙区で立民の議席が増えたことを取り上げて、「野党共闘」があったからこの程度の敗北で済んだのだなどと言い、相変わらず夜郎自大な”無謬神話”で自演乙しているのでした。
立民は小選挙区では増えたものの、支持政党を選択する比例区では致命的と言っていいほど議席を減らしました。比例区で野党第一党が有権者に見放された事実こそ、投票率の低さも含めて野党不在の今の政治の深刻さを表しているように思います。つまり、自公政治に対する批判票の受け皿がない、立民がその受け皿になってないということです。皮肉なことに今回の「野党共闘」によって、それがいっそう露わになったと言えるでしょう。
昔、著名なマルクス経済学者の大学教授が、社会党の市会議員選挙だかにスタッフとして参加した経験を雑誌に書いていましたが、そのなかで、選挙運動を「偉大なる階級闘争だった」と総括しているのを読んで、まだ若くて尖っていた私はアホじゃないかと思ったことを覚えています。共産党はもちろんですが、「野党共闘」の接着剤になったと言われる市民連合なるものも、もしかしたらそのマルクス経済学者と同じような、「負けるという生暖かい場所」で惰眠を貪っているだけのとんちんかんな存在と言うべきかもしれません。「アベ政治を許さない!」というボードを掲げるような運動がほとんど成果を得ることなく後退戦を余儀なくされた末に、苦肉の策として「野党共闘」が構想されたという事情も見過ごすことはできないでしょう。ものみな選挙で終わるのです。
ヨーロッパで怒れる若者たちの心を掴み、議会に進出して今や連立政権の一翼を担うまでになった急進左派(それはそれで問題点も出ていますが)と日本の野党との決定的な違いは、街頭での直接的な要求運動、抵抗運動が存在するかどうかです。誤解を怖れずに言えば、ヨーロッパの急進左派は火炎瓶が飛び交うような過激な街頭闘争から生まれ、それに支えられているのです。でも、日本の野党はまるで逆です。「アウシュビッツ行きの船に乗る」とヤユされた立民への合流によって、むしろ地べたの社会運動が次々と潰されている現実があります。「野党共闘」もその延長上に存在しているにすぎません。
コロナ禍によって格差や貧困の問題がこれほど深刻且つ大きく浮上したにもかかわらず、その運動を担う政治勢力が存在しない不幸というのは、とりもなおさずホントの野党が存在しない不幸、立憲民主党が野党第一党である不幸につながっているのです。
前も引用しましたが、シャンタル・ムフの次のようなことばをもう一度(何度も)噛みしめて、今の政治と目の前の現実を冷徹に見る必要があるでしょう。
 多くの国において、新自由主義的な政策の導入に重要な役割を果たした社会ー民主主義政党は、ポピュリスト・モーメントの本質を掴みそこねており、この状況が表している困難に立ちむかうことができてない。彼らはポスト政治的な教義に囚われ、みずからの過ちをなかなか受入れようとせず、また、右派ポピュリスト政党がまとめあげた諸要求の多くが進歩的な回答を必要とする民主的なものであることもわかってない。これらの要求の多くは新自由主義的なグローバル化の最大の敗者たちのものであり、新自由主義プロジェクトの内部にとどまる限り満たされることはない。
(略)右派ポピュリスト政党を「極右」や「ネオファシスト」に分類し、彼らの主張を教育の失敗のせいにすることは、中道左派勢力にとってとりわけ都合がよい。それは右派ポピュリスト政党の台頭に対する中道左派の責任を棚上げしつつ、彼らを不適合者として排除する簡単な方法だからである。
(『左派ポピュリズムのために』)
今、求められているのは、右か左かではなく上か下かの政治なのです。むしろ極右が「階級闘争」を担っている側面さえあるのです。シャンタル・ムフは、左派が極右に代わってその政治的ヘゲモニーを握るためには、自由の敵にも自由を認める(話せばわかる)というようなヤワな政治ではなく、自由の敵に自由を許すなと言い切るような「対抗的で闘技的な政治」が必要だと訴えているのでした。彼女はそれを「民主主義の根源化」と呼んでいました。
 ソヴィエト・モデルの崩壊以来、左派の多くのセクターは、彼らが捨て去った革命的な政治観のほかには、自由主義的政治観の代替案を提示できてない。政治の「友/敵」モデルは多元主義的民主主義とは両立しないという彼らの認識や、自由民主主義は破壊されるべき敵ではないという認識は、称賛されてしかるべきである。しかし、そのような認識は彼らをして、あらゆる敵対関係を否定し、政治を中立的領域でのエリート間の競争に矮小化するリベラルな考えを受入れさせてしまった。ヘゲモニー戦略を構想できないことこそ、社会ー民主主義政党の最大の欠点であると私は確信している。このため、彼らは対抗的で闘技的な政治の可能性を認めることができないのである。対抗的で闘技的な政治こそ、自由ー民主主義的な枠組みにおいて、新しいヘゲモニー秩序の確立へと向かうものなのだ。
(同上)