眞子さんと小室圭さんが結婚され、日本を飛び立ちましたが、その姿を見ながら「私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」という眞子さんのことばが思い出され、涙が出そうになりました。

天皇制云々以前の問題として、若い二人に誹謗中傷を浴びせ、ここまで追いつめた日本社会や日本人の下劣さについて、私たちはもっと深刻に受け止める必要があるでしょう。

でも、それも、今の日本では馬の耳に念仏のような気がします。ネットを見ればわかるように、二人に対する誹謗中傷と「在日」や生活保護受給者などに対するヘイト・スピーチは同じ根っこにあるのですが、そういった認識はほとんどありません。

眞子さんの下記のような発言は、今の日本社会に対する痛烈な批判、違和感を表明したものと言えるでしょう。

これまで私たちが自分たちの心に忠実に進んでこられたのは、お互いの存在と、励まし応援してくださる方々の存在があったからです。今、心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が、心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております。


天皇制反対のイデオロギーに縛られ、二人の問題について見て見ぬふりをしてきた左派リベラルもまた、眞子さんから批判されるべき対象ですが、その自覚さえ持ってないかのようです。彼等もこの日本社会のなかでは、ヘイト・スピーチを行なう差別主義者と同じ穴のムジナと言っても言いすぎではないのです。仮にヘイト・スピーチに反対していてもです。

政治の幅は生活の幅より狭いと言ったのは埴谷雄高ですが、私たちにとってたとえば恋愛は、病気などと同じようにどんな政治より大事なものです。そういった人生の本質がまったくわかってないのではないか。ましてや、好きな人と愛を貫く気持など理解できようはずもないのです。

大袈裟すぎると思われるかもしれませんが、私は、天皇制反対のイデオロギーに拘泥して二人の問題を見て見ぬふりしてきた左派リベラルに、「自由」とか「平等」とか「人間の解放」とかを口にする資格はないとさえ思っています。

余談ですが、先の衆院選における「野党共闘」の総括をめぐり、「野党共闘」周辺のグループが山本太郎や北原みのりや前川喜平氏などに対して、「限界」なるレッテルを貼ったりして執拗にバッシングしていますが、それを見るにつけ、時代は変わっても相変わらず衣の下からスターリン主義の鎧が覗いている気がしておぞましい気持になりました。その行き着く先は、言うまでもなく近親憎悪と「敵の敵は味方」論なのです。そういったことも含めて、私はイデオロギーにとり憑かれた”左翼の宿痾”というものを考えないわけにはいきませんでした。

二人の出国を前にして、元婚約者の男性が400万円の解決金を受け取ることになり、いわゆる金銭問題も急転直下して解決しましたが、何だか出国のタイミングに合わせて手打ちをしたような気がしないでもありません。

どうしてもっと前に400万円を渡さなかったのかという週刊誌の記事がありましたが、渡さなかったのではなく、下記の小室さんの発言にあるように、元婚約者が小室さんのお母さんと直接会うことに拘り400万円を受け取らなかったからです。文字通り七つ下がりの雨とも言うべきお母さんに対する執着心が問題を長引かせてきたのです。

付き合っていたときに使ったお金は貸したものだ、別れたから返せ、というチンピラまがいの要求に対して、小室さんは立場上妥協に妥協を重ね、結局、「解決金」として400万円を支払うことにしたのですが、にもかかわらず、お母さんに直接会うことが条件だとして問題をこじらせたのでした。そのあたりの下衆な事情を百も承知で、週刊誌はあたかも小室さんに誠意がないかのように悪意をもって報じてきたのです。元婚約者も、そういったメディアのバッシングを背景に要求をエスカレートしていったフシがあります。

それは、小室圭さんの会見の際の次のような発言からも伺えます。

私が母に代わって対応したいと思い、母の代理人弁護士を通じてそのことをお伝えしました。元婚約者の方からは、元婚約者の方の窓口となっている週刊誌の記者の方を通じて、前向きなお返事をいただいています。


何のことはない元婚約者の代理人は、弁護士などではなく未だに「週刊誌の記者」(実際はフリーライター)が務めていたのです。彼がバッシングのネタが尽きないように、元婚約者のストーカーもどきの執着を「借金問題」としてコントロールしてきたのではないか。某大手週刊誌に近いと言われるフリーライターは、小室家の金銭問題を演出する工作員みたいな存在だったのではないのか。そんな疑いが拭えません。少なくとも週刊誌やスポーツ新聞やテレビのワイドショーにとって、彼の存在は実においしいものだったと言えるでしょう。

『噂の真相』が健在だったなら、そのあたりのカラクリを暴露したはずです。こんな人権侵害のやりたい放題のバッシングが許されるなら、もう何でもありになってしまいます。公人・私人という考え方も極めて恣意的なもので、その刃がいつ私たちに向かって来るとも限りません。そのためにも、元婚約者や代理人のフリーライターの素性、それにフリーライターと週刊誌の関係など、小室問題の真相が衆目の下にあきらかにされるべきで、『噂の真相』のスキャンダル精神を受け継ぐと言っているリテラや『紙の爆弾』など(マイナーだけど)骨のあるメディアにもっと奮起して貰いたいと思います。

大塚英志が言う死滅しつつある既存メディアがまるで悪あがきをするかのようにネット世論に迎合した結果、バッシングがエスカレートして閾値を越え、狂気と言ってもいいような領域に入っていったのでした。東京大学大学院教授の林香里氏は、朝日の「論壇時評」で、今年度のノーベル平和賞に輝いたフィリピンのオンライン・ニュースサイト「ラップラー」の創設者マリア・レッサさんの「ソーシャルメディアは『人間の最悪の性向を技術的に増幅させている』」というニューヨーク・タイムズのインタビューでの発言を紹介していましたが、既存メディアとネット世論を媒介してバッシングを増幅させたYahoo!ニュースの存在も見過ごすことはできないでしょう。もちろん、その背後に、日本社会や日本人の底なしとも言える劣化が伏在しているのは言うまでもありません。そういった構造と仕組みを知る上でも、週刊誌的手法を逆手に取ってこの問題を総括することは非常に大事なことのように思います。
2021.11.16 Tue l 社会・メディア l top ▲