新版山を考える


今朝(日曜日)、用事があって西武池袋駅から午前8時前の電車に乗ったのですが、車内は中高年のハイカーでいっぱいでした。ホームで会った人たちを含めれば100人はいたかもしれません。しかも、その大半はグループ(団体)でした。

グループを見ると、男性だけの数人のグループもありますが、おおむね女性(つまりおばさん)が主で、そのなかにリーダー格の男性(つまりおっさん)が数名いるというパターンが多いように思いました。おばさんたちのテンションが高いのはいつものことですが、お山の大将みたいなおっさんたちも負けず劣らずテンションが高い上に、集団心理によるマナーの悪さも手伝って、まさに大人の遠足状態なのでした。電車に乗っていて、途中で遠足に行く小学生たちが乗り込んで来ると「今日はついてないな」と思ったりしますが、山に行くおばさんやおっさんたちもそれに負けず劣らず姦しくて、思わず眉をひそめたくなりました。彼らは、車内マナーだけでなく、身体も小学生並みです。山に登る人たちは、ホントに競馬の騎手みたいに身体の小さい人が多いのです。

今日は午後から雨の予報でしたが、それでも緊急事態宣言も解除されたし、新規感染者数も激減したし、ワクチン接種も済んだので、そうやってみんなで山に繰り出しているのでしょう。午前8時前に池袋を出発するような時間帯では遠くに行けるはずもなく、おそらく紅葉狩りも兼ねて西武池袋線沿線の飯能の山にでも登るつもりなのでしょう。

私は山に行くことができないので羨ましい反面、休日の人の多い山によく行く気になるなと思いました。とてもじゃないけど、私などには考えられないことです。

登山人口が高齢化して減少の一途を辿っているなかで(今が登山ブームだなどと言っているのは現実を知らない人間の妄言です)、この中高年ハイカーが群れ集う光景は一見矛盾しているように思われるかもしれませんが、そこは大都市東京を控える山なのです。腐っても鯛ではないですが、週末になると、田舎では考えられないような多くのハイカーの姿を駅で見ることができるのです。おそらく、今日のホリデー快速おくたま号(あきかわ号)が停まる新宿駅の11番ホームも、ザックを背負ったハイカーで通勤ラッシュ並みにごった返していたことでしょう。

でも、奥武蔵(埼玉)でも丹沢でも奥多摩でもそうですが、彼らが行く山は限られています。みんなが行く山に行くだけです。そして、リーダーの背中を見て歩くだけです。

そんな彼らを見ていると、私は、本多勝一氏が書いていた「中高年登山者たちのために あえて深田版『日本百名山』を酷評する」(朝日文庫『新版山を考える』所収)という文章を思い出さないわけにはいかないのでした。

本多氏は、生前の深田久弥氏と個人的にも交流があったようですが、しかし、「『日本百名山』という本を内実相応のものとして相対化する」ために、「ここであの世の深田さんには片目をつぶってウインクしながら、あまりに絶対化されたことに対するバランスをもどすべく(引用者註:「あまりに」以下は太字)、この本についての悪口雑言罵詈讒謗ばりざんぼうを書くことに」したと書いていました。

ちなみに、「中高年登山者たちのために」は『朝日ジャーナル』の1989年10月20日号に掲載されたのですが、その枕になっているのは、同年の『岳人』10月号の「日本百名山に登山はなぜ集中するのか」という座談会です。『岳人』の座談会について、本多氏は、「故・深田久弥氏の著書『日本百名山』をそのまま自分もなぞって喜んでいる『画一化登山者』たちを問題にしています。この種のモノマネ没個性登山者の急増は、中高年登山者の急増と関連しているという指摘に考えさせられるものがありました」と感想を述べていました。

余談ですが、『岳人』が百名山登山を批判する座談会を企画するなど、今の『岳人』には考えられないことです。当時の『岳人』は中日新聞が編集発行していました。でも、今はモンベルに買収され、モンベルの関連会社が発行元になっています。モンベルにとっては、百名山様々なので、百名山登山を煽ることはあっても批判することなど間違ってもないでしょう。それは『山と渓谷』も同じです。部数減で経営環境がきびしくなったとは言え、山に関しても、政治と同じで、昔の方が見識を持っていたし”骨”もあったのです。

本多氏はこう書きます。

  思うに、深田さんは確かに山が好きだったけれど、山と旅をめぐる雰囲気を愛したのであって、「山それ自体」への関心があまり深くなかったのではありませんか。その意味では「山に対する愛情の深さが、ひしひしと伝わってくる」ような本は、書きたくても書けなかったのでしょう。「山それ自体」とは「自然それ自体」であって、具体的には花であり木であり岩であり雪であり鳥であり魚であり虫であるわけです。抽象的な自然は存在しません。しかしそれらに対する関心が深田さんは薄かった。


だから、逆に言えば、NHKの番組も相俟って、人並みとモノマネを処世訓とする中高年ハイカーには受け入れやすかったのかもしれません。でも、本多氏は、そこに「深田百名山」のジレンマがあったのだと言います。

  生前の深田さんが最も忌み嫌っていた類の人間とは、これは確信をもって言えますが、はかならぬ深田百名山をそのままなぞっているような人々なのです。他人が選んだ山を盲目的になぞるだけ、独創性も自主性もない、すなわち冒険精神とは正反対の極にあるかなしきメダカ民族。「深田クラブ」が、もし深田さんの志を尊重するために存在するのであれば、そんなメダカ行為を直ちにやめて、自分自身の眼で山を選ぶことです。(略)
  もっときびしいことを言えば、もし「深田クラブ」が深田版『日本百名山』を契機に結成されたとすれば、これを解散することこそが深田さんの志にそうものかとさえ思われるのです。


でも、山のリストは今や『日本百名山』だけではありません。「深田クラブ」や日本山岳会などによって、「日本二百名山」「日本三百名山」、さらには作家の田中澄江が選んだ「花の百名山」もあります。それどころか、地方や県単位でも百名山が選定されています。そうやって登山人口の減少とは裏腹に、「自立した登山者であれ」という登山の精神とは真逆な「モノマネ没個性登山者」=おまかせ登山者は増加する一方なのです。
2021.11.21 Sun l 本・文芸 l top ▲