ようやくと言うべきか、日本でもオミクロン株の市中感染が確認されるようになりました。欧米では既に万単位で感染者が発生し過去最多を記録するなど感染が急拡大しているのですが、日本はまだ数百人程度です。これは(今まで何度もくり返してきたことですが)日本特有のPCR検査の少なさが影響しているのは間違いないでしょう。

日本の場合、PCR検査は症状があって病院に受診した人か濃厚接触者に指定された人に限られていました。他には、入国者と帰国者に空港で抗原検査が行われていただけです。これでは市中感染の捕捉率が著しく低くなるのは当然なのです。つまり、市中では無症状や軽症の人は完全に野放しで、感染者のデータにも上がって来ないのです。ややもすれば、感染者数が少ないのは、日本の感染対策がすぐれているからという「ニッポン凄い!」の自演乙になりがちですが、間違ってもそんな話ではないのです。

ただ、ここに来て、東京都、大阪府、京都府、沖縄県では希望者が無料でPCR検査を受けることができるようになったようです。「モーニングショー」の玉川氏が言うように、遅きに失した感はありますが、一歩前進と言っていいでしょう。

一方で、今までの変異株に比べて、感染力が強いにもかかわらず逆に重症化率が低い(弱毒化されている)と言われるオミクロン株は、ウィルスの生き残り戦略における最終型だという説もあります。そうやって世界的に集団免疫が獲得され、ウィルスと人間の共生がはじまるというわけです。その意味でも、世界的な集団免疫を阻むワクチン・ナショナリズムはきわめて反動的で、愚の骨頂と言うべきでしょう。

前に紹介した『感染症と文明』(岩波文庫)の著者の長崎大熱帯医学研究所の山本太郎教授も、先日の朝日新聞のインタビュー記事で、次にように言っていました。

朝日新聞デジタル(有料記事)
コロナ2年、「敗北」後にめざす社会は? かぜになるのは10年

※以下、引用はすべて上記記事

  オミクロン株は、「ウイルスに国境はない」と改めて教えてくれました。

  ワクチン接種をアフリカなど途上国でも進めないと、いくら先進国で接種率を高めても新しい変異が出てくる。

  もっと国際協力を進めないといけません。


山本教授によれば、「新型コロナには約3万の塩基があり、1年で0.1%が変異する。つまり1年に30個ほどの変異」が出て来るそうです。デルタ株やオミクロン株はそのひとつにすぎないのです。

ウィルスは人など宿主の細胞のなかでしか増殖できない微生物なので、宿主が死ぬとウィルスも生きていくことはできません。そのため、宿主の寿命を奪うのではなく、逆に弱毒化して宿主と共生(共存)しようとする性質を持っているのだそうです。ウィルスを撲滅しようとすると、ウィルスもそれに抗い有毒化するので、宿主にとっても、弱毒化したウィルスと共生していくのが一番賢明な方法だし、むしろそれしか道はないのです。人もまた自然の一員である限り、自然と共生(共存)するしかないということです。

  ウイルスや他の生物と共生せずに生きることはできません。自分と違うものを排除するのではなく、包摂した社会をどうつくるかが問われています。

  自分と違うものを認めることから始まるのではないでしょうか。

  国籍や肌の色、性的指向……。違う人に共感できる社会であろうよと。


排除したり撲滅したりするのではない、共生するという考えが求められているのです。しかし、パンデミック下の世界では、人々の考えはむしろ逆を向いているように思えてなりません。

ワクチン・ナショナリズムも然りですが、ワクチンだけでなく、政治でも文化でもヘイトな考えが蔓延するようになっています。と言うか、ヘイトが当たり前になっているのです。

新型コロナウィルスは、自然をないがしろにする人間社会のひとりよがりな文明に対する自然界からのメッセージ(警告)であり、同時に未開の周辺域を外部化して際限もなく開発、収奪しつづける資本主義がみずから招いた災禍でもあります。しかし、そう考える人はごく一部にすぎません。前に書いたことのくり返しになりますが、山本教授も次のように言っていました。

  人の活動域が広がり、野生動物のテリトリーにずかずかと入り込む機会が増えました。野生動物の生息域を奪い、ウイルスが人に感染する確率を上げていました。

  そして狭くなった地球が、人から人へと流行を広げました。人の往来が増え、グローバル化が進んだことが拍車をかけたのです。

  新型コロナは、ロンドンやニューヨーク、東京といった巨大都市で大流行しました。人口密度が高く通勤時間も長い。必然です。


  ウイルスの特徴がわからなかった2020年春ごろには、緊張感はあって当然でした。

  しかし、戦う相手とみなし、根絶させようとするのは違います。

  攻撃すれば、相手も強くなろうとする。生物は競争と協調を繰り返し、均衡点を見いだす。そうすることで自然は成り立っています。

  同じ場所で交わっているのではなく、互いにテリトリーを尊重しながら、それぞれの場所で生き続けるのが共存です。


共生の思想しか新型コロナウィルスを克服する方法はないのです。その肝心なことが忘れられているように思えてなりません。

別の言い方をすれば、今回のパンデミックは、人間社会の傲慢さに対する自然界からのシッペ返しとも言えますが、もちろんそれは、『歎異抄』が言う「わがはからい(計らい)」である人間の小賢しい知識で対処できるようなものではありません。今をときめくAIも、野生動物を介した自然界=原始の世界からのシッペ返しに為す術もなく、ほとんど役に立ちませんでした。むしろ、監視社会化という愚かな人間がより愚かに自分で自分の首を絞める方向に使われただけです。にもかかわらず、多くの人たちは、新型コロナウィルスの本質を見ようともせず、自然はコントロールできるかのような傲慢な考えに囚われたままなのです。


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