このところわけもなく憂鬱な気分が続いていますが、まるでそれに追い打ちをかけるかのように、昨日、田舎の高校時代の同級生から電話がありました。

田舎にいる同級生が急死したと言うのです。その同級生のことは前にこのブログにも書いたことがあります。今、ブログを読み返すと、彼とは2017年に帰省した折りに、高校を卒業して以来久し振りに会っています。そのあとも一度会いました。

昨日電話があった同級生に僧侶をしている別の同級生から電話がかかってきて、彼が亡くなったことを告げられ、既に49日の法事も済ましたと言われたそうです。

ちなみに、その僧侶をしている人間は、数年前だったか、昨日電話があった同級生に私の連絡先を教えてほしいと電話をかけてきたことがありました。理由を訊くと、住職がいない「空き寺」があるので私に住んでもらいたいと。「○○(私の名前)は小説を書いているんだろ。ちょうどいいじゃないか」と言っていたそうです。その話を聞いて、どこからそんな話が流れているのかわかりませんが、「オレは森敦や葛西善蔵のように思われているのか、凄いな」と思いました。

電話がかかってきた同級生は、「○○は本を読むのは好きだけど、小説を書いているという話は聞いたことがないな」と答えたそうです。そして、私に連絡先を教えてもいいかと電話をかけてきたのでした。もちろん、「そんなの断ってくれ」と言いました。

亡くなった同級生の実家は、高校がある街から数十キロ離れた山間の町でお寺をしていました。それで彼も僧籍を持っており、実家を離れているものの、頼まれれば葬儀で導師を務めていると言っていました。

ただ、高校の教師だったお父さんは既に他界しており、お母さんは同級生が引き取って現在は介護施設に入所しています。それで、実家のお寺は実質的に「空き寺」になっているため、門徒も僅かしか残ってないと言っていました。

ある日、昔からの門徒のお婆さんから電話がかかってきて、「入院している主人がそう長くないと思うので、そのときは住職さんにお願いします」と言われたそうです。「ええ、わかりましたよ。ちゃんとお弔いをさせてもらいますよ」と答えて電話を切ったそのすぐあとに、お婆さんの息子から電話がかかってきて「今の話はないことにして下さい」と言われたという話をしていました。「お前、そう言われたらショックだったろ?」と私が訊くと、「いや、仕方ないよ」と言ってました。

高校時代、私は母親の実家に下宿していたのですが、彼もまたお母さんの実家だかに下宿していました。ちょうどお互いの下宿が近所で、しかも、双方の祖母が老人会で一緒に旅行するくらいよく知っている仲だったということもあって、自然と付き合うようになったのでした。そんななかで、下記の関連記事のなかに書いているようなあわや水難事故のような出来事も起きたのでした。

糖尿病がかなり進行していたので、こうなることを予想できなかったわけではありません。奥さんは学校の先生をしているそうですが、まったく面識がないので焼香に行くのもためらわれると同級生も言っていました。

僧侶をしている人間にどうして連絡が行ったかと言えば、生前、葬儀の”仕事”を彼からまわして貰っていたからです。「アルバイトみたいなもんじゃ」と言っていました。

かなり前ですが、田舎で同級生たちが飲み会をしていた際、そのなかのひとりから電話がかかってきたことがありました。そして、「なつかしい人間がここにおるぞ」と言って、亡くなった彼に電話を代わったのでした。

「○○、久し振りじゃなあ。どうしちょるか?」
そう言われると、私のなかに昔のようなイタズラ心が頭を擡げて、「オレなあ、お前たちの前に顔出しできん事情があったんじゃ」と言いました。
「何かあったんか?」
「刑務所に入ちょったんじゃ」
「エッ、何かしたんか?」
「人を殺したんじゃ」
「エエッ」
「誰にも言うなよ。10年以上入ちょった」
「そうか、詳しいことは聞かんけど大変じゃったな」
「お前ならわかってくれるやろ。仏教には悪人正機説があるじゃねえか」
「まあな‥‥」
しばらく沈黙したのち、
「そっちにおっても大変じゃろ。こっちに帰ってくればいいのに」
「こんな前科者に仕事はあるかのぉ?  帰ったら、お前、仕事を紹介してくれるか?」
と言ったら再び黙りこくってしまいました。

なんだか人生の黄昏が容赦なく訪れているような気がしてなりません。高校時代の一時期、時間を共有した同級生がこうして亡くなると、その共有した時間もとても悲しいものに思われるのでした。

こんなときこそ山を歩きたいと思います。冬枯れの森のなかを誰にも会わずにひとりで黙々と歩きたい。でも、まだ膝が完治していないため、それも叶わないのでした。


関連記事:
ふるさとの黄昏の風景

2022.02.20 Sun l 訃報・死 l top ▲