今日、朝日新聞にロシアのペスコフ大統領報道官が、イギリスのテレビ局のインタビューで「ロシア軍は多大な損失を被った。我々にとって大いなる悲劇だ」と語ったという記事が出ていました。
朝日新聞デジタル
ロシア大統領報道官「多大な損失、大いなる悲劇」 自軍の苦戦認める(有料会員記事)
たしかに記事にあるように、「ロシア側が自軍の苦戦を認めるのは珍しい」のですが、私が注目したのではそこではなく、次のような箇所です。
ロシアのプロパガンダばかりが取り沙汰されていますが、ウクライナだってプロパガンダを流しているはずです。戦争とはそういうものでしょう。
私たちは、いわゆる”西側”の情報に接しているので、ロシアだけがウソを吐いていると思っていますが、両方ウソを吐いている場合もあるのではないか。
上記の戦死者数がそれを示しているように思います。出来る限り数を少なく発表して被害を小さく見せるロシアと、逆に数を盛って戦果を強調するウクライナの姿勢の違いが、この二つの数字によく表われているように思います。
キーウ(キエフ)周辺からロシア軍が撤退したニュースも、ウクライナ側から言えば「撃退」したことになるのです。たしかに侵略者がいなくなったので「解放」されたのは事実だし、ロシアの作戦がウクライナ軍の抵抗で「うまくいかなかった」と見ることができるかもしれませんが、「撃退」したというのはいささかオーバーな気がします。ロシアがウクライナ東部での戦いに傾注するために撤退したというのが真相でしょう。
ブチャのジェノサイドで、ロシア軍に銃殺され路上に放置された遺体のなかに、白い腕章をした遺体があったというニュースを見て、私は、白い腕章って何だろうと思い調べてみました。
腕章と言ってもただの布切れですが、田中宇氏によれば、市街戦では敵と味方を見分けるために、ウクライナ側の住民は青い腕章を巻いているそうです。他の映像を見ると、たしかにウクライナ軍の兵士たちは青い腕章を巻いていました。一方、白い腕章は、文字通り白旗を上げたもので、ロシア軍に降参して恭順の意を示した印なのだそうです。白旗を上げるというのが万国共通だとは思いませんでしたが、となれば、白い腕章を巻いた遺体は、ロシア側に寝返ったとして処刑された可能性もなくはないのです。
もちろん、ロシア軍の虐殺や略奪や性暴力は事実でしょう。キーウに入って精力的に取材している田中龍作ジャーナルの記事などを見ても、ロシア軍の蛮行は弁解の余地がありません。
参考サイト:
田中龍作ジャーナル
ブチャの遺体がウクライナの「自作自演」だというロシアの主張があまりに荒唐無稽で、お話にならないのは言うまでもありません。
しかし、だからと言って、ウクライナ軍は、ロシア軍と違って聖人君子のような軍隊なのかという疑問があります。ロシア軍が撤退したあとにブチャに入ってきたウクライナ軍のなかにはアゾフ大隊も含まれていたと言われます。アゾフ大隊は、まるでヒットラーの時代を彷彿とするようなネーミングの国家親衛隊に所属しており、通常の軍事行動以外に、治安維持や工作員の摘発など”国家警察”としての役割も担っているそうです。
前の記事でも書いたように、アゾフ大隊は、国内の少数民族や性的マイノリティーや左派活動家を標的にして暴力を振るったりしていたのですが、それにとどまらず、今回プーチン政権が分離独立を画策しているドネツクやルガンスクなどでは、ロシア系住民を拉致して殺害したり、暴行、拷問などを行ってきたのは公然の事実で、それがロシアに侵攻の口実を与えたという指摘もあるくらいです。そんなネオナチのアゾフが、戦場でお行儀のいい、模範青年のような振舞いをしているとはとても思えません。むしろ、極限状況下では、排外主義的なネオナチの本性をむき出しにしていると考えるのが普通でしょう。
ネットには、住民からウクライナ軍の兵隊の妻だと密告された女性がロシア兵にレイプされ殺害された、という記事が出ていましたが、短期間とは言え、ロシア軍が占領していた間には当然密告を強要されることはあったでしょう。なかには拷問されて取り調べられた人間もいるかもしれません。協力を拒否して銃殺されたケースもあったに違いありません。
今のウクライナは、政党活動が禁止され、国民総動員令で18歳〜60歳までの成人男性の出国も禁止されるなど、民主的な制度が停止された戒厳令下にあります。そして、ウクライナ政府は、国民に武器を渡して徹底抗戦を呼びかけているのです。成人男性だけでなく、武装できない女性や老人たちが、市街戦に備えて火炎瓶や土のうを作っている場面が映像でも流れていました。そうやって昔の日本のように、「民間人」も一丸となって戦えと言っているのです。
武装した民兵が、女性や子どもや老人たちの周辺を警護していることもあるでしょう。あるいは、一部で指摘されているように、民兵が女性や子どもや老人たちを盾に応戦したり、そのなかに紛れて敵を待ち伏せたりすることだってあるかもしれません。戦争なのですから何でもありなのです。
そうなれば、戦闘員と「民間人」の識別も困難になりますし、遭遇した「民間人」が民兵ではないかと疑心暗鬼に囚われるようになるのは当然でしょう。ロシア軍による憎悪を伴った暴力が「民間人」にも向けられるようになったのも、(語弊を招く言い方ですが)当然の成り行きとも言えるのです。一方で、ロシア側に協力した人間が、ウクライナの国家親衛隊から”裏切り者”として処刑されたケースがあったとしても不思議ではないように思います。
「民間人」が虐殺されたのは事実だとしても、今のようにメディアが報道している内容が全てかと言えば、必ずしもそうとは言いきれない現実があるのではないか。ゼレンスキー大統領は、ブチャに外国首脳やメディアを”招いて”、みずから悲惨な現場を案内したりしていますが、今のジェノサイド報道には、情報発信に長けたウクライナ政府による政治的プロパガンダの側面がないとは言えないでしょう。
戦争でいちばん犠牲になるのは女性と子どもと老人だと言われますが、検証のためと称して、まるで見世物のように、いつまでもブチャの路上に並べられている彼らの遺体を見るにつけ、死んでもなお国家の宣伝に使われ、(それが事実だとしても)「可哀そうなウクライナ人」を演じなければならない彼らの不憫さを思わないわけにはいきません。
そう言うと、今回の戦争はロシアの一方的な侵攻からはじまったのではないか、ロシアが侵攻しなかったら住民の虐殺も発生しなかった、だから全てはロシアの責任だ、というお決まりの反論が返ってくるのがオチです。でも、そういった紋切型の解釈で済ませてホントにいいんだろうかと思えてなりません。真相は真相としてあきらかにすべきではないのか。
先日の「モーニングショー」で、コメンテーターの女性が、ゲストで出ていた防衛省の防衛研究所の研究員に、「ロシアはこんなことをしたらもう二度と国際舞台に出て来ることはできないように思いますが、プーチンはそのことをどう考えているんでしょうか?」と質問していました。それに対して、防衛研究所の研究員は、「ロシアの狙いは世界が多極化することなんで、欧米とは別に自分たちの極を造ることしか考えてないのだと思いますよ」というようなことを言ってました。
それは今回のウクライナ侵攻を考える上で大変重要な話だと思いますが、司会の羽鳥慎一はあっさりとスルーして、次のロシアが如何に極悪非道かという話に移っていったのでした。
女性コメンテーターが言う「国際舞台」というのは、たとえば国連やG20のようなものを指しているのかもしれませんが、そういった発想自体が既に古く、世界の多極化を理解してないと言えます。
前からしつこいくらい何度もくり返し言っているように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するのは間違いないのです。そのなかで、大ロシア主義や”新中華思想”やイスラム主義が台頭して、欧米とは違う価値観を掲げる「全体主義の時代」が訪れるのもまた、間違いないのです。今、私たちはそんな世界史の転換(書き換え)の真っ只中にいるのです。
先のアフガンからの撤退や今回のロシア侵攻に対するバイデン=アメリカ政府の”腰砕け”に見られるように、もはやアメリカが唯一の超大国などではなく世界の警察官の役割も果たせなくなったことは、誰の目にもあきらかになっています。今、私たちが見ているものこそ、多極化する世界の光景なのです。
7日に国連総会で採択された国連人権理事会におけるロシアの理事国資格を停止する決議は、賛成が欧米や日本など93カ国、反対はロシアや中国・北朝鮮など24カ国で、採択に必要な投票の3分の2を超えて資格停止が成立したのですが(採決を受けてロシアは理事会から脱退)、投票数に含まれない棄権はインドやブラジルやメキシコなど58カ国にも上ったのでした。中南米やアフリカや東南アジアの多くの国は棄権にまわっています。
私たちが日々接する報道から見れば考えられないことですが、そこからも多極化という世界史の転換を読み取ることができるように思います。敢えて棹さすことを言えば、ロシアは必ずしも世界で孤立しているわけではないのです。
イスラム学者の中田考氏は、先日出演したビデオニュースドットコムで次のように言ってました。
マル激トーク・オン・ディマンド (第1095回)
ロシアのウクライナ侵攻と世界の反応に対するイスラム的視点
同時に、私たちがいる”西側世界”も、「全体主義の時代」に引き摺られるかのように、政治は右へ全体主義の方へ傾斜しています。ヨーロッパでは極右政党が台頭しており、明後日(10日)から始まるフランス大統領選挙でも、ロシア寄りの極右・国民連合のルペン候補が現職のマクロン大統領を「猛追」しているというニュースがありました。ハンガリーでは、4月3日に行われた総選挙で、政権与党が勝利して、右派で強権的なオルバン政権が信任されています。ハンガリーはEU加盟国ですが、ウクライナに武器の提供はしないと明言していますし、ロシア産原油の支払いをプーチンの要請に従ってルーブルに変更することを決定しています。それどころか、アメリカでも、バイデン政権が一期で終わるのは必至で、もしかしたら共和党を簒奪したトランプの復活もあるのではないかと言われているのです。
右へ傾斜しているという点では、日本も例外ではありません。野党の立憲民主党まで含めて、戦争に備えるために、防衛予算を増やして非常時に対応した現実的な安保政策を再構築すべきだという声が大きくなっています。東浩紀が称賛したように、国家がどんどん際限もなくせり出して来ているのです。それが国民の基本的な権利の制限と表裏一体であるのは言うまでもありません。でも、世論もそれを容認しているように見えます。
メディアも国民も、戦争が長引くにつれ、益々安直にプーチン憎し、ウクライナが可哀そうの敵か味方かの二項対立で戦争を語るようになっているのです。でも、それでは目には目を歯には歯の復讐律しか生まないでしょう。政治家たちが短絡的なナショナリズムを振りかざして悪乗りしているように、それこそが動員の思想と言うべきなのです。
マイケル・ムーアが言うように、ウクライナ侵攻におけるメディアの戦争プロパガンダは、戦争主義者たちにとって”願ってもない成果”をもたらしつつあるのです。バイデンの再三に渡る挑発的な発言は、どう見ても戦争を煽っている(火に油を注いでいる)としか思えませんが、何故かそう指摘するメディアはありません。これでは、常に敵を必要とする産軍複合体は笑いが止まらないでしょう。
朝日新聞デジタル
ロシア大統領報道官「多大な損失、大いなる悲劇」 自軍の苦戦認める(有料会員記事)
たしかに記事にあるように、「ロシア側が自軍の苦戦を認めるのは珍しい」のですが、私が注目したのではそこではなく、次のような箇所です。
ロシア国防省は3月25日時点で1351人のロシア兵が死亡したとしている。一方、ウクライナ軍参謀本部は今月8日の発表で1万9千人のロシア兵を殺害したと主張している。
ロシアのプロパガンダばかりが取り沙汰されていますが、ウクライナだってプロパガンダを流しているはずです。戦争とはそういうものでしょう。
私たちは、いわゆる”西側”の情報に接しているので、ロシアだけがウソを吐いていると思っていますが、両方ウソを吐いている場合もあるのではないか。
上記の戦死者数がそれを示しているように思います。出来る限り数を少なく発表して被害を小さく見せるロシアと、逆に数を盛って戦果を強調するウクライナの姿勢の違いが、この二つの数字によく表われているように思います。
キーウ(キエフ)周辺からロシア軍が撤退したニュースも、ウクライナ側から言えば「撃退」したことになるのです。たしかに侵略者がいなくなったので「解放」されたのは事実だし、ロシアの作戦がウクライナ軍の抵抗で「うまくいかなかった」と見ることができるかもしれませんが、「撃退」したというのはいささかオーバーな気がします。ロシアがウクライナ東部での戦いに傾注するために撤退したというのが真相でしょう。
ブチャのジェノサイドで、ロシア軍に銃殺され路上に放置された遺体のなかに、白い腕章をした遺体があったというニュースを見て、私は、白い腕章って何だろうと思い調べてみました。
腕章と言ってもただの布切れですが、田中宇氏によれば、市街戦では敵と味方を見分けるために、ウクライナ側の住民は青い腕章を巻いているそうです。他の映像を見ると、たしかにウクライナ軍の兵士たちは青い腕章を巻いていました。一方、白い腕章は、文字通り白旗を上げたもので、ロシア軍に降参して恭順の意を示した印なのだそうです。白旗を上げるというのが万国共通だとは思いませんでしたが、となれば、白い腕章を巻いた遺体は、ロシア側に寝返ったとして処刑された可能性もなくはないのです。
もちろん、ロシア軍の虐殺や略奪や性暴力は事実でしょう。キーウに入って精力的に取材している田中龍作ジャーナルの記事などを見ても、ロシア軍の蛮行は弁解の余地がありません。
参考サイト:
田中龍作ジャーナル
ブチャの遺体がウクライナの「自作自演」だというロシアの主張があまりに荒唐無稽で、お話にならないのは言うまでもありません。
しかし、だからと言って、ウクライナ軍は、ロシア軍と違って聖人君子のような軍隊なのかという疑問があります。ロシア軍が撤退したあとにブチャに入ってきたウクライナ軍のなかにはアゾフ大隊も含まれていたと言われます。アゾフ大隊は、まるでヒットラーの時代を彷彿とするようなネーミングの国家親衛隊に所属しており、通常の軍事行動以外に、治安維持や工作員の摘発など”国家警察”としての役割も担っているそうです。
前の記事でも書いたように、アゾフ大隊は、国内の少数民族や性的マイノリティーや左派活動家を標的にして暴力を振るったりしていたのですが、それにとどまらず、今回プーチン政権が分離独立を画策しているドネツクやルガンスクなどでは、ロシア系住民を拉致して殺害したり、暴行、拷問などを行ってきたのは公然の事実で、それがロシアに侵攻の口実を与えたという指摘もあるくらいです。そんなネオナチのアゾフが、戦場でお行儀のいい、模範青年のような振舞いをしているとはとても思えません。むしろ、極限状況下では、排外主義的なネオナチの本性をむき出しにしていると考えるのが普通でしょう。
ネットには、住民からウクライナ軍の兵隊の妻だと密告された女性がロシア兵にレイプされ殺害された、という記事が出ていましたが、短期間とは言え、ロシア軍が占領していた間には当然密告を強要されることはあったでしょう。なかには拷問されて取り調べられた人間もいるかもしれません。協力を拒否して銃殺されたケースもあったに違いありません。
今のウクライナは、政党活動が禁止され、国民総動員令で18歳〜60歳までの成人男性の出国も禁止されるなど、民主的な制度が停止された戒厳令下にあります。そして、ウクライナ政府は、国民に武器を渡して徹底抗戦を呼びかけているのです。成人男性だけでなく、武装できない女性や老人たちが、市街戦に備えて火炎瓶や土のうを作っている場面が映像でも流れていました。そうやって昔の日本のように、「民間人」も一丸となって戦えと言っているのです。
武装した民兵が、女性や子どもや老人たちの周辺を警護していることもあるでしょう。あるいは、一部で指摘されているように、民兵が女性や子どもや老人たちを盾に応戦したり、そのなかに紛れて敵を待ち伏せたりすることだってあるかもしれません。戦争なのですから何でもありなのです。
そうなれば、戦闘員と「民間人」の識別も困難になりますし、遭遇した「民間人」が民兵ではないかと疑心暗鬼に囚われるようになるのは当然でしょう。ロシア軍による憎悪を伴った暴力が「民間人」にも向けられるようになったのも、(語弊を招く言い方ですが)当然の成り行きとも言えるのです。一方で、ロシア側に協力した人間が、ウクライナの国家親衛隊から”裏切り者”として処刑されたケースがあったとしても不思議ではないように思います。
「民間人」が虐殺されたのは事実だとしても、今のようにメディアが報道している内容が全てかと言えば、必ずしもそうとは言いきれない現実があるのではないか。ゼレンスキー大統領は、ブチャに外国首脳やメディアを”招いて”、みずから悲惨な現場を案内したりしていますが、今のジェノサイド報道には、情報発信に長けたウクライナ政府による政治的プロパガンダの側面がないとは言えないでしょう。
戦争でいちばん犠牲になるのは女性と子どもと老人だと言われますが、検証のためと称して、まるで見世物のように、いつまでもブチャの路上に並べられている彼らの遺体を見るにつけ、死んでもなお国家の宣伝に使われ、(それが事実だとしても)「可哀そうなウクライナ人」を演じなければならない彼らの不憫さを思わないわけにはいきません。
そう言うと、今回の戦争はロシアの一方的な侵攻からはじまったのではないか、ロシアが侵攻しなかったら住民の虐殺も発生しなかった、だから全てはロシアの責任だ、というお決まりの反論が返ってくるのがオチです。でも、そういった紋切型の解釈で済ませてホントにいいんだろうかと思えてなりません。真相は真相としてあきらかにすべきではないのか。
先日の「モーニングショー」で、コメンテーターの女性が、ゲストで出ていた防衛省の防衛研究所の研究員に、「ロシアはこんなことをしたらもう二度と国際舞台に出て来ることはできないように思いますが、プーチンはそのことをどう考えているんでしょうか?」と質問していました。それに対して、防衛研究所の研究員は、「ロシアの狙いは世界が多極化することなんで、欧米とは別に自分たちの極を造ることしか考えてないのだと思いますよ」というようなことを言ってました。
それは今回のウクライナ侵攻を考える上で大変重要な話だと思いますが、司会の羽鳥慎一はあっさりとスルーして、次のロシアが如何に極悪非道かという話に移っていったのでした。
女性コメンテーターが言う「国際舞台」というのは、たとえば国連やG20のようなものを指しているのかもしれませんが、そういった発想自体が既に古く、世界の多極化を理解してないと言えます。
前からしつこいくらい何度もくり返し言っているように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するのは間違いないのです。そのなかで、大ロシア主義や”新中華思想”やイスラム主義が台頭して、欧米とは違う価値観を掲げる「全体主義の時代」が訪れるのもまた、間違いないのです。今、私たちはそんな世界史の転換(書き換え)の真っ只中にいるのです。
先のアフガンからの撤退や今回のロシア侵攻に対するバイデン=アメリカ政府の”腰砕け”に見られるように、もはやアメリカが唯一の超大国などではなく世界の警察官の役割も果たせなくなったことは、誰の目にもあきらかになっています。今、私たちが見ているものこそ、多極化する世界の光景なのです。
7日に国連総会で採択された国連人権理事会におけるロシアの理事国資格を停止する決議は、賛成が欧米や日本など93カ国、反対はロシアや中国・北朝鮮など24カ国で、採択に必要な投票の3分の2を超えて資格停止が成立したのですが(採決を受けてロシアは理事会から脱退)、投票数に含まれない棄権はインドやブラジルやメキシコなど58カ国にも上ったのでした。中南米やアフリカや東南アジアの多くの国は棄権にまわっています。
私たちが日々接する報道から見れば考えられないことですが、そこからも多極化という世界史の転換を読み取ることができるように思います。敢えて棹さすことを言えば、ロシアは必ずしも世界で孤立しているわけではないのです。
イスラム学者の中田考氏は、先日出演したビデオニュースドットコムで次のように言ってました。
マル激トーク・オン・ディマンド (第1095回)
ロシアのウクライナ侵攻と世界の反応に対するイスラム的視点
(略)中田氏は現在、われわれが「国際秩序」と呼んでいるものは、17世紀以降、西欧を中心に白人にとって都合のいい理屈をいいとこ取りして作られたものに過ぎず、そのベースとなるウェストファリア体制下の主権国家という考え方も、それを支える「自由」や「民主」、「平等」などの概念も、あくまで白人が非白人を支配するために都合よく考え出された概念に過ぎないと、これを一蹴する。
実際、西欧の帝国主義が世界を席巻する前の17世紀の世界は、「東高西低」と言っても過言ではないほど、オスマン帝国(トルコ)やサファヴィー朝(イラン)、ムガール帝国(インド)、清(中国)などアジアの帝国が世界で支配的な地位を占め、空前の繁栄を享受していた。中田氏はその時代がイスラム教にとっても全盛期だったと語る。しかし、1699年のカルロヴィッツ条約でオスマン帝国が欧州領土の大半を失った後、西欧諸国が帝国主義的な植民地政策によって経済的に優位な立場に立ち、18世紀以降、かつてのアジアの帝国は植民化されるなどして西欧諸国から支配され、好き放題に搾取される弱い立場に立たされた。その関係性はその後の2度の世界大戦を経た後も、大枠では変わっていない。
(概要より)
同時に、私たちがいる”西側世界”も、「全体主義の時代」に引き摺られるかのように、政治は右へ全体主義の方へ傾斜しています。ヨーロッパでは極右政党が台頭しており、明後日(10日)から始まるフランス大統領選挙でも、ロシア寄りの極右・国民連合のルペン候補が現職のマクロン大統領を「猛追」しているというニュースがありました。ハンガリーでは、4月3日に行われた総選挙で、政権与党が勝利して、右派で強権的なオルバン政権が信任されています。ハンガリーはEU加盟国ですが、ウクライナに武器の提供はしないと明言していますし、ロシア産原油の支払いをプーチンの要請に従ってルーブルに変更することを決定しています。それどころか、アメリカでも、バイデン政権が一期で終わるのは必至で、もしかしたら共和党を簒奪したトランプの復活もあるのではないかと言われているのです。
右へ傾斜しているという点では、日本も例外ではありません。野党の立憲民主党まで含めて、戦争に備えるために、防衛予算を増やして非常時に対応した現実的な安保政策を再構築すべきだという声が大きくなっています。東浩紀が称賛したように、国家がどんどん際限もなくせり出して来ているのです。それが国民の基本的な権利の制限と表裏一体であるのは言うまでもありません。でも、世論もそれを容認しているように見えます。
メディアも国民も、戦争が長引くにつれ、益々安直にプーチン憎し、ウクライナが可哀そうの敵か味方かの二項対立で戦争を語るようになっているのです。でも、それでは目には目を歯には歯の復讐律しか生まないでしょう。政治家たちが短絡的なナショナリズムを振りかざして悪乗りしているように、それこそが動員の思想と言うべきなのです。
マイケル・ムーアが言うように、ウクライナ侵攻におけるメディアの戦争プロパガンダは、戦争主義者たちにとって”願ってもない成果”をもたらしつつあるのです。バイデンの再三に渡る挑発的な発言は、どう見ても戦争を煽っている(火に油を注いでいる)としか思えませんが、何故かそう指摘するメディアはありません。これでは、常に敵を必要とする産軍複合体は笑いが止まらないでしょう。