子供の日だからなのか、5月5日放送の「モーニングショー」で、Z世代の消費行動が取り上げられていました。

Z世代とは、いわゆるミレニアル世代に続く「1990年代半ばから2010年代生まれ」の25歳以下の若者を指す世代区分で、日本では主にマーケティングの分野で使われている場合が多いようです。

Z世代の特徴として真っ先にあげられるのは、生まれながらにしてネットに接していたデジタル・ネイティブだということです。そのため、テレビよりYouTubeやSNS等のネット利用時間が多く、情報収集も、テレビや新聞や雑誌などではなく、TwitterやYouTube、Instagram、TikTokのようなウェブメディアが主流だということです。自分が興味がない情報は最初からオミットして、興味のある情報だけを選択するのも特徴で、そのスキルが先行世代より長けていると言われているそうです。

でも、ものは言いようで、これって単なるスマホ中毒じゃないのかと思ったりします。私の中には、スマホに熱中するあまり、電車の中や駅のホームで、おばさんに負けじとやたら座りたがる若者たちのイメージがあります。

また、自分が「押す」アイドルやユーチューバーなどに対して、惜しげもなくお金を使って応援する「ヲタ活」なども、この世代の特徴だと言われています。一方で、「押し」のユーチューバーにスパチャ(投げ銭)するために、親のクレジットカードを勝手に使い、後日多額の請求が来て親子間でトラブルになるケースもあるみたいで、先日の新聞にもそういった話が出ていました。他に、給料が手取り20万円しかないのにスパチャに10万円使っている若いサラリーマンの話も出ていました。「ネットはバカと暇人のもの」と言った人がいましたが、ユーチューバーはもちろんですが、スパチャの30%を手数料として天引きするGoogleにとっても、彼らは実に美味しい存在だと言えるでしょう。

Z世代の彼らは如何にも主体的にネットを駆使しているように見えますが、しかし、一枚めくるとこのような煽られて踊らされる「バカと暇人」の痴呆的な光景が表われるのでした。しかも、彼らが取捨選択している(と思っている)情報も、膨大な個人データの取得(ビッグデータ)でより高度化されたアルゴリズムで処理されたものです。パーソナルターゲティング広告に象徴されるような、あらかじめプロファイリングされて用意された(与えられた)情報にすぎないのです。

番組では、前の世代が自分が興味があるものをネットなどに上げることで自己承認を求めたのに対して、Z世代は最初から「インスタ映え」して自己承認されることが前提の商品(「もの」や「こと」)を求める点が大きく違っていると言っていましたが、デジタル・ネイティブとは、バーチャルな世界にどっぷりと浸かりいいように転がされる、クラウド=AIに依存した人間のことではないのかと思いたくなります。

ナノロボット工学の進化により、「人間の脳をクラウドに接続する日は限りなく近づいている」というSFのような研究論文がアメリカで発表されたそうですが、Z世代の話を聞くと、何だかそれが現実化しつつあるような錯覚さえ抱いてしまうのでした。

しかし、幸か不幸かそれはあくまで錯覚にすぎません。私たちはGoogleが掲げた「Don't be evil」という行動規範や「集合知」「総表現社会」「数学的民主主義」などという言葉を生んだWeb2.0の理想論にずっと騙され、ネット社会に過大な幻想を抱いてきましたが(「Don't be evil」は既にGoogleの行動規範から削除されています)、今回のウクライナ侵攻を見てもわかるとおり、現実は戸惑うほど古色蒼然としたものです。戦争を仕掛ける国家指導者は昔の人間のままです。もちろん、前線で戦う兵士も、戦火の中逃げ惑う国民も、昔の人間のままです。ロシア文学者の亀山郁夫氏が言うように、私たちは依然として、ドフトエフスキーが描いた19世紀の人間像がそのまま通用するような世界に生きているのです。IT技術は、あくまで情報を処理する上での便利なツールにすぎないのです。

Z世代が日常的に接して依存しているネットの情報も、テレビや新聞などの旧メディアから発せられたものばかりです。ネットは、その性格上、セカンドメディアである宿命からは逃れられないのです。インフルエンサーやユーチューバーから発せられる情報も、ネタ元の多くは旧メディアです。商品の紹介はメーカーからの案件が大半です。この社会の本質は何も変わってないのです。

むしろ私は、番組を観ながら、ネットを通した「自己承認欲求」という極めてパーソナルで今どきな心理までもが資本によって外部化されコントロールされるという、現代資本主義のあくなき欲望の肥大化とその在処ありかを考えないわけにはいきませんでした。

そこに見えるのは、あまりに無邪気で能天気で無防備な、飼い馴らされた消費者としての現代の若者の姿です。だから、Z世代が今後の消費形態を変える可能性があるなどと、やたら持ち上げられるのでしょう。

ゲストで出ていた渋谷109のマーケティング部門の担当者も、Z世代の若者たちは如何に個性豊かにネットを利用しているかを得々と説明していましたが、それこそマーケティング業界お得意のプロパガンダと言うべきなのです。

こういった「世代論」は、マーケティング業界の常套句のようなもので、今までも何度も似たような話が繰り返されてきました。

昔は女子高生が流行を作るなどと言ってメディアに情報を売っていた怪しげなマーケティング会社が渋谷や原宿に雨後の筍のようにありました。その怪しげなビジネスも、いつの間にか大資本(東急資本)の看板に付け替えられ、もっともらしく箔づけされていることに隔世の感を覚えましたが、この手の話は眉に唾して聞くのが賢明でしょう。


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2022.05.05 Thu l ネット l top ▲