田中龍作氏は、5月3日の記事で、キーウの基地で遭遇した日本人義勇兵を取り上げていました。

田中龍作ジャーナル
【キーウ発】日本人義勇兵 「自由と独立を守るためには武器を取って戦わなければならない」

元自衛隊員の義勇兵は、まだ正式にウクライナ軍の兵士と認められてないため、無給だそうです。志願の動機について、下記のように書いていました。

 志願の動機は―

 「(旧ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破って満洲に侵攻してきた)1945年と同じことがまた起きたと思った」

 「かつて交際していた女性の祖父は満洲で終戦となったためシベリアに抑留された」。

 57万5千人の日本軍将兵・満蒙開拓団員などがシベリアに連行され、強制労働に従事させられた。5万5千人が病気や衰弱などで死亡した(厚生省調べ)。

 「ロシアはウクライナに対しても当時と同じようなことをした」

 「自由と独立を守るためには武器を取って戦わなければならないことを日本人は認識していない」 

 「私戦予備罪を押してでも行く価値があると思い志願した」


しかし、この義勇兵は、田中氏が書いているように、ホントにただの義憤に駆られた人なのか。彼こそ、前に藤崎剛人氏が書いていた、世界中からウクライナに集まっているネオナチのひとりではないのか。

田中宇氏は、Qアノンまがいのコロナワクチンを巡る発言などにより、ややもすれば陰謀論の権化のように言われる毀誉褒貶の激しい人ですが、ウクライナ・ネオナチ説について、次のように書いていました。

田中宇の国際ニュース解説
ウクライナ戦争で最も悪いのは米英

ウクライナ軍は腐敗していたため国民に不人気で、2014年の政権転覆・内戦開始後に徴兵制を敷いたものの、徴兵対象者の7割が不出頭だった(2017年秋の実績)。多くの若者が徴兵を嫌って海外に逃げ出していた(若者の海外逃亡の結果、国内で若手の労働力が不足した)。予備役を集めて訓練しようとしても7割が出頭せず、訓練の会合を重ねるほど出席者が減り、4回目の訓練に出席したのは対象者の5%しかいなかった(2014年3-4月の実績)。(略)


親露派民兵団やロシア側に対抗できる兵力を急いで持つことを米英から要請されていたウクライナ政府は、政府軍の改善をあきらめ、代替策として、ウクライナ国内と、NATO加盟国など19の欧米諸国から極右・ネオナチの人々を傭兵として集め、NATO諸国の軍が彼らに軍事訓練をほどこし、政府軍を補佐する民兵団を作ることにした。極右民兵団の幹部たちは、英国のサンドハースト王立士官学校などで訓練を受けた。民兵団は国防省の傘下でなく、内務省傘下の国家警備隊の一部として作られた。ボー(引用者註:NATOの要員だったスイス軍の元情報将校)によると、2020年時点でこの民兵団は10万2千人の民兵を擁し、政府軍と合わせたウクライナの軍事勢力の4割の兵力を持つに至っている。ウクライナ内務省傘下の極右民兵団はいくつかあるが、最も有名なのが今回の戦争でマリウポリなどで住民を「人間の盾」にして立てこもって露軍に抵抗した「アゾフ大隊」だ。


今回のロシア侵攻を考えるとき、このようなゼレンスキー政権の極右化の問題も無視することはできないのです。もちろん、だからと言って、ロシアの戦争犯罪が免罪されるわけではありません。ただ一方で、ほぼ内戦状態にあったウクライナ東部において、ゼレンスキー政権が「極右民兵団」を使ってロシア系住民(ロシア語話者)を迫害していたのは、いろんな証言からもあきらかです。もちろん、ロシアへの併合を目論むロシア系民兵組織も同じことをやっています。しかし、「極右民兵団」によるロシア系住民の迫害が、ロシアに「個別的自衛権」の行使という侵攻の口実を与えることになったのは事実です。

そこにアメリカの”罠”があったのではないか。結果として、ゼレンスキー政権はバイデン政権からいいように利用され、そして煽られ、和平交渉の糸口さえ見つけることもできずに、総力戦=玉砕戦に突き進むことになったのでした。これではウクライナ国民はたまったものではないでしょう。でも、バイデン政権にしてみれば、してやったりかもしれません。アメリカはウクライナに巨額の軍事援助を行っていますが、それは同時に民主党政権と密接な関係にある産軍複合体に莫大な利益をもたらすことになるからです。

このように和平の働きかけも一切行わず、8千キロ離れたワシントンからただ戦争を煽るだけのバイデン政権の姿勢(それを異常と思わない方がおかしい)が、今回の侵攻を考える上で大きなポイントになるように思います。

今回の侵攻で、その帰趨とは関係なく、ロシアの国力や軍事力が大きくそがれ、プーチンの目論見とは裏腹に、ロシアが国家として疲弊し弱体化するのは否めないでしょう。一方で、プーチンの神経を逆なでするかのように、NATOはさらにフィンランドとスウェーデンの加入が取り沙汰されるなど、拡大の勢いを増しているのでした。言うなれば、アメリカは、ウクライナ国民の犠牲と引き換えに、ロシアをウクライナ侵攻という”泥沼”に引きずり込むことに成功したのです。そこに民主主義国家VS権威主義国家という、多極化後にアメリカが選択するあたらな世界戦略が垣間見えるように思います。

アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が対極化するということは、アメリカがみずから軍隊を派遣するのではなく、今回のように”同盟国”に武器を提供して”同盟国”の国民を戦わせることを意味するのです。そう方針転換したことを意味するのです。アメリカにとって、戦争は政治的な側面だけでなくビジネスの側面も強くなっており、そのため戦争の敷居が格段に低くなったのは事実でしょう。

日本でも早速、対米従属愛国主義の政治家ポチたちが、敵基地への先制攻撃を可能にする憲法9条の改定や核シェアリング(実質的な核武装)の導入など、戦争ができる体制を作るべきだと声高に主張し始めています。しかも、2014年のクリミア半島とルハンスク州南部・ドネツィク州東南部侵攻の際には、ウラジーミルとシンゾーの関係を優先して欧米の制裁に歩調を合わせなかった安倍晋三元首相が、今度は先頭に立って核武装を主張しているのですから開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

でも、実際に戦場で戦うのは自衛隊員だけでなく国民も一緒です。ウクライナでも見られたように、避難した民間人を警護するという建前のもと、実際は弾除けの盾に使われることだってあるでしょう。戦争なのですから何だってありなのです。政治家ポチの勇ましい言葉に踊らされている「風にそよぐ葦」の国民は、戦争に対するリアルな想像力が決定的に欠けていると言わねばなりません。ウクライナが可哀そうという感情に流されるだけで、戦争の現実をまったく見てないし見ようともしてないのです。

何だかまわりくどい話になりましたが、このような敵か味方かの国家の論理に依拠した今の報道は、ウクライナが可哀そうという”善意の仮面”を被ったもうひとつのプロパガンダと言うべきなのです。
2022.05.08 Sun l ウクライナ侵攻 l top ▲